〇ペットボトルのお茶は不味い
最近会議に参加すると決まったように机の上にお茶のペットボトルが置かれています。これまでは主催者がお茶を沸かし、夏は冷えた麦茶がグラスで、冬は温かい番茶が陶器の湯呑で出てきたものですが、いつの間にかお茶や水は買うものという風潮が定着してしまいました。こんな風潮誰が考えたの?とよくよく考えてみると、やはりこの仕業には行政の愚か者が一枚かんでいるようです。行政は会議を開くことが大好きで、何でもかんでも会議を開き、そのことが住民参加や参画だと勘違いをしているのです。しかもこの会議の殆どは行政の言い訳ですから、成果があろうが無かろうがどっちでもいいことなのです。したがってお茶を沸かしたりお茶を出す手間暇など金で片付ければそれでいいのです。ペットボトルに入れたお茶だと片付けもゴミ置き場に出せばすれで済むのですから、机の上にお茶がこぼれる心配もなく、みんなが帰った後は電気を消す程度の終いで、これほど手間のかからない仕事はないのです。
先日環境を考える集会が持たれました。ある人が質問に立ち、「机の上に置かれているペットボトルのお茶」についてうん蓄を述べ始めたのです。「環境環境と二口目には言うし、エコとさえいえばこうして人が集まるが、環境を考える会議にペットボトルを机の上に無造作に置く主催者の考えの甘さが環境を悪くしているのではないか。お茶ぐらいは自分が飲みたければ自宅で作って持ち歩くくらいの実践が欲しい」といいました。参加者もはたと気がついたのか、賛成の拍手が起こりました。会議を主催した行政は「配慮が足らなくてすみません」と弁明しましたが、その弁明はその場限りで相変わらず次の会議もペットボトルは配られていました。
お茶や水が会議で配られるようになったのはまだ10年そこそこです。以前は確かに主催者の女性がお茶のサービスをしていました。ところが「女性がお茶汲みさせるとはけしからん。女性はお茶汲みではない」と男女同権の権利主張が社会の風潮となり、一気にペットボトルへと加速したのです。確かにお茶を汲むことは女性だけの仕事ではありません。私もそのことはわきまえて、職場ではお茶は自分で入れることを心がけてきました。最近は男性がお茶を汲んでくれる所も随分増えてきたようです。
ペットボトルに入れられたお茶の大半は飲め切れない量なので最後は勿体ないと思いつつ捨てます。わが家のように若者がいない家ではペットボトルに入れたお茶やジュースは殆ど買わないのに、私が会議から持って帰るペットボトルが増えて、毎月第三金曜日のペットボトル回収の日には指定された場所へ少ないながら持って行くほどの量になっているのですから驚きです。
ペットボトルに入れられたお茶を販売する自動販売機は、自動販売機王国といわれるように全国いたるところに設置され、中には車道や歩道にまではみ出して、交通の妨げになっているところもあるようです。どうやらこうしたペットボトルに入ったお茶が会議に出るようになった背景には商魂たくましい人たちの作戦があったようですが、日本全国にここまで普及すると止めようがないのが現状のようです。
昨日いっぷく亭という商店街の空き店舗を利用した集会所にお邪魔しましたが、湯のみで出していただいた心温まるお茶の一杯にどれほど癒されどれほど一服した気分になったことでしょう。もうそろそろペットボトルのお茶が無駄であることに気づいてもいい頃ではないでしょうか。あのお茶は不味いと思います。
「環境を 言いつつ机上 無造作に ペットボトルの お茶が出てくる」
「あのお茶は 人の温もり 感じない 機械が作り 機械が配る」
「勿体ない そんな時代に 育つ俺 残したお茶に 心が痛む」
「お茶を汲む 女の仕事 ではないと 言いつつ女 やはり嬉しい」