○妻の操縦法10ヶ条・その④
第8条 妻の楽しみを認めるべし(心のうさの捨て所)
妻にとって家庭は日常、海底の外は非日常な社会です。わが妻にとって非日常は職場、ボランティア活動、仲間との活動などがありますが、性場、ボランティア、仲間それぞれに楽しい出会いや活動があるようです。職場は近所の歯医者さんでパート勤務をしていますが、準日常的な仕事場も患者さんとの出会いや同僚との交流などとても楽しそうです。ボランティア活動は主に民生児童委員という大役を15年間も仰せつかって活動していますが、合併によって広くなった仲間づきあいは行ったり来たりで、先日も気心の知れた方々を煙会所に招くなど、これまで町内しか広がらなかった交流が少し広くなっているようです。また妻は2つの仲間グループに所属しています。いずれも4人ほどの小さなグループですが、旅行目の的貯蓄をして毎年あちらこちらへ小さな旅行をしているのです。多分何のわだかまりもないこの友人グループでの世間話や小旅行が一番命の洗濯をしているのかもしれません。これといって楽しみのない妻、高齢化した親父の世話や家族の世話をする妻、仕事も頑張る妻にとって心のうさの捨て所は必要なのでしょう。そんなにお金を使うわけでもない妻の楽しみを認めてやるべきです。
第9条 妻と生活設計を語るべし
家庭は夫婦の合作ですが、シナリオである生活設計を語り合いその実現に向けて努力するプロセスこそ大切です。30歳で家を建てたいという願望を二人が語り合い、その実現に向けて努力した結果今の家が建ちました。勿論親と折半といいながら私たちには何の財産も資金もありませんでした。でも綿密な資金返済計画を立て15年の計画を繰上げ償還し10年で完済しました。また子どもの自立に向けた子育てや人間牧場のような夢の実現も何とか出来ました。幸い私は金融広報委員会の金融広報アドバイザーをしており、健康の貯蓄、人間関係の貯蓄、知識の貯蓄、金銭の貯蓄、感動の貯蓄をベースにした生活設計の必要性を人々に話してきました。自分が実践できないことを人に幾ら話してもそれは絵に書いた餅にしか過ぎないのです。自ら夫婦で生活設計を語り合いながら実践してきた30数年の実績は妻にとって大きな心の支えだったに違いありません。
第10条 妻は顔でなく心たるべし
若い頃は誰でもよき伴侶の条件に顔の美しさを挙げます。確かにブスより美人に越したことはありません。でも顔が幾らよくても心の貧しい人はいい妻とは言えません。私の友人に奥さんもそれなりに美人、夫もそれなりに男前、しかも家付きカーつき、ババア抜きなどというかつての流行語そのままな理想の夫婦がいます。若い頃は何の苦労もなく休みには二人でよく出かけておりました。羨ましいなあと思ったこともありましたが、さて今はどうでしょう。長男嫁と姑の人間関係が上手く行かず、ご主人も病気がちで憂うつそうなお二人を見るたびに、人間には早咲きと遅咲きがあるのかも知れないと思ったりします。私は妻を顔で選びませんでした。私の顔で言えた柄ではありませんが、私の妻は心だけは(いえ少しだけ顔も・・・)100点満点なのです。
先日二人で老後のことについて話し合いました。私のご近所、私の親類も高齢化が目立ち、私たちもいよいよ好む好まざるとにかかわらず高齢者の仲間入りです。せめて「ニコニコ・ピンピン・コロリンシャン」と生きたいものです。老後とは老いた後と書きますので、老後は死んだ後です。死ぬまでは現役、百歳現役の気概を持って二人で元気に生きたいと思います。
「お父さん この服どうと 訪ねるが 似合ういわねば 甲斐性がないと」
「顔よりも 心で選んだ 僕の妻 今も変わらず 心晴れ晴れ」
「腹が出て 胸引っこんで 妻実年 ズボンゴム入り 何とか入る」
「今がある 妻がいるから 俺がある 苦労かけたが これから先は」