○山寺を訪ねる
その寺は山深い場所にありました。久々に訪ねたかつては上浮穴郡小田町といわれた町も、上浮穴郡久万高原町や伊予郡砥部町との合併を模索しながら結局は喜多郡内子町と合併しましたが、町内は長年の歴史がそうするのか四国八十八ヵ所岩屋寺や大宝寺への巡礼の道としての趣きが色濃く残り、交わす言葉や風情はやはり上浮穴郡を感じさせていました。
小田への道は久万高原町からと、砥部広田を通る道、中山から山越えをする道、それに内子町大瀬から入る道など様々ですが、距離や時間を勘案して今回は往路砥部広田の道を選びました。春霞のかかった山道を走り、上尾峠を越えると、かつては伊予郡広田村へ出ます。途中に道の駅があって、昼なのに提灯をぶら下げ何やら少しばかりの賑わいです。聞けば「山菜まつり」とか、しいたけやウド、ワラビ、中にはボタンの鉢植えなどがあって顔見知りの人もちらほら、長閑な山村の長閑なまつりが長閑に行われていました。請われるままに丁度昼時だったので湯だめうどんを買い求め食べましたが美味しく、小食な私には少し多めの量でした。杵つき餅も買い再びカーナビの誘いどおりの道を小田町に入りました。途中道沿いの神社の巨木が目に留まりました。機を見るのが好きな私は山門の近くに車を止めて神社の境内に入って行きました。看板によると樹齢千年、県指定の天然記念物のケヤキ2本と樫の樹1本はそれは見事で思わず「凄い」と思いました。しかしよる年波には勝てず一本のケヤキは樹木医努力処置にもかかわらずの枯死寸前といったところでした。境内の陰で4人の方が陽気に誘われて弁当を広げて食べていました。「若松さんじゃないですか?」、「?はてなと思いましたが私と同郷で今は西条市で車屋を営む魚見さんでであることを直ぐに思い出し、懐かしい会話を交わし神社を出ました。
何日か前住職さんから電話で場所を「参川小学校の前を通り過ぎ、橋を渡らないで右の道を」という記憶を頼りに確認しながら走りましたが、よくある田舎のお寺は視界の中に中々入ってこないのです。でも一本の大きなモミの樹の樹上を見つけ坂を少し登ってお寺の境内に入りました。失礼な話しですが、山門も苔むし本堂は民家にも似て壁の剥がれ落ちた、無住寺といってもいいようなお寺でした。しかし「寺の構えだけでお寺の格式を判断してはならないときつく心を戒め境内へ入りました。さっき見上げたモミの木は天狗のモミの木というのだそうで、町の天然記念物に指定されているそうですが、その看板も私と同じように行儀悪く寝そべっていました。小さなお寺なので中から聞こえる住職の読経や鐘の音が手に取るように分りますが、部屋からはみ出すように座っている檀家の人や履物類を見ていると入り辛くて、右往左往していると奥さんと出会い、裏口から控え室へ案内されました。奥さんとは永平寺を本山とする末寺の女将さん会に招かれ話をしたり、その方々を人間牧場に案内したりしましたので顔見知りなので、安心して抹茶などをご馳走になりながら世間話をしました。勿論住職さんも顔見知りで住職の能仁さんとは教育委員会に勤めていた関係で若い頃から旧知の間柄なのです。でも能仁さんのお寺で会うのは初めてなので、寺の質素さには正直驚きました。聞くところによると寺の再建も間近とか、そのためこの古いお寺で最後の催しとなるお般若講にどうしてもお話をして欲しいと、私に白羽の矢がたったのでした。
妻曰く、「お父さん(私のこと)も色々な所へ話をしに行くが、住職さんが説教で馴れているお寺へ何を話しに行くの。行かない方がいいのでは」でした。でも所変れば話も変るで、小さいながら本堂いっぱいに集まっていた檀家の方々は熱心に大きな声で笑いながら私の話を聞いてくれました。話をしながら思いました。最近はお寺から講演の依頼がよくあるのですが、お寺の本堂は天井が高いため声の響きもよく、仏間の雰囲気がとてもピッタリあってとても話しやすいのです。嬉しくなりその気になって乗った話をさせてもらいました。かつて小田町教育委員会に勤めていた顔見知りの鶴田さんは既になくなっていますが、この寺の檀家で奥さんも見えられているという話を後で聞きました。ご冥福をお祈りします。
「苔むした 寺の山門 くぐらずに 裏口入門 野辺花一輪」
「天を突く 天狗モミの樹 目印に 参道進む 心洗わる」
「道元の 言葉しみじみ 思い出し 春の息吹を 肌に受けつつ」
「山寺の 境内響く 般若経 鼻に届きし 線香の臭い」