○近所の花咲かおばさん
近所の軒先にそれは綺麗な花を作っているおばさんがいます。私は「平成の花咲かおばさん」と呼んでいますがそれはまあ見事に咲いています。役場の行き帰りこの花の前で何度立ち止まって花を愛で、このおばさんと立ち話をしたしたことでしょう。この家は最近までモータース、いわゆる車の修理屋さんをしていました。2年前の年末、家の入口に小さな張り紙が張り出されました。「長い間ご愛顧有難うございました。今月末を持ちまして閉店いたします。店主敬白。」と書いた張り紙を見る限り、経営に行き詰まったのか、それとも家の中で何かゴタゴタがあったのか?と思いがちですが、聞けば「無一文からお店を興し一生懸命生きてきました。自動車業界もハイテク技術が進んで、かつてのエンジン修理技術では間に合わなくなり、仕事に自信がもてなくなりました。自営業は定年がないのが取得ですが、定年を迎えたいという願望もあります。思い切って65歳を定年とずっと前から決めました。一緒に勤める弟の転職が気になりましたが思いきって辞めることにしました」と閉店の理由を説明していました。
私の退職と同じ頃の出来事だったので、その夫婦の価値ある決断をじっと見続けていますが、年金生活をしながら近所の狭い畑を耕したり時には好きなゴルフに行ったりするご主人と、趣味の花づくりや孫の世話に忙しそうにするおばさんの姿は何ともほほえましい初老を迎えた夫婦の姿なのです。
実はこのおばさんは実は私の姉なのです。二つ違いの姉ですが修理工場に勤めていた義理の兄と結婚したころ独立して小さなお店を持ちました。文字通り小さな田舎の修理工場ですが、車社会という時代背景がよかったのか順調に仕事も増えて、工場用地を購入したり修理工場を建てたり、慎ましやかな3人の子どもにも恵まれ、お母さんは早く亡くなりましたがお父さんは100歳の天寿をまっとうするなど、平和な家庭とごくありふれた商業を営んできたのです。学歴があるわけでもなく借金から始めた二人三脚の人生は喜びもあったかも知れませんが多分しんどかったに違いありません。それは「65歳を定年と定めたい」という夫婦の閉店理由が物語っています。今は仕事という大きな肩の荷を降ろしホッと一息ついているに違いなく、日曜日には早くして逝った弟と両親の菩提を弔うためのお大師参りをしているようです。
「閉店セール」「閉店につき在庫一掃セール」などの看板や張り紙やチラシをよく見かけます。これらの店は「何時閉店するの?」と首を傾げたくなるほどお店を続け、閉店はカモフラージュや客寄せの手段だったなんてことをよく見かけます。また商店街のシャッターが閉まっている張り紙も「勝手ながら当分の間閉店させていただきます」と書かれてお客様不在を思います。まさに商店の「勝手」なのです。そこへ行くときっぱり見切りをつけた勇気ある行動に拍手を送りたいと思います。
車や単車が所狭しと並んでいたモータースの玄関は綺麗に片付けられ、「えっこんなに広かったの?」と思うほど広くなりました。これまでは商売第一で好きな花作りも脇に追いやられていましたが、今はプランターの数々が単車や車に変わって所狭しと我が物顔に並んで綺麗な季節の花を咲かせています。
昨日は人間牧場の蕗を収穫しておすそ分けのために4時過ぎ立ち寄りましたが、余りにも美しいので持っていたデジカメで一枚撮りました。姉曰く「もう1時間前に来てくれたらもっと綺麗な花を見せれたのに」というのです。聞けば花は3時から夕方の顔になって花の中にはもう眠気を催すのもあるそうです。私にはそんなには見えませんでした。
「花を作ることが趣味」というのはどうやらわが家の家系のようです。親父も私も花が好きです。親父はそろそろ咲き始めたつつじの長い生垣の手入れに余念がありません。間もなく近所や親戚の人が花見にやって来ます。親も子もみんなが花を肴に過ぎ越し人生を語りたいものです。
「爺ならぬ 花咲かばあさん ここにあり 花と語らい 花を愛で生き」
「花作り 花見る人は 通行人 綺麗といわれて 更に綺麗に」
「花だって お休みモードが あるという 聞いて始めて 納得納得」
「花盗らず 花を撮るのは どうすれば まるで一休 とんちの世界」