shin-1さんの日記

○今日も忙しい一日でした

 昨日の夕方出張先の高松から遅くに家に帰ると、妻が親父の託をいいました。「このところの雨不足で冬野菜の作付けや種蒔きが遅れていて、雨を待っていたのでは大根も育たないので、明日朝種を蒔くから手伝うように」というのです。そういえば去年のこの頃には青々とした大根の双葉が生えていたような記憶があるのです。親父は池を潰した上に建てた東屋の工事で、私は講演活動や腰の具合が悪いことなどを理由に、今年の種蒔きを渋っていましたが、ついに重い腰を上げたのです。

(一面真っ白な石灰を振り撒いた菜園)
(ネギも綺麗に植え替えられていました」

 今朝6時に、自宅横の家庭菜園へ行ってみると、畑はまるで雪が降ったように一面真っ白でした。親父は妻に頼んで近所の肥料屋さんに石灰を買いに行き振り撒いたのだそうです。実はこれが野菜作りにとっては大事な作業で、酸性化した土地を中和したりアルカリ化しなければ、作物が上手く育たないのです。朝ご飯を食べてから作業をしようと親父に伝えて妻と二人で朝ご飯を食べました。朝ご飯を既に終わっていた親父はその間耕運機を引っ張り出して中耕しせっせと畝を立てているではありませんか。90歳とは思えない健脚ぶりで、30歳も歳が若い私など足元にも及ばないのです。やがて畝に一本の糸が張られ親父が鍬で掘った溝に私が種を蒔いてゆくのです。大根の種はかなり小さく、目の薄い親父ではとても10センチ間隔で種を蒔くことはできないのです。ましてやカブの種となると益々小さくて、私でさえもかなり苦労をしました。私が蒔いた種を親父は薄く土を被せ、その上に籾殻を蒔いて保水を補助をするのです。

 種蒔きが終わったので私は風呂に入って身支度を整えシーサイド公園へ出かけました。地元の新聞の取材を受けるため9時に待ち合わせをしていました。今日の取材は人間牧場なので別々の車で下灘コミュニティセンター駐車場まで行き、新聞社の渡部さんを乗せて山道を登りました。渡部さんは菊間町松尾地区出身とか、旧菊間町役場の渡部さんとは同級生だと聞いて二度びっくりです。松尾地区へは何度も足を運んだだけに懐かしさも一入です。取材が終わって渡部さんをトラックに乗せ下山して別れ、私は再び人間牧場へ向かいました。今日は午後中予地区の商工会女性部の指導者研修会が人間牧場で予定されているのです。それまでに掃除をしたり、風呂を沸かしたりと思っていたのですが、時間的な余裕がなく足湯を断念せざるを得なくなりました。



 やがて商工会の尾形さんや久万高原町の渡辺さんなど40名ほどの美しい?女性がゾロゾロやって来ました。中には顔見知りも沢山いて、私の話目当てにやって来たのだと懐かしい会話を交わしましたが、正直言って「話しにくいなあ」と思いましたが、この場に及んで後に引くこともできず、請われるままに1時半から3時まで魚梁瀬杉の高座に座布団を敷いて上がりました。皆さん熱心に聞いてもらいました。今日の人間牧場は吹き抜ける風も心地よく、遠望は利かないものの心配された「夕方から雨」の予想もはずれ、時折薄日の差すまずまずの天気で、皆さん満足の様子でした。

 4時過ぎに近づいた研修会の打ち合わせのため来客が来るので、急いで人間牧場の片づけをして女性の皆さんの後を追うように下山し、わが家に帰って来ました。松山から来た次の来客3人はは既にわが家に到着していて、親父の案内で海舟館や煙会所の見学をしていました。物珍しいものが沢山あるので、皆さんは目を白黒させながら見学していました。最近はわが家のこうした見学に加え、15分も離れた人間牧場の見学が加わったため何かと忙しく、ガソリン代も高いことから馬鹿にはならないほどで、数日前に入れたトラックのガソリンが早くも底をつきそうなのです。今日は人間牧場へ2回上がりましたが、多い日には4回も上がるのです。それでも皆さんが喜んでくれるので極力対応するようにしているのです。

 明日も午前中10人程の人が人間牧場にやって来る予定です。明日はその後松山で講演会です。不思議なものであれ程不具合だった腰の具合が商工会女性部の皆さんのお陰で随分楽になりました。

  「今日もまた 人間牧場 大盛況 中年女性 美しかりけり」

  「牧場は なんぼで出来た 聞く人に お金じゃないよ 想いと答え」

  「その昔 一緒に活動 した仲間 今日は女性部 化粧厚めで」

  「あちこちの 土産持参で やって来た やはり女性は 気配り違う」 

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