shin-1さんの日記

○人間の遺伝子

 車での移動時間が比較的長い私は車内のカーラジオを聞くのが楽しみです。知らない地域へ行くと知らない地域の情報が流れ楽しいものです。しかしラジオの欠点は山や谷に遮られて電波の調子が悪いと聞こえにくくイライラすることが多いので、そんな時最近はテープを持ち込みラジカセとして利用しています。中でも埼玉県熊谷市の龍前宏さんから送られて来たテープを聞くのはとても新鮮な感じがして、1本のテープを何回も聞いています。その中に筑波大学の名誉教授村上和雄さんの興味深い話がありました。運転中なのでメモもできず聞き流し情報となっていますが、お医者さんらしい遺伝子の話を分り易く話しておられました。

 先生の話によると人間の体には万巻の書物に匹敵するくらいの膨大な遺伝子暗号が組み込まれており、それが一分一秒の休みなく生きるという目的にために性格に動いているのだそうです。それを可能にしているのは人間の知恵や工夫によるものではなく、大自然の偉大な力(サムシング・グレート)で、この事実を本当に理解できれば素晴らしい人生が開けるのではないかと、日夜研究しているのだそうですが、最近の医学は目覚しく遺伝子には一種のスイッチがあり、色々な刺激によってそのスイッチがオンになることが分ってきたのです。

 先生は、よい目的や志を持てば良い遺伝子のスイッチがオンになり体や能力が活性化するという仮説を立てて、これを科学の言葉で説明できないか研究しているのだそうです。なぜならもしよい遺伝子のスイッチをオンにし、悪い遺伝子のスイッチはオフにして寝かせるなら人間にとってこの上ない可能性が開けてくるのです。

 先生の話で最も興味深かったのは、大天才と普通の人の遺伝子暗号で違いがあるのは千に一個、さらにその中で意味のある違いは十分の一個に過ぎないという話でした。つまり大天才と普通の人は遺伝子の暗号レベルでは差は殆どないというのです。人間の殆ど99.9パーセントが同じだとすると一体違いは何なのか、こう考えると私たち凡人の目は俄然輝いてやる気が湧いてくるのです。0.1パーセントの違いとは「志」があるかどうかの違いなのかも知れません。その例としえ糖尿病やガンの臨床例を挙げておられました。

 今の日本は現代病といわれる糖尿病の患者が急増しています。その糖尿病にとって笑いが食後の血糖値を大幅に抑える効果があることが発見されたそうです。「えっ、糖尿病が笑いで?」と笑うに笑えない話に耳を疑う人も多いでしょうが、笑いが遺伝子のオンとオフのスイッチに関係するというのです。早い話し人間は病気をしたくないけど病気にかかり、時には入院をします。すると病気の知識を知り退院後は病気にならないための志を持って日々を暮らします。これは病気になったことが病気を治すスイッチをオンにするのです。そういえば思い当たることは沢山あるような気がします。現に私も入院して胆嚢を取った折、先生から色々な知識と暮らし方の注意を受けました。私の遺伝子の病気を直すスイッチがオンになったのです。

 先生は日本人への警鐘として、運動不足を心配されていました。そういえば私たちの暮しは便利になり過ぎて体を動かすことが少なくなってきました。体を動かさず知的労働で楽をして金儲けする人が増えてきました。体を動かして汗水たらす労働は知的労働より下という考えが社会に蔓延し、若者の職業観も3K産業を敬遠しがちです。先生の言葉を借りれば健康に最もよい仕事は体を動かす農業や漁業といったような仕事なのかも知れません。

 思わず体を動かして見ました。「あっ、私の体の遺伝子のスイッチがオンになった」。そう思った瞬間でした。

  「人は皆 同じ遺伝子 持っている 少しの違いは 志だけ」

  「スイッチを オンにしたなら 生き生きと 生きてゆけると いうのですから」

  「糖尿の 血糖下げる 効果あり 笑いは妙薬 アッハッハのハ」

  「日赤に 息子入社し 健康の ことが気になる スイッチオンだ」 


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shin-1さんの日記

○観光カリスマ百選になって

 もう5年も前の出来事です。当時の内閣府から何人かの人が訪ねてきて、私の観光関係の身元調査を始めました。観光といっても観光不毛といわれた双海町で何の調査を始めるのだろうと静観していましたが、やがて私の話を聞いたり私の案内で観光施設を回ったりして帰って行きました。その後色々な資料のやり取りがありましたが平成15年7月1日、「観光カリスマ百選選定委員会島田晴雄」」なる人から仰々しい認定証が送られてきました。何せ当時はあの奇人変人と言われた小泉純一郎さんが総理大臣で、観光立国なるスローガンを掲げていた時期であり、その目玉として観光カリスマ百選などの新しい戦術をアピールし、その頭脳集団の一員として知恵を伝習していた方が島田さんだったのです。それからです。私の身辺が少し騒がしくなってきました。私が選ばれたのは第3回の選定委員会ですからまだ50人にも満たない時期で、物珍しさも手伝ってあちらこちらから様々なアプローチがありました。私はその頃既に地域振興課長(別名夕焼け課長)から町の教育長に転身していましたので、教育委員会関係者は私の称号に目をパチクリしたものです。

 広辞苑によるとカリスマとは、超人間的・非日常的資質、英雄・予言者などにみられる。カリスマ的資質を持つものと、それに帰依するものとの統合を、マックス・ウェーバーはカリスマ的支配と呼び、指導者による支配類型の一つとした。とあるのです。最初広辞苑を読んで調べた時、これは大変な称号だと思い、辞退したのですが時既に遅しでした。観光カリスマに選ばれた全国の方々には有名な観光地を作られた方々が名前を連ねていられるのです。その後内閣府から観光を担当する国土交通省へ所管が変わりましたが、政府のホームページで流れるものですから観光カリスマが一人歩きして、今でもその称号の持つ凄さの前にたじろいているのです。

 観光カリスマが100人選ばれたところで日本観光協会が主催して東京高輪のプリンスホテルで観光カリスマシンポジウムが行われました。その時は100人の中から6人が選ばれ壇上に上がりました。群馬県草津の町長さんや山梨県清里の舩木さんなどそうそうたる顔ぶれです。何故か私も6人の末席を汚すことになりました。皆さんはそれぞれ参加者に自分や自分の成果をパンフレットなどを配って盛んにPRしていました。勿論スライドショーなど文明の利器も登場してそれは華やいだシンポでした。私はそんな余裕もお金もないのでアドリブで面白おかしく、最後にはハーモニカまで吹いてしまいました。これがまた受けたのです。当時を述懐して山梨県清里の舩木さんは「若松さんに後の5人が食われてしまった」というのですが、以後舩木さんは私の最も敬愛するカリスマとして深い親交へと発展しているのですから不思議なご縁です。

 私は自由人になった今も観光カリスマとして様々な場面で紹介され、その名に恥じぬよう人間牧場などを作って努力をしてきました。少なくとも観光カリスマに選ばれた平成15年の時点から比べるとはるかに進化を遂げていると自分でも納得しています。称号に胡坐をかいてその人の価値が高まるものではありません。私の観光カリスマの称号略称は「真似しない真似できない観光カリスマ」なのです。地域振興課長10年と教育長2年の合計12年間毎日、ふたみシーサイド公園で早朝3時間の清掃を続けてきた実績と自負は、「掃除は最高の観光である」ことを人々に伝える絶好のチャンスでした。

 5年という時の流れは、観光の分野にも大きな変化がありました。市町村合併によってふるさと意識は後退し、もてなしの心が揺らぎつつあります。一方では地域の人たちがグリーンツーリズムなる知恵を編み出し自立に向けた努力をしようとしています。

いつの時代も難しいと思えば難しいし、容易いと思えば容易いのですから、容易さのまちづくりでこれからも多くの人と交流したいものです。

  「観光の カリスマ呼ばれて 五年経つ 進化しつつも 新たな試み」

  「今日もまた 木になるカバンを 提げ歩く 夕日の町を 全国各地に」

  「観光は 国の光を 見るという 弘法大師の 教えそのまま」

  「あくまでも 謙虚であれと 身に諭す だけど冒険 忘れてならぬ」

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