〇千円の時計に何と1050円の電池を入れる
私が常時使っている腕時計は何かの仕事で上京した際、新宿駅西口の構内に設けられた売店で買ったものです。私にとって腕時計は正確な時間を刻むことと、講演など壇上に上がって話をする時にタイムキーパー的に使って見易いという二つの条件さえそろえば、デザインなど関係ないのです。そんな理由で買い求めた腕時計の値段は何と千円でした。新品の時計、しかも東京新宿で買った時計がたったの千円ですから驚くほかないのです。以来私はこの腕時計を使って仕事をし、この腕時計とともにどれほどの旅をしたことでしょう。たった千円という値段が頭にあって、時には旅先の飲み屋に忘れたことがありました。また仲間と小旅行をした折、風呂の浴衣籠に忘れたりもしました。しかしそんな高級でもない使い捨てのような腕時計は、何故か多くの人の手を経て私のもとへ里帰りしてくれたのです。東京新宿での出会いからもう10年近くが経ちました。その間旅先で一度電池交換を行いましたが、それ以来殆ど正確に私の腕に巻かれ時を刻み続けてきたのです。
昨日の朝のことです。予定通り出かけようと腕時計を腕にはめようとしました。すると時計の針は6時10分を差していました。「エッ、もう10時過ぎだのに」と今の電波時計を見ると10時10分を差していました。見ると秒針が止まっていました。さて「どうしよう」と思い、準備も出来ているので早めに出て時計屋で電池交換して行こうと出発しました。100円パーキングへ車を止め、三越近くにある大街道の橋本時計店へ行きました。11時というのに橋本時計店のシャッターは閉まったままでした。大街道の商店街を看板目当てに歩きましたが、あの広い商店街にはもうこの一軒しか時計屋がないことに気が付きました。小走りに急いで銀天街に行きました。急ぐ時は信号の変わるのも遅く、はてさてと思って見た看板の向こうに「時計宝石の店桜産業」の看板を見つけて、走り込みました。
「時計の電池を交換して欲しいのですが」「はいかしこまりました。代金は1050円かかりますがいいですか」「仕方がありませんのでいいです」と少なめに会話を交わしました。店の奥に店員さんが消えている間、陳列ケースの時計を見ましたが、地元では名だたる時計店だけあって、値札の金額を見ながら私のような貧乏人には縁遠い時計だと、むしろ時計よりも値札のゼロの数を見ながら店内を一巡しました。店員も買う気もない、それでいて財布の中身も大してないだろうと予測して、勧めることもなく数分が経ちました。「お待たせしました」とキャッシュ皿に乗せられ命を吹き込まれた見覚えのある腕時計が出てきました。
店を出た私は少し焦りました。今日のデイナー卓話会場は勝山通りにあるため急がないと時間に間に合わなくなるのです。会場横のスターパーキングに止めていた車の所まで帰り、車の中から今日の商売道具である木になるカバンを取り出し15分前に何気ない余裕のような顔をして会場入りしました。
時計は正直で、今朝は叩いても振っても動かなかったのにしっかりと逞しそうに時を刻んでいるのです。私はその時計を頼もしく思いながら演台の上に置き安心して卓話を30分、ほぼ完璧な時間運びで行いました。
千円ゆえに今朝はもう寿命かなと思いました。千円の時計に1050円の電池を入れないと動かないとは笑い話にもならない珍事です。でも時は金なり、まさに合計2050円の安物ながら腕時計はこれからも私の大切なスケジュール管理をしてくれることでしょう。改めて安物ながらわが腕時計に「いつもありがとう」と、ねぎらいの言葉をかけてやりました。
「千円の 時計に電池 千円も 入れて再び 動き始める」
「安物と 馬鹿にしていた 時計だが なくてはならぬ 俺にとっては」
「街中の 時計売る店 何時の間に なくなり慌て 看板探す」
「安くても 東京買った 一級品 さすが丈夫だ 元はとったな」