○みんな歳をとりました
先週の日曜日、わが家では母親の七回忌の法要を行いました。命日は10月4日なのですが法事は早めにということで和尚さんを呼んで仏壇の前と墓前で読経をしてもらいました。住職さんは八十歳を超えた方なのですが、最近は腰の具合が悪いとかで変って息子さんが来られました。弱々しい住職さんの読経に比べると若い和尚さんの読経は声も張り中々の勢いを感じました。ここにも世代交代の波が押し寄せているようです。
九十歳になる親父は12人兄弟姉妹の長男ですが、既に男2人女2人が他界しています。それでも8人兄弟は今も健在とはいえないが生きています。末っ子の叔母は私より一つ年上ですから、全ての兄弟が60歳を越えているのです。今回の法事にも4人の叔父や叔母が体の都合で欠席をしました。母の兄弟姉妹全て亡くなっているので、息子さんが三人出席してくれました。
法事の会場は久しぶりに出会ったため蜂の巣をつついたような賑やかさで旧交を温めましたが、話題は意外と淡白で、母の七回忌にもかかわらず母の思い出話は余り出ず、家族のこと、自分の健康のこと、年金暮らしのことが話題の中心のようでした。それでも私が食事時に母親の思い出話を含めて挨拶代わりに話すと、正気に戻ったのか母親の話題にスイッチが切り替わったように話し始めました。でもやっぱり健康不安の話に戻るのです。みんな歳をとりました。読経が流れる中仏壇の前に進んで焼香するのですが、まず何人かの叔母は急に立ち上がれないのです。たとえ立ち上がってもふらつく感じで危なかしくて見ていられませんでした。私や妻が手助けをしてやっとの思いで焼香を済ませるのです。座布団に正座することもできないので、食卓用の椅子を座敷の隅に並べましたが7席全て超満員ですし、中腰用の20センチ足らずの椅子も三つ全て出払い、座布団は空いた席が目立ちました。でも足腰が弱った分口に栄養が回ったのか口だけは喋る、食べる、飲むは衰えないとものだと感心しました。
奈良の弟が帰る時、「もうお前とは生きている間にはよう会わんかも知れん」と弱気な発言をする父も既に90歳です。塀越しに帰る弟の車が見えなくなるまで見送る父の背中は泣いているようでした。長男の私がこの家にいるのですが、いつも見慣れた私の顔など見ずに、異郷の地で暮す弟の身を案じるのは親の優しさなのでしょう。母が死んで6年余りを同じ敷地といいながら隠居で一人寂しく暮す父の寂しさを垣間見ました。私も心を入れ替え折に触れ親父と言葉を交わしたいと、殊勝なことを考えました。体の具合が思わしくなく今回の法事を欠席した叔父や叔母の見舞いにも行きたいと思っています。
「歳とりし 叔父や叔母見て 思うこと 若き頃見た 元気な姿」
「ああ俺も 二十年すりゃ ああなるか 今のうちにぞ やらねばならぬ」
「高齢化 目の当たりにて 見え隠れ 何処か侘しい 下り坂道」
「孫たちを 抱いてあやして くれる叔母 わが子ダブらせ 抱きし日々」