○女性の新聞記者
昨日突然の電話で愛媛新聞の丸岡さんという女性記者がわが家にやって来ました。何でも伊予市を担当することになって、前任者からの紹介もあってあいさつがてら会いたいというので、急遽自宅書斎でお会いしました。地元紙ということもあって愛媛新聞の記者とはもう30数年間も付き合っていますが、最近の傾向は女性が多いということでしょう。かつては酒を飲みながら新聞ネタを語ったものですが、酒を止めた今はそんな酒宴もなく淡々と話をします。しかし記者になって2年目の初々しい女性を前にすると、もどかしさの方が先にたって、かつてのような想いなるものが感じられないのも私の歳のせいなのでしょうか。
私は社会教育課や産業課、企画調整室、地域振興課などを渡り歩き、たえず新聞に載るようなまちづくりのネタを仕掛けてきました。他の市町村から羨ましがられるほど新聞に載り、そのことによって双海町の知名度は急速に高まって、交流人口が増えたのも確かです。多分自分が月2回、10年で240号もの広報を書いた経験がそうさせたのかも知れませんが、インターネットなどなかった新聞とテレビに情報の殆どを頼る時代であったため、特に活字媒体によるPRは大きな情報源として受け止めていました。ですから町を担当する記者とはたえず連絡を取り、小まめに情報を流してきたのです。合併したからか、自分が関わらなくなったからかどちらなのか分りませんが、つい最近双海町という記事は極端に減ったと周りの人は私に話します。事実私の新聞スクラップの趣味も開店休業といったところです。
私の知人で一昨年愛媛新聞の記者になった宇和島市遊子出身の藤田圭子さんは一年間、県庁の番町クラブに勤務していて今度の異動で宇和島支局へ転勤になりました。丸岡さんは藤田さんと同じく2年目だそうで、早くも伊予地方の担当になり早速エリア内を回ってネタ集めのようです。新聞記者は見た目にはジャーナリストで格好よく見えますが、これは大変な仕事で事件が起こると不眠不休の取材をしなければなりませんし、行事やイベントの殆どは土日に集中して休みなどないに等しいのです。ましてや地方紙こそ日刊新愛媛がなくなってからは愛媛新聞だけですが、中央紙が腕利きの記者を配して戦々恐々スクープを狙っているのですから容易なことではありません。もしすっぱ抜かれることでもあるなら、デスクも含めて責任さえ取らなければならないのです。今は県議会議員選挙の真っ最中で、選挙の動向を読むことやその読みに沿ってあらかじめ当選の記事も書き写真も用意しなければならないのです。時には取材拒否の厳しい仕打ちにも耐えなければなりません。私の町も何年かに一回いわゆる新聞一面を賑わす警察沙汰のような事件が起きました。選挙違反事件、課長の詐欺事件、町名変更問題、舟券売り場問題などその度に記者は張り付き、警察や役場の動向を追いながら記事を書いていました。その時「新聞記者だけにはなりたくないな」と何度も思ったものでした。それでも時の記者たちは歴史に生き証人として正しく伝えるための努力を惜しまなかったのです。佐藤さん、井上さん、篠浦さん、増原さん、吉田さん、岡本さん、野村さん、伊藤さん、一宮さん、樋口さんなどなど、かつての地方記者の顔が浮かんできます。
先日はは別件で別の新聞記者でない新聞社員がわが家にやって来ました。インターネットを使ったタイムリーな情報発信の準備をしているらしく、田舎暮らしで生きていることを実感できるような情報を流したいとのことでした。私の人間牧場や牧場を巡る楽しい人や話題を欲しがっているようでした。新聞もペーパーだけでは生きていけない時代のようです。新聞の記事がインターネットで読める時代ですから、うかうかすると新聞は時代遅れになってしまうという危機感もあるようです。
私たちの生活がそうであるように新聞オンリーの時代は終わりました。しかし新聞社の持ってる情報とネットワークは生かし方を考えれば凄く価値のあるものです。シニア世代のためのウエブサイトが、戸惑う人生の道しるべになるのかも知れなおのです。
丸岡さん、頑張って地域の応援記事をしっかり書いて、非はしっかりと正すような記事を頼みます。及ばずながら応援します。
「前任の 記者の写した 写真持ち 宜しく名刺 早速ネタを」
「この頃は 女性の記者が 大流行 悪い気はずも 少し不安も」
「顔浮かぶ あれやこれやの 記事書いた 人は何処に おわしますやら」
「ノートメモ しながら話す 記者姿 今も昔も 変わらず同じ」