○里帰りの場所
最近埼玉に住む古い友人から一本の電話が架かってきました。この方は愛媛県中予出身の団塊の世代の方なのですが、最近になって両親が相次いで他界し、時々帰省していた両親の家も人手に渡り、帰省する田舎がなくなってしまったようです。高校を卒業して直ぐに上京して就職、埼玉県で一戸建ての家を手に入れ、ローンを払いながら毎日片道1時間をかけて電車で通勤していました。今年の秋の誕生日には目出度く退職するようですが、退職を前に色々と自分の過ぎ越し半生やこれからの人生を考えるようになったと、電話で長々話されされました。そして最後に私の人間牧場について語られました。その話は以下のとおりです。
東京やその周辺には私のような生い立ちの人が沢山います。高校を出ると直ぐに上京し、一生懸命働きました。そして結婚、狭いながらも住処を手に入れ、ローンを払いながら二人の子どもを大学へやりました。田舎に残した両親のことも気がかりで若い頃は毎年のように帰省していましたが、子どもに教育費がかかるようになると、ついつい間延びして、最近は余程のことがない限りは帰省もしませんでした。そのため兄夫婦との折り合いも悪く、両親が特老施設で他界した時も遺産相続でもめにもめて、結局は裁判沙汰になる有様です。私の妻は東北の出身なので、そちらの付き合いが中心で、このままだと完全に愛媛県との縁は切れてゆくような気がするのです。先日還暦の同級会があって帰省し友人からあなたの話を懐かしく聞きました。聞くところによるとあなたは人間牧場を造られてご活躍とのこと、私は一瞬目の前が明るくなったような気持ちになりました。出来ればあなたの造られた人間牧場を私のような田舎を求める人たちに使わせていただけないでしょうか。この話をしたら同じ都会に住む仲間に話したら、私の話に大賛成で若松さんにこの話をお前がしろという事になったのです。勿論お金は払いますし、余り迷惑をかけないようにしたいと思いますが、この話如何でしょうか。
まあざっとこんな話でした。この文章を読んだあなたならどうされるでしょう。最近は田舎のみならず愛媛県全体も過疎で、団塊の世代を当て込んで人口を増やそうとする自治体の動きが活発になってきました。確かに都会の暮らしに疲れた人の心を癒す自然や人情は田舎の持つ魅力でしょうし、人口の増加も魅力なのですが、この話は冷静に考えないと大変な間違いが起こる危険性をはらんでいるようです。それは過去に私自身苦い経験をしているからです。
20数年も前のことでした。夕日と海に憧れ都会から移り住みたいという人を、地域振興や村おこしを担当して私は真に受けてお世話しました。高給取りだったこともあって蓄財がかなりあったのかトントン拍子に話が進み、地域からもよくぞ都会から人を呼んでくれたと褒めていただき私は鼻高々でした。ところが2~3年するとこのご夫婦と地域の間に微妙な摩擦が起こり始めたのです。水当番はしない、道普請はしない、地域の人の付き合いもしない、全て金で解決しようとしたのです。ご主人は公民館の集会には来なくても松山のカルチャースクールに通い、奥さんは着飾って松山でお買い物や趣味三昧の日々でした。家の前で猫が車に引かれて死ぬとやれ行政だ、やれ区長だと権利は主張して益々地域の人気はダウンしてしまいました。
ご主人が心筋梗塞で亡くなった時は組内にもそっぽを向かれ松山の斎場で葬式が行われました。車の運転が出来たご主人が死ぬと免許証を持たない奥さんの暮らしはたちまち立ち行かなくなり、結局は特老に入って、寂しい余生を過ごしたようです。
私は人間牧場を持っています。でもこれは都会の暮らしに疲れた人の慈善事業に使うために造った施設ではないのです。若い間は都会の便利で快適な暮らしをぬくぬくとやって、歳を取ったから俺の郷愁に付き合えとは多少虫が良過ぎるような気もするのです。田舎暮らしの価値観の基本はお金ではなく温かい心であることを今一度考えなければならないようです。
さて私は古い友人にどうこのことを話せばいいのでしょうか。人間牧場は里帰りの場所にはならぬと。
「一本の 電話しみじみ 人生を 里帰りする 場所になれとは」
「六十路越え 段々田舎 恋しくて 帰りたいけど 帰る場所なく」
「田舎ゆえ しがらみ多い これまでの 我慢努力が 今を築きぬ」
「まるで亀 だったけれども これからは ウサギの如く テープを切ろう」