○私はメガネをかけたことがない
「私は顔は悪いが目がいい」(顔を知ってる人は納得)とまるで漫才のネタになるようなことを言っています。事実62歳の今日まで一度もメガネをかけたことがないのです。「顔がいいか目がいいかどちらを選ぶか」と問われたら私は即座に「目がいい」方を選びます。だって顔がいいのは若い頃の少しの間で、この歳になると顔なんてどちらでもいいのです。目は色々な仕事をしますから目がいいと大助かりなのです。第一メガネを買わなくてもいいし、メガネをかける煩わしさもないのです。ましてや新聞や資料を見ても間違わずに読めるのですからこれに越したことはありません。
目は遺伝するのかメガネをかける家系の人は案外メガネをかけています。わが家では7年前80歳で亡くなった母は、新聞を読むのも平気で死ぬまでメガネをかけたことがありませんでした。私は母の家系に似たのでしょう。
私は高校進学間近な中学生のとき軽い仮性近視になりました。受験勉強をし過ぎたのかも知れません(それはない)が、私にとって大変な出来事でした。というのも私は愛媛県立宇和島水産高校の漁業科を受験しようとしていたからです。この学科は将来船乗りになるために海技試験を受けなければなりません。海技免状の受験資格は当時視力1.0以上でした。私は慌てましたが、その日から視力表の全てを暗記しました。これは邪道なのですがそうでもしないと通らないので必死でした。結果は0.8くらいなのに、受験の日の視力検査は2.0といわれました。でも仮性近視は生活習慣さえきちんとすれば元に戻ると目医者さんにいわれて、遠くを見る癖をつけました。また目の体操もしました。結果は1.5の視力を回復し現在に至っています。
私の妻は5~6年前から老眼を愛用しています。「老化はまず目に来る」という言葉が本当ならば妻は確実に5~6年前から老化の一途を辿っているのです。妻がメガネをかけた姿は、私は大好きです。メガネをかけた姿が何となく知的に見えるからです。私はメガネをかけないので知的には見えないでしょうし、石原裕次郎のように格好よくサングラスをかけることも一度だってないのですから、妻は不満かも知れません。でも目がいいため針仕事をするときは重宝がられ、何度針の穴に糸を通したことでしょう。また細かい字は「お父さんこれ何と書いているの」といわれ読んでやったことが何度もありました。
妻は時々メガネを置いた場所を忘れることがあります。職場と自宅にそれぞれ専用のメガネを置いているのですが、その混乱からか時々分らなくなるのです。何年か前首に吊るす紐を付けていましたが、これも煩わしくて結局除けてしまいました。
「あなたの目がいいのは私の食事の世話がよいからよ」と時々自慢しますが、「だったら同じものを食べているお前の目が悪いのは何故」という返事は帰ってこないのです。わが家は子どももみんなメガネはかけていません。どうやらこれも家系ではなく妻の食事のお陰なのでしょうか。
「メガネなく この歳なっても 新聞が 読める嬉しさ これから先も」
「メガネなど 買う金もなき 貧乏人 お天道様は しっかり見てる」
「メガネかけ 妻知的顔 一段と 輝き見えて 惚れ直したり」
「顔か目か 俺が選んだ 宝物 大事にします これから先も」