shin-1さんの日記

○大豆の不思議

 料理研究家辰巳芳子さんが提唱する「大豆100粒運動」の話をある雑誌で読みました。そんな馬鹿な話があるかとお思いでしょうが、あるとき辰巳さんは必要あってさらした後の小豆の皮を地元の餡屋さんから貰ったそうです。その皮を水で洗おうとすると1分としないうちに背中に痛がゆい感覚が走ったそうです。一緒に洗っていた人も、「先生足がかゆい」と悲鳴を上げました。ただごとではないと思い人に話を聞いたり調べ物をしたりすると、餡屋さんも豆腐屋さんも「豆を洗うといつも体がかゆい」と言うのです。色々と考え、ポストハーベストと呼ばれる残留農薬の問題や遺伝子組み換え作物のことなどを考えました。以前から日本の食卓の危険については見聞きをして気をつけていましたが、そのとき「食の危機はここまで迫っている。自分さえよければいいという利己的な身の処し方したまま、子どもたちのいのちを養う安全な食べ物を用意せずに死んでしまっては、料理の仕事に携わる者として責任が果たせない」と思って、NPO「良い食材を伝える会」を設立したのだそうです。

 日本の大豆自給率はたった5パーセント、しかも輸入物には遺伝子組み換え大豆が多いということへの懸念。豆腐に味噌、醤油、「お豆さん」と愛称を付けて親しんできた日本の豆文化を昔のものにしてはならないという想いで子どもの力を借りることにしたのです。「大豆100粒運動」の決まりは子どもたちに観察日記をつけてもらうことを一つの決まりごとにしています。勝つ度が始まって3年、種蒔きから収穫、更にはそれを食べることをとおして命のしくみ不思議を知る、食への感謝の心を養い、地域で農業を担う人ともふれあい、多くのことを子どもも先生も学んだようです。

 ふと、私は考えました。私の大好物の昨夜食べた豆腐はどこの国の大豆で作っているのだろう。醤油は、味噌はと思いを巡らせながら、お醤油、お豆腐、お味噌など「お」をつける私たちの食卓に欠かせない食べ物のことを考えてみました。勿論それらをつかさどる「おふくろ」さえもそんな日本の食文化を知らぬまま、朝飯さえもパンやコーヒーで代用して日々の暮しをしているのです。自給率5パーセントとは、私たちの食べている味噌や醤油や豆腐の95パーセントまでが外国産だというのですから驚きです。そういえばつい最近「手づくり豆腐」とか、「国産大豆使用」とかを売り物にした豆腐が出回るようになりました。「豆腐は手づくりじゃなかったの?」、「えっ、大豆は国産じゃあないの?」と一瞬考え込んでしまいました。近頃は私たちが子どもの頃に食べたあの堅い木綿豆腐にすっかり出会わなくなりました。絹ごしか何か分りませんがお皿から箸で挟めない柔らかい、限りなく水に近い豆腐が余りにも多いように思うのです。

 今年は人間牧場で実験的に大豆100運動を始めて見ようと思います。大豆だとイノシシにはやられませんが目ざとい鳥の被害は覚悟しなければなりません。でも人間牧場産大豆100パーセント使用の豆腐を作って食べるのも面白いと直感しました。顔見知りの種苗店に出かけて訳を話し、良質な大豆種を分けてもらって早速作付けしなければなりません。芋から豆腐へまた新たな遊び心が始まりました。

 お百姓さんにしかられますが、「儲け度外視の農業遊びは面白い」という話をリタイア百姓から聞きました。収穫もさることながら収穫に至るプロセスを楽しむことができるのも農業の楽しみです。何だかまたワクワクしてきそうです。

  「この豆腐 どこ産大豆 尋ねるが 加工品です 答える義務は?」

  「遺伝子を 組み換え作る 大豆にて 一丁あがり 嘆いてみても」

  「この豆腐 豆が腐ると 書いてある 腐ったものを 白で帳消し」

  「歯に応う 豆腐が好きな 私には 箸でつかめぬ 豆腐多過ぎ」  

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shin-1さんの日記

○shin-1さんの日記をプリント

 私は古い人間です。毎日書いてる「shin-1さんの日記」というブログも電子情報として毎日記録しているのですが、「もしパソコンのトラブルでこれらの記事がパーになったらどうしよう」と思うのですから、取り越し苦労も大変なものです。息子にこの事を話したら、「じゃあペーパーにプリントしといたら。でも火事になった焼けるかも」と冷たくあしらわれた反論には「その通り」と返す言葉もありませんでした。でも、でもやっぱり気になるなあと思いつつ昨日から、空いた時間を割いてプリントし始めました。自分のアメブロには月毎の本数が左肩隅に記録されていますが、大体平均30本から多い時で月50本くらいを書いています。ちなみにこれを私のエプソンプリンターでプリントすると昨日半日で4ヶ月くらいが限度です。途中インクのカートリッジ不足を示すランプが点灯してインクをセットし直し、その内用意した再生紙が足らなくなって、役場の知人に頼んで一締め分けてもらうなどハプニングもありましたが、何とか4ヶ月分をプリントアウトし、パンチで穴を開け表紙を付けてみました。凄いものです。毎日コツコツ書いた記事ですが凄い量なのです。今日中に2ヶ月分をプリントして半年分をまとめてみようと思っています。

 先日意思半ばで亡くなった同じ歳の人の遺品整理が話題になりました。その人は建築家らしく若い頃から文筆や建築物の写真を小まめに撮って保存していたようです。その量たるや相当なもので、その道の人にとっては喉から手が出るような貴重なものなのです。しかし遺族やその価値を知らない者にとってはこれらの遺品はゴミそのもです。薄汚れた封筒に入れている文章の数々も写真のネガも整理することも出来ず結局は友人の手によって整理が行われようとしていますが、手をつけたもののこれがまた厄介なもので全て手作業ですから時間と手間は相当なものです。

 人は死んでから生きた価値が認められる悲しい運命を持っています。勿論生前に価値が認められ勲章などをいただく人もいますが、それは晩年の出来事で勲章など貰っても殆ど役に立たないばかりか、祝賀の宴を開いて思わぬ出費を強いられたと嘆く人だっているのです。その人の遺品を前にして自分自身の生き方を考えてみました。はて私はどうなのだろうと・・・・。遺品には財産的価値があるものとそうでないものがあります。財産的価値があるものはほおっておいても家族みんなが受け継いでくれますが、私の遺品など恐らく妻さえも涙の枯れた1ヶ月か1年後にゴミとして扱うに違いありません。

 そのためには死んでから人の迷惑にならぬよう、死への準備を早めにしておかなければなりません。要らないものは捨てるをモットーに処分することです。私の書いたものなど何の価値もないのですから・・・・。そうも思いつつまた今日もこうして訳も分らぬ戯言を心の趣くままにブログという手段で記録する、そしてそれをよりにもよってプリントして保存するとは、人間って不思議な動物です。

 このところ私の書斎が「広くなったようだ」と妻がいうのです。「本に囲まれて暮らしているようだ。少し片付けたら」といつもガミガミ言われた本の殆どは人間牧場の知的空間に引越しし、更に要らない本や手紙、名刺、資料類は毎月一回畑の隅の自家用ドラム缶焼却炉で焼却処分します。昨日もシトラー3箱分を処分しました。上手な整理整頓の最たるポイントは「捨てる」がキーワードですから、これからもどんどん捨てる予定です。

 南向き、家裏に面する書斎は吐き出し窓のため知人友人は玄関を通らず私の居場所にやって来ます。昨日は伊方町三崎の塩崎君が松山への帰りにやって来ました。私の書斎での面談となりましたが、ブログをプリント作業しながら少し片付いた場所での会話は楽しいものでした。

  「プリントを しないと不安 俺世代 馬鹿じゃないのと 言われつつも」

  「価値などは ないに等しき 書き文字を 大事小事に 綴って保管」

  「目に見えぬ 心が大事と 人はいう 心どこかと 孫が尋ねる」

  「火に焼いて なくしてしまえば 諦めも つくぞとばかり 篭に三杯」 

  

 

 

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