○高知県春野町への旅
昨日は高知県春野町へ出かけました。普通高知県へは伊予インターから高速道路に乗り川之江を通って高知入りするのですが、時間的に少し余裕があるので久しぶりに国道33号線を通ってみました。道端には今を盛りと真赤な彼岸花が咲いて秋の風情を醸していました。ススキの穂も風になびいて心地よく、思わず窓を開けて走りました。
しかし高速道路とは偉いもので、殆どの車が国道33号線を通らず高速道路を走るようになったため、閑散とした道は逆に走りやすくとても快適でした。久万を下った所で秋の交通安全週間だからでしょうか、交通取締りが行われていて、何台かスピード違反で捕まっているようでしたが、余裕を持って走ったため何事もなく通過し、ホッと一息です。
春野町へはカーナビでセットすると佐川町から山沿いの道を選んでくれました。その指示にそって土佐市へ出る峠の道はとんでもない狭い道で、私の人間牧場へ行く道の方がもっとましだと思いながら曲がりくねったヘアピンカーブを忙しげにハンドルを切りながら走りました。沿道の畑には高知県特産の生姜が沢山植えられていて、間もなく収穫の時期を迎えるようでした。
帰りはどの道を通ろうかと思う間もなく春野町に到着です。少し早く着いたので春野高校の前に伸びるアジサイロードを見学しました。このアジサイロードへは3度くらいでしょうか婦人会や花の会の皆さんを連れて見学に来たことがあります。今は花のない季節なのであの艶やかな姿は見る影もなく、ひっそりと静まりかえっていました。その後四国霊場八十八ヵ所の一つである種間寺に参拝しました。折から降り出した雨のせいかここもまばらな人で、時折訪れる参拝客の読経の声や線香の煙が長閑な昼下がりを感じさせてくれました。
講演は春野町文化ホール「ピアステージ」という立派な文化会館です。2時に到着を約束していたため担当の企画調整課乾さんが玄関で出迎えてくれました。乾さんとは暑い盛りの8月7日、高知県県民文化ホールで開かれた高知県町村議員研修会の講演時打ち合わせを兼ねてお会いしていたので、一層の親しみを持ちました。
まあこの文化ホールは凄く立派でした。500人の収容だそうですが、2万人弱の人口規模の町には少々持て余し気味ではないかと思われるほどでした。私への講演依頼は、地域活性化センターが出版している「まちむら」という雑誌で知り、稲ターネットで調べたそうですが、不思議なご縁です。しかしこの講演会も予定していた7月14日に台風4号が接近し中止になってしまったのです。多分それで緊張の糸は切れるのですが、自治会や芳原地区の皆さんの強い要望により中止でなく延期となり、昨日という日がセットされたのです。この日は熱意ある人が沢山集まって、ステージの上で活気を感じながら熱を込めて2時間弱お話をさせてもらいました。
会終了後県立春野運動公園内にあるホテルSPに会場を移しての懇親会が行われ私もたっての希望で参加させてもらいました。やはり土佐人、酒の量は半端ではなく40人程度の参加者とは賑やかな交流が出来ました。残念ながら酒の飲めない私は相変わらずウーロン茶での乾杯となりました。
春野町は来年1月1日から隣の高知市と合併し高知市となる予定です。私たちの町が3年前そうであったように、合併への不安を隠しきれないような雰囲気でした。多分来年からは「こんなはずではなかった」と失意や落胆が待ち受けていることでしょう。でももう後戻りの出来ないことですから、思いをこめて生きて下さいと激励しました。また一つ日本の地図から残念ながら春野町という自治体が消えて行きます。
気になったのは昨日のような合併後の町の生き方を考える集会に役場職員の参加が相変わらず少ないことでした。講師の顔が悪いからかも知れないし、職員は役場職員から県庁所在地市役所職員に格上げされ、給料も上がることが予想されるのですから、こんな会場へ来る必要はないのかも知れません。でも合併に当って地域住民の不安を共有しておかないといい行政が出来ないことも事実です。住民目線のまちづくりは自治体が大きくなればなるほど疎かになります。よくよくご用心を願います。
「秋風に 誘われ走る 田舎道 彼岸花咲き 我を迎えん」
「急ぐ旅 でもない旅を 昔道 のんびりゆるり 曲がりくねって」
「ああまたも 地図から消える 自治体の 名前心に 深く刻んで」
「この道は いつか来た道 アジサイを 愛でに仲間と ワイワイガヤガヤ」