shin-1さんの日記

○人間牧場主という読み名にやっとなれました

ヤフーで「若松進一」を打ち込んで検索すると今日現在で856件もの情報が打ち込まれていて、個人情報だのいう割には個人情報が無断で飛び交い今更ながら情報化社会の凄さに驚かされます。パソコンを始めたころはその一つ一つをチェックして見ていましたが、近頃は自分のブログの文章書きや書き込み対応が忙しく、また届くメールへの返信など、2~3日家を留守にするとその対応だけで半日も潰れることがあるのです。その様子を友人に話すと「若松さん。そろそろあなたも会社を興して秘書などを持ちスケジュール管理をする人を雇ったらどうですか」と言われたりします。その度に私は「とんでもない話です。私のような自由人にはこれくらいが丁度よいのですから」とお茶を濁していますが、自分が自分を管理することは中々容易な事ではないのです。

 一昨年の4月1日、35年間勤めた役場を教育長を最後に退職して自由人となってから、早くも昨日で2年間があっという間に過ぎました。自由といっても現在の私の仕事は主に4つに分類されます。1つは愛媛大学非常勤講師です。毎週水曜日の午後6時から8時まで法文学部の夜間主で教壇に立ちます。資料を作ったり講義をしたり4年ですっかり慣れたつもりですが、これが中々骨の折れる仕事です。4年間を終わったのでさてどうしようか考えましたが、続投の方針を固め現在今年度のシラバスなどの準備中です。

 2つ目は全国行脚の講演活動です。昨年は北は北海道から沖縄まで請われるままに様々な地域に出かけ主にまちづくりや生涯学習、青少年問題などについて弁舌を振るいました。最近は国土交通省の観光カリスマ百選に選ばれていることもあって、観光の仕事も多いようです。3つ目はボランティア活動です。えひめ地域づくり研究会議代表運営委員(20年)、愛媛県金融広報アドバイザー(30年)、21世紀えひめニューフロンティアグループ代表(22年)、などの他様々な役割をこなしています。この2年間就任していた自治会長は再任の要請が強かったのですが後任に道を譲りました。ですからこの分だけでも随分楽になったと胸を撫でています。4つ目は私人若松進一として人間牧場主であったり、私設公民館煙会所や海の資料館海舟館の経営とこれまた私事ながら多忙な仕事なのです。特に双海町へ視察に来る人は結構多くその度に私的な施設への案内がセットされ、多くの出会いがあるのです。そんな4つに分類される仕事の中で一番気に入っているのはやはり人間牧場主という肩書きで、千枚も作った名刺がまたたく間に売れて、現在の名刺は2千枚目がもう数えるほどしか残っていないので、えひめ地域政策研究センターの清水さんにお願いして、リニュアールした名刺を作り直してもらっています。

 最初は馴れなかった「人間牧場主」という肩書きの名刺を見て、どの人も「人間牧場って何ですか」から始まるのですが、「はい人間を放し飼いにする所です」から始まって、人間牧場の薀蓄を話すのです。人間牧場の施設も水平線の家、ロケ風呂、ツリーハウスと進み、今回の倉庫を含めると小さいながら4棟にもなりました。施設の夢を息子と描く度に最後は資金について話し、結果的には少し萎んだ夢に落ち着くのも仕方がないこととあきらめています。それでも夢さえ持てばソロバンは後から付いてくるもので、何とか持ちこたえてきました。

 人間牧場もそれぞれのマスコミがそれぞれの立場で紹介するものですから否応なしに人気が出て、今は沢山の人が順番待ちのような状態です。人間牧場には比較的若い人の来訪が多いのも一つの特徴のような感じもしています。

 人間牧場主という肩書きに違和感のなくなったこの頃ですが、今年はニューフロンティア塾の開講や様々な会議が予定されています。今年はもう少し進化した自分を目指したいと心を新たにして新年度の今朝を迎えました。

  「早いもの 人間牧場 肩書きで 動き始めて 二年が過ぎた」  

  「牧場に 行きたい旨の 連絡が 日増しに増えて 嬉しい悲鳴」

  「2千枚 名刺を配る 人に合う 明日も何人 出会うことやら」

  「四棟も 家持俺は セレブかも 懐金は 無いに等しき」

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shin-1さんの日記

○孫と団子虫

 春休みになって孫がわが家に来ています。「お母さんは入院、お父さんはお仕事」と、近所の人からの質問にも平気で答える孫の春休みは、お父さんの実家である大阪羽曳野への小旅行から始まりました。20日から25日まで大阪に滞在し帰ると直ぐにわが家へ直行しましたが、何せ私も妻も次男までも年度末の慌しさで孫にかまってやることができず、朝は私、昼は息子、夜は妻とまるで三交代のような孫育てが続きました。それでも孫は楽しそうに我が家で過ごしています。でも母親が入院してから始まった「朋樹プロジェクト」は長引く母親の入院で予想以上に長期化し、私にとっては馴れない孫育てて少々お疲れモードです。

(私の背もたれ椅子でじゃれる孫朋樹)

(窓ガラスを掃除する孫朋樹)

 昨日は孫と二人で人間牧場へピクニック気分の遊びに出かけました。私は大洲の亀本さんから貰った牛糞の処理がそのまま残って美観を損ねているため、少し片付けようとの思いもあって作業服で出かけましたが、孫は朝からおばあちゃんにおにぎり弁当を作ってもらいリュックに入れておおはしゃぎでした。二人で人間牧場用の軽四に乗り歌を歌いながら狭い山道を登って行きました。道沿いは何時の間にか春真っ盛りで山桜の花がそれは見事に咲いていました。また緑のトンネルだと孫が言う山道のあちこちにはタンポポ、椿、菜の花など数えればきりがないほどの野草が咲き乱れ、野イチゴの花も初夏のイチゴ狩りを想像するに十分な雰囲気でした。

 孫を納得させ私は農作業を始めましたが、水平線の家は山里の一軒家なので寂しくなるのか直ぐに大きな声で「おじいちゃーん」と呼ぶのです。そして急峻な畑へ振り撒く牛糞をシトラーに入れて運ぶ度に私についてきて、上がったり下りたりを繰り返していました。倉庫の新築工事に来ている大工さんと口相撲をとったりしていましたが、孫が突然牛糞に群がる団子虫を見つけました。「おじいいちゃーん団子虫」と意外な発見に孫は興奮した様子で竹の切れ端で恐る恐る触っていました。手で触るよう勧めましたが最初のうちは中々手を出そうとしませんでした。それでも小一時間観察していましたが、手にとって触れるようになると安心して沢山の団子虫を拾い集めていました。孫にとっては団子虫に触れた意義ある一日となったようです。

(団子虫を持って喜ぶ孫朋樹)

 「喉が渇いた」といってはジュースを飲み、「腹が減ったといってはお菓子を食べていましたが、その内お昼のミュージックサイレンの音に気付いてお目当ての弁当を広げることにしました。リュックサックから出てきた弁当は2段重ねで大きなおむすびとウインナーなどが入ったおかずです。手を洗って食べ始めたのですが孫の食欲は運動量に比例するのか旺盛で合計6個のおにぎりも孫4個、私2個で孫に軍配です。

(おばあちゃんの作ってくれたお弁当)

(おにぎり4個の大食)

 昼過ぎ長男が親父を乗せてやって来ました。親父にとっては建て前以来の人間牧場なので目を細めながらあちこちを散策していましたが、先日作ってくれた風呂の蓋の出来具合を目で確かめたいおもいもあったのでしょう。「もう5ミリ大きかったら」と私の採寸の間違いを悔やんでいました。

(二人の隠れ家で寝袋に入る孫朋樹)

 大工さんも息子たちも帰ったので水平線の家の2階ロフトに作った私の小さな隠れ家に孫を案内し昼寝をすることになりました。中には長男が持って来ている寝袋が置いてあるのですが、その中に蓑虫のように私と孫が潜り込みました。はしゃいでいた孫はいつの間にか寝込み、軽い寝いびきが聞こえるようになりました。私はそっと抜け出し再び思い牛糞をシトラーに入れて下の梅林まで下し根元に振り撒く作業をしました。1時間半ばかり経つと孫は午睡から覚め元気に起きて来ました。お母さんの病院へ持って行く花摘みをするのだと孫とそこら辺りを散策しました。孫の目に留まったのは名残の薮椿です。一輪ずつ二枝を折って持ち帰り牛乳瓶に差して台所の隅に飾っていますが、団子虫といい、薮椿の花といい、孫にとっては自然の豊かさに驚いた一日だったようです。「おじいちゃん、明日も弁当を持って団子虫と椿を取りに人間牧場に行こうね」と、一緒にもぐりこんだ夜9時の布団の中で話しかけていました。

  「蓑虫の ような姿で 潜り込む ロフト隠れ家 孫と二人で」

  「団子虫 始めて触れる 感動に 孫は興奮 これが自然だ」

  「薮椿 母にあげると 手で折って 牛乳瓶に 活けし美し」

  「牛糞を 担いで下る 俺の足 体力落ちて 少しヨタヨタ」

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