〇学生はいい話が聞けました
愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師を務めるようになって6年目を迎えていますが、一年が経つのは早いもので、今年も来週1回の講義と年明けの発表会で私の仕事も終わるのです。後は学生たちのレポートが送られてくるのを待って成績表を作成すればいいのですが、これがまた19人分をいちいち読まなければならないので大仕事なのです。
昨日は部外講師を呼んで「まちづくり人の主張」というのをやりました。えひめ地域政策研究センターの清水研究員さんと谷本研究員さんに大学へ来てもらい卓話を聞くのです。僅か90分の短い講義時間を小刻みに割り振り、卓話は1人25分にしました。谷本さんは以前に勤めていた公民館の体験をもとに公の在り方を分かり易く話してくれました。清水さんは清水学とでもいうべき人間の生き方について、持論を未来へのメッセージも含めて少し深く話してくれました。お二人とも研究センターで長年研究に携わっているだけあって、まちづくりを相当掘り下げて勉強していて、学生もいい話を聞けて参考になったのか、その後私がコーディネーターになって40分間質問のやり取りをしましたが、まあまあいい質問が飛び交いました。学内の先生から様々な講義を毎日のように詰め込み形式で受けている学生にとって、学外のしかも現場の人から生の話を聞く機会はそんなに多くはありません。私の話もある意味では学内になっているのですから、いい企画だったと思ったことでしょう。
二人はこの日の講義のために沢山の資料を用意してくれました。電子情報や紙ごみの中に暮らしている学生たちにとって、これらの資料の持つ意味や重みを全て感じることはできないと思いますが、谷本さんが手に入れてくれた宇和島の「仕事人情報誌ViewU」も、清水さんが自作した「風は土をつくり、風土は人をつくる」という資料も凄い価値があるのです。これらの資料をただ漫然と捨て去るか熟読して自分のものに出来るかがやはり学びの深さになって、潜在知識として蓄積していくのでしょう。
清水さんの資料の中に「豊かさと幸福を問い直す」というスティーグ・クレッソンの言葉が載っていたので紹介しておきます。
第二次大戦後、わが国は豊かな国となり、人々が「繁栄」と呼ぶ状況を生みだした。
私たちは、余りに簡単に幸福になり過ぎた。
人々は、それは公正であるか否かを議論した。
私たちは戦争を回避し、工場を建設し、そこへ農民の子どもが働きに行った。
農業社会が解体され、私たちの国は新しい国になったが、人々が本当にわが家にいるといった感覚を持てたか
どうかは確かではない。
1950年から60年に至る10年間に、毎日300戸の小農家が閉業するというスピードで、わが国の農業が終焉
した。
人々は大きな単位、大きなコミューン(市町村)を信じ、都市には遠い将来にわたって労働が存在すると信じた。
私たちは当然のことながら物質的に豊かになったが、簡単な言葉でいえば、平安というべきものを使い果たし
た。
私たちは新しい国で、お互い他人同士となった。
小農民が消滅するとともに、小職人や小商店が、そして、病気のおばさんが横になっていたあの小部屋、あの
小さな学校、あの子豚たち、あの小さなダンスホールなども姿を消した。
そういう小さな世界はもう残っていない。
小さいものは何であれ、儲けが少ないというのが理由だった。
なぜなら、幸福への呪文は〈儲かる社会〉だったからだ。
(Stig Claesson)
「まちづくり 人の話は 味がある 学生たちは 心開いて」
「巻末に したため書きし メッセージ 小さな社会 風前ともしび」
「歯車が 狂った社会 恐ろしい 儲かる社会 今はガタガタ」
「幸せか? 聞かれて首を 横に振る 本当はみんな 幸せでない」