○孫と団子虫
春休みになって孫がわが家に来ています。「お母さんは入院、お父さんはお仕事」と、近所の人からの質問にも平気で答える孫の春休みは、お父さんの実家である大阪羽曳野への小旅行から始まりました。20日から25日まで大阪に滞在し帰ると直ぐにわが家へ直行しましたが、何せ私も妻も次男までも年度末の慌しさで孫にかまってやることができず、朝は私、昼は息子、夜は妻とまるで三交代のような孫育てが続きました。それでも孫は楽しそうに我が家で過ごしています。でも母親が入院してから始まった「朋樹プロジェクト」は長引く母親の入院で予想以上に長期化し、私にとっては馴れない孫育てて少々お疲れモードです。
昨日は孫と二人で人間牧場へピクニック気分の遊びに出かけました。私は大洲の亀本さんから貰った牛糞の処理がそのまま残って美観を損ねているため、少し片付けようとの思いもあって作業服で出かけましたが、孫は朝からおばあちゃんにおにぎり弁当を作ってもらいリュックに入れておおはしゃぎでした。二人で人間牧場用の軽四に乗り歌を歌いながら狭い山道を登って行きました。道沿いは何時の間にか春真っ盛りで山桜の花がそれは見事に咲いていました。また緑のトンネルだと孫が言う山道のあちこちにはタンポポ、椿、菜の花など数えればきりがないほどの野草が咲き乱れ、野イチゴの花も初夏のイチゴ狩りを想像するに十分な雰囲気でした。
孫を納得させ私は農作業を始めましたが、水平線の家は山里の一軒家なので寂しくなるのか直ぐに大きな声で「おじいちゃーん」と呼ぶのです。そして急峻な畑へ振り撒く牛糞をシトラーに入れて運ぶ度に私についてきて、上がったり下りたりを繰り返していました。倉庫の新築工事に来ている大工さんと口相撲をとったりしていましたが、孫が突然牛糞に群がる団子虫を見つけました。「おじいいちゃーん団子虫」と意外な発見に孫は興奮した様子で竹の切れ端で恐る恐る触っていました。手で触るよう勧めましたが最初のうちは中々手を出そうとしませんでした。それでも小一時間観察していましたが、手にとって触れるようになると安心して沢山の団子虫を拾い集めていました。孫にとっては団子虫に触れた意義ある一日となったようです。
「喉が渇いた」といってはジュースを飲み、「腹が減ったといってはお菓子を食べていましたが、その内お昼のミュージックサイレンの音に気付いてお目当ての弁当を広げることにしました。リュックサックから出てきた弁当は2段重ねで大きなおむすびとウインナーなどが入ったおかずです。手を洗って食べ始めたのですが孫の食欲は運動量に比例するのか旺盛で合計6個のおにぎりも孫4個、私2個で孫に軍配です。
昼過ぎ長男が親父を乗せてやって来ました。親父にとっては建て前以来の人間牧場なので目を細めながらあちこちを散策していましたが、先日作ってくれた風呂の蓋の出来具合を目で確かめたいおもいもあったのでしょう。「もう5ミリ大きかったら」と私の採寸の間違いを悔やんでいました。
大工さんも息子たちも帰ったので水平線の家の2階ロフトに作った私の小さな隠れ家に孫を案内し、昼寝をすることになりました。中には長男が持って来ている寝袋が置いてあるのですが、その中に蓑虫のように私と孫が潜り込みました。はしゃいでいた孫はいつの間にか寝込み、軽い寝いびきが聞こえるようになりました。私はそっと抜け出し再び思い牛糞をシトラーに入れて下の梅林まで下し根元に振り撒く作業をしました。1時間半ばかり経つと孫は午睡から覚め元気に起きて来ました。お母さんの病院へ持って行く花摘みをするのだと孫とそこら辺りを散策しました。孫の目に留まったのは名残の薮椿です。一輪ずつ二枝を折って持ち帰り牛乳瓶に差して台所の隅に飾っていますが、団子虫といい、薮椿の花といい、孫にとっては自然の豊かさに驚いた一日だったようです。「おじいちゃん、明日も弁当を持って団子虫と椿を取りに人間牧場に行こうね」と、一緒にもぐりこんだ夜9時の布団の中で話しかけていました。
「蓑虫の ような姿で 潜り込む ロフト隠れ家 孫と二人で」
「団子虫 始めて触れる 感動に 孫は興奮 これが自然だ」
「薮椿 母にあげると 手で折って 牛乳瓶に 活けし美し」
「牛糞を 担いで下る 俺の足 体力落ちて 少しヨタヨタ」