○言ってもらいたい褒め言葉
心理学の世界のことでしょうが、人間には承認の欲求というのがあって、認められるくらい嬉しいことはありません。特に子どもなどは認められるとそれを自分の得意分野だと思いこんで、どんどんその個性が伸びて行くのだそうです。これは何も人間だけではなく動物の世界でも当てはまるそうで、犬や猫などのペットを手なずけたり、芸当をさせたりする時にも使われる手段のようです。
私たちが関わっている地域づくりの世界でも、自分の業績が認められ表彰されたり、新聞で紹介されることがよくあります。それを鵜呑みにして自慢し過ぎる人がいるのはいただけない話ですが、それでも何もせずに「あれぐらいなことは誰でもできる」とか、「私もしようと思っていたが先を越された」なんて、人の業績を羨んだり苔降ろしたりする人よりはましですから、自慢話も聞いてあげるべきかも知れません。
つい最近新聞を読んでいると「言ってもらいたい褒め言葉」という本が出たそうです。まだその本を読んではいないのですが、このタイトルを見て人間の心理が分かるような気がしました。つまり人間は殆どの人がいつも褒め言葉を言ってもらいたいと待っているのです。褒め上手な人はそのことを心得ていて「あなたがこんなことをしてくれたから助かるわ」何て言葉をかけられると、今までの苦労も吹き飛ぶのです。逆に「こんなことして何になる」とくさされると、相手に対する憎悪となってしまうのです。
昨日のささいな出来事です。仕事が遅かった妻のために私は風呂を沸かしました。家では家事など殆ど何もしない私が風呂を沸かしたのです。そのうち家に帰った妻は休む間もなく夕食の準備に取り掛かりました。洗濯物を取り込み風呂を沸かそうと開けた途端、風呂が沸いていることに気づいた妻は、「お父さんありがとう、優しいのね」と褒めてくれました。60歳を超えた私が風呂を沸かしたくらいで褒めてもらって有頂天になることはないのですが、それでも妻の一言がその夜の食事を美味しくさせました。だから私も「おい、今日の料理は美味いな」と照れ気味に褒めました。妻は「まあ嬉しい。今度はどんな料理にしようかしら」と喜んでくれました。
もしこれが全く違った言葉だったらどうでしょう。私「風呂を沸かしておいたぞ」。妻「まあ珍しい。雨でも降らなきゃ良いが。風呂ぐらい沸かしたって当然でしょう。私は働いて帰って疲れているのですから」と言われると、多分「ガツン」ときて、私「そんなこと言うのだったらこれから何もしない。お前は人の手助けが分からないのか。このバカたれが」と、ますます険悪な人間関係になるのです。
相手を思いやる小さな心配りの褒め言葉がどれほど人間関係をよくしていくことでしょう。そう思うと人間は自分がしてもらいたいことは相手もしてもらいたいことなのだと、思って生きることが大切なようです。つまり人は自分を映す鏡なのです。いい生き方をしたいと思えばいい生き方を相手に与えることのようです。人の間と書いて人間と読むのですから・・・・。歯の浮くような褒め言葉はどうかと思いますが、爽やかな褒め言葉が発せられるよう心配りをして生きてゆきたいものです。
「助かるわ なんて一言 言われたら こいつ良い奴 思ってしまう」
「褒めながら 褒めてももらいつ 生きて行く 夫唱婦随の 二人三脚」
「くさすより 褒めて暮らすが 上策と いつも思うが ついつい悪態」
「こんなこと 褒めてもらって 言いつつも 悪い気しない ささいなお褒め」