shin-1さんの日記

○追いかけられた夢の続き

 訳あって一線を画していた国立大洲青少年交流の家へ、まるで雪解け水のように昨年度は運営委員会や実行委員会を中心として頻繁に出かけました。人は逢えば逢うほど逢いたくなるもので、3月には大洲のとある飲み屋で海千山千の多勢を相手に無勢の私が他流試合を挑み、次は4月に人間牧場で再会を約して別れていました。ところが私の日程は4月になっても相変わらず空きが少なく、約束を気にしながら悶々の日々を過ごしていました。

 何日か前、偶然にもその担当者の夢を見たのです。夢の中で私は彼に追いかけられました。詳しいことは夢なので記憶が定かではないのですが、心の負い目というのは夢にまで出てくるのですから相当なストレスだったのでしょう。私は夢から覚めた3時過ぎに早速彼にメールを打ちました。「人間牧場へ約束した4月中なら26日か27日なら空いているがどうですか」と・・・・。早速彼から返信メールが入り今日4月26日の来訪となったのです。

 本日参加したのは交流の家の所長さん以下7人の職員、それに料理を担当した妻と私です。妻は午前中仕事、午後は特別養護老人ホームでの会合、それに民生委員会の会合が伊予市で予定されていて、料理を作る暇がなく、おでんをベースにした料理の下ごしらえは昨晩から寸暇を惜しんで作っていたようです。

 私は午前中の打ち合わせ会を早めに終えて昼食後人間牧場に向かい、掃除や囲炉裏の蓋を外して五徳を据えつけ炭で火熾しをしたり準備作業をしました。今日は春霞がかかっていて遠望は出来ませんでしたが、それでも綺麗な夕日が落ち、もう少し早く来れば自慢の夕日を見せれるのにと思いつつ再び妻と料理や飲み物を車に積んで人間牧場へ上がってゆきました。約束の午後7時きっかりに、二日前の事前下見で確認した道をしっかり覚えていた浅野さんの道案内でやって来ました。聞けば海岸国道378号を通って自慢の夕日はしっかり見ながら来たというのです。

 一通り施設を案内し西の空の明るさで眺望を楽しみながら懇親会をしました。飲むほどに酔うほどに話は盛り上がり2時間半があっという間に過ぎてゆきました。勿論私への鋭い質問もさることながら、同伴した妻を肴に内助の功について様々な質問が飛び交いました。

 私設公民館煙会所でもそうでしたが、わが家や人間牧場に来た殆どの人は、妻の献身的なお世話を不思議がります。大きなお世話と跳ね返すのですが、私も不思議なほど妻は来客を迎えるのに嫌な顔ひとつせず誠心誠意迎えてくれます。昨晩も私が床についてからおでんの具材を調理して今日に備えていましたし、酒の手配などもきっちりやって、それでいて親父の夕食をつくったり、民生委員会に出席したり、また午前中は仕事にまで出かけているのです。ただ今午後11時45分ですが、今日使った食器類を食器洗い機に3回転目でしょうがゴソゴソやっているようです。私は風呂に入りパソコンに向かって今日一日を思い出しながらブログを書いているというのにです。

 それにしても夢で浅野さんに追いかけられ、人間牧場まで夢の続きで追いかけられた今日の交流も楽しく意義あるものとなりました。気さくな所長さん、両課長さんはじめ職員の方々とまた会いたいものです。

  「俺褒めず 妻褒め話す 来客に 悪い気はせず 側耳立てり」

  「日が暮れて 五徳にかけた おでん食い 賑やか語る 今日も楽しや」

  「月明かり 照らす山道 一列に 並んで消える 訪ねし人々」

  「夢にみた 人に再び 追いかけの 話し弾んで 次はいつかと」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○氏神様の建設事業

 この2年間、自治会長として様々な地域課題に取り組み、地域の自治活動にかかわってきましたが、中でも氏神様である天一稲荷神社の建設問題ではかなりの苦心をしました。これまで政治活動や宗教活動には公僕の身だったのでまったくタブーとされる世界として傍観していました、しかし自治会長となると市会議員の選挙や県議会議員の選挙への地元貢献もしなければならず、氏神様の春と秋の祭礼は総代会の副会長として寄付行為や祭礼の運営にも深く関わらなければならなかったのです。

 私が自治会長に就任した時には既に神社の建設問題は一見速いスピードで進んでいるように思われました。でも氏子である住民の意見を十分に掘り起こすこともなく進めていた、一戸当たり一律15万円もの資金拠出の説明会が大もめとなって白紙に戻ってしまいました。訳も分らぬままにいきなりトンネルの暗闇に入った建設問題を正常化するには一度ゼロに戻し合意形成を組み立てていく以外ないと判断し、住民集会や文章での周知徹底、建設委員会の組織化など様々な苦労を重ねてきました。

 こうした作業は得てして推進者に対する不満意見が出て、誰か悪者を作り責任を取らさなければ収まらないものです。でもそれだけは避けたいと頑張りましたが、結果的には「あの人がこんなことをするからこうなった」という目に見えない意見の責任を取る形で、代表者が身を引き一件落着したのです。

 総代会の意見は密室で行われるため情報公開されていませんでした。また総代も1~2年の義務任期なので氏子への説明も不十分で噂話程度の説明しかしていなかったので、約500戸の氏子にチラシのような文書を作成し周知徹底を図りました。建設委員会も時には一週間に一度ペースで開き、様々な問題をクリアーしてきました。

 総代会の正常化、建設委員会の組織立ち上げ、建設の根拠となる専門家による建築診断、診断結果の検討と建築方針決定、住民説明会の開催、氏子への資金積み立て周知徹底などを経て建設に至るまで1年半も費やし、今年の春やっと入札で施工業者が決定し今は秋の完成に向けて工事が進んでいるのです。

 建設半ばなので責任を取る意味からも自治会長は再任という大方の意見でしたが、建設委員だけは続けるという約束でその大役を3月末で降りました。

 昨日は新たに発生した資金不足を補うための特別寄付をお願いする文章の作成を頼まれたので、久しぶりに神社に赴き、建設風景を見学させてもらいました。拝殿の屋根の葺き替え工事、幣殿の新築工事、本殿への階段工事なども順調で、完成予定は10月なのに予想以上の進捗で、夏ごろには完成するようです。

 降って湧いた田舎の小さな氏神様の建設を巡る小さな騒動は、記憶の彼方に消えてゆこうとしています。そんな小さな騒動をまとめて氏神様を守ろうと努力した自治会長の奮戦記は、私だけの、多分人には読まれないであろう小さな名もなきブログの1ページとして消えてゆくことでしょう。

 追伸

   数ヶ月前、氏神様の工事を前に現況写真を撮っておこうと、パラグライダーに乗る友人に、上空からの写真をお願いしまし  

  先日その写真がDVDで届きました。綺麗に撮れていました。

  「氏神を 巡る小さな 騒動も 歴史の隅に 忘れ去りゆく」

  「寄付金を 募る文章 起案する さてどれだけの 人が賛同?」

  「おだてられ その気になって 頑張った 過ぎてしまえば 苦き思い出」

  「ああ俺も 田舎の隅で 消える露 せめて存在 心によぎる」

[ この記事をシェアする ]