〇懐かしき人々
ある日のことといっても10月23日の出来事でした。その日私は田処の友人宅へお魚をおすそ分けに出かけました。夜はやはり田処で講演会があるので二回往復しなければならないため、豊田川沿いの急な坂道を通る最短コースを往復する道を選んだのです。魚を無事届けて帰り際、元町会議員をしていた黒田昭さんの家の近くを通りました。私が中学生のころ昭さんの弟さんと親友でよく遊びに行った懐かしさもあって、時々その道を懐かしく思うのです。
その日は秋祭の日なのに朝から小雨が降っていました。黒田さんの家の近くまで来ると黒田さんの奥さんが菜園畑で野菜の手入れをしていました。「まあ若松さん」「まあ黒田さん」と、車の窓ガラスをを開けて少しの間お話をしたのです。黒田さんたちが住んでいる奥東もご多分に漏れず高齢化や過疎化が進行し、限界集落のそしりを免れないほどになっていて、寂しい限りだと話をされました。「その後若松さんはお元気でご活躍されているようで何よりです」と話され、「何でも池久保にセカンドハウスを建てられたということを風の便りに聞きました。是非一度伺いたいものです」というのです。「いつでもどうぞ」といったら「それじゃあお言葉に甘えて、皆さんに相談してあなたの都合に合わせますを風の便りに聞きました。是非一度伺いたいものです」というのです。「いつでもどうぞ」といったら「それじゃあお言葉に甘えて、皆さんに相談してあなたの都合に合わせますので、日時を決めてください。またお電話します」で分かれたのです。
それから早速黒田の奥さんから電話が入り12月9日に人間牧場へ8人で来ることが決まったのです。そして今日その日を迎えました。私は正直な話予定表には書き込んでいたのですが、忙しさの余りに少し向こうだとばかり思っていたのに、妻はちゃんと覚えていて、また黒田さんから昨晩丁寧にお電話があったのです。今日私は7時40分に家を出ました。8時には人間牧場についてまず鍵を開けボイラーの電源を入れ、風呂を溜めました。熱過ぎずぬる過ぎず、丁度良い温度は難しいのですが、8分目まで溜まったところで止め蓋をして保温しました。それからは暖簾を出したり、水平線の家の掃除をしたり、またストーブに薪を放り込み火を入れたり忙しく振舞いました。皆さんとの約束は9時半でしたが、田舎の人は時間が早いので9時15分にはもうにぎやかな話し声が聞こえていました。中には脛が悪く長道を歩くのは辛いようでしたが、リハビリのつもりで歩いたと陽気に8人のおばちゃんがやってきました。
早速8人全員が靴下を脱ぎズボンをまくって足湯です。少々小太りの人もいましたが、8人全員が座ることが出来てホッとしました。それでも風呂に足を突っ込み過ぎてズボンを少し濡らした人もいましたが、全て笑って水に流しました。それからは四方山話に花を咲かせました。
足湯から上がった人たちは再び水平線の家に上がってリクエストにお応えして私の話を1時間余り聞かれました。有難いことに8人全員が高座本をワンコインで購入してくれました。
奥東といえば私の出世作となったNHK明るい農村「村の若先生」というテレビ番組に、小網とともに紹介された集落です。あの頃若かった皆さんも、もちろん私もいい年令になりましたが、あの番組がなかった夕日との出会いもなかっただろうと思うと、懐かしい人たちなのです。私はおばちゃんたちに人間牧場の梅林で収穫した梅で作った梅ジュースを飲んでいただきました。みんな大層喜び、束の間の時間を楽しみ12時近くになったので、再会を約束してお別れしました。
私にとってもいい一日でした。自分を振り返るような時間的な暇は正直なところありませんが、それでもおばちゃんたちは私の記憶や人間性を20数年間引き戻してくれたのです。人間は足元を忘れてはならないと肝に銘じた一日でした
「懐かしき 人々今は おばちゃんに それもそのはず 俺もおじさん」
「足湯にて 足を突っ込み ズボン濡れ まるでおしっこ いいのいいのよ」
「足痛く 座れませんと 大根の ような大足 つき出し座る」
「ワンコイン 高座の本が また売れた これもお助け 割り切りました」