○面接をして感じること
この数日、とある就職試験の面接を依頼され出かけて行きました。これまではどちらかというと内部で隠密裏に学科試験と面接をするのが普通でしたが、試験結果の開示が求められたり、いい人材を取るためには、外なる目も加えた客観的な判断をした方がいいという事になったようです。さてその外なる目とは一体どういう目なのか、これも注意深いことなのですが、どういう訳か私に白羽の矢がたったのです。
最近は履歴書の様式も随分変って家族構成など本人の資質と余り関係のない事については書かないようですし、逆に本人の自己アピールやこれまでのボランティア活動の様子が詳しく書かれているようです。履歴書は個人情報のエキスのようなものですから、試験をする側に事前に送ると漏洩になるのでその場で配布され、試験が終わるとその場で回収されるようになっています。僅か数分の寸暇を惜しんで経歴書に目を通し質問事項を考え質問するのですが、こちらの準備不足は否めず、ついつい書いていることに対して質問するようになるのです。
受験者は番号順に呼ばれてドアをノックするところから始まり、私たち試験官の前で受験番号と名前を言ってから質問に答え、時間が来れば再びドアの向こうに消えて行くのですが、受験者の緊張は大変なもので、緊張している雰囲気が見るからに読み取れるほどの汗をかき、震えている人もいてこちらまで緊張してしまうのです。
人間には自分の人生において何度かこうした修羅場をくぐらなければならないようになっていて、高校受験、大学受験、就職試験など様々な関門が待ち受けています。一発で合格する人もいれば何度挑戦してもその関門を越えれない人だっているのです。
今回試験に立ち会ってみて感じることは、ペーパーテストという第一次試験の結果はさておき、人の前で自己主張をはっきりできる人が合格を勝ち得るようです。自己アピールは自分の欠点を知り尽くした上で長所をはっきりとした言葉で語らなければなりません。人数が多くなればなるほどオンリーワンを持った人は輝きます。ところがボランティア活動などしたこともないのにさも活動をしたように書いたり喋ったりすると、百戦錬磨の試験官に見破られ、辻褄が合わなくなって赤恥をかくのです。
わが娘や息子たちも親の知らない世界でこうした関門をくぐって今を生きていると思うとついつい頼もしく見えたりするのですが、試験をする人の私見でその人の人生が変わるのですから、公平に、それでいてその人の良さを最大限に発揮できるようこちらとしても真剣に対応させてもらいました。
やがて数日後、この受験者全員に合格通知と不合格通知というどちらかの運命の封書が届きます。夢が叶って来年の春を迎えるウキウキで迎える人、夢破れて再び重い心で次の機会を狙う人など人生模様は様々ですが、いい通知が来るように祈りたいものです。
余談ですが、私のように転職をした人間からすれば多少回り道や寄り道をして社会勉強、人生勉強をして世の中の厳しさを知っている人の方がいい人生観を持っているような気がしました。
「この俺が つける点数 この人の 人生決める しっかりせねば」
「男より 女性のほうが しっかりと これも時代の 流れだろうか」
「もし俺が 反対だったら 不合格 それほど今の 若者凄い」
「回り道 して来たことは 無駄でなし ちゃんと見ている 試験する人」