shin-1さんの日記

○つい最近物忘れが多くて

 ある女性から「つい最近物忘れが多くて」というメールが届きました。彼女のメールには「免許証とハンコを半日探した」という告白がありました。探した結果あったのかなかったのかは書いていませんでしたが、彼女よりも年齢を経ている私としては同じような経験を何度もしているだけに、彼女の慌てぶりが想像できました。人のことではないと思いつつ少しずつ忍び寄る老いの姿を同居の親父とダブらせながら考えました。

 88歳になる親父は几帳面で沢山持っている道具類も必ず元へ戻す癖があります。ですから私が親父の道具類を持ち出そうものならすぐに分ってしまって、「鋸を使ったら元へ戻しておけ」などとよく注意をされるのです。88歳の親父に比べたらまだ青二才の私なのに、親父よりはるかに物忘れがいいと苦笑することだって度々です。先日作業をしていた親父がそこら辺を物を探すような姿でうろちょろしていました。「じいちゃん何か探しよるん?」と尋ねると、「さっきまでかけていたメガネをどこかに置き忘れた」というのです。一緒に探してやりますが中々見つかりません。結局は草引き途中で休んだ場所の麦藁帽子の中へ入れていて、事なきを得たのです。

 「歳をとるとよく忘れる」と親父もこぼします。その度親父に「じいちゃん、覚えとることを全部覚えていたら頭が爆発するぜ。忘れるから丁度ええのよ」と言ってやるのです。そう人間は忘れるから覚えるのです。

 でも忘れるからいいことも沢山あります。例えば苦しいことや辛いことをいちいち覚えていたら毎日が暗くて辛くて悲しくてやってはいけません。母の死などは最も辛くて悲しい出来事でしたが、近頃は予定表を見ないと命日さえ忘れる有様です。家族の誕生日も妻の手助けがなかったら覚えていませんし、まあこの程度の忘れ方が程よいのです。物を置いた場所を忘れないコツはやはり「元へ戻す」という親父のような訓練と整理整頓以外(以外と意外の存在を意識できるようになりました。忘れていませんよ)にはないようです。

 忘れていて得したことがつい最近ありました。名刺を整理していると名刺の中からきちんと四つ折にした1万円札が出てきたのです。何時入れていたかも定かでないほど忘れていたお金が出てきたのですから、宝くじを買ったことがない私としては「宝くじに当ったような」という表現も出来ませんが、宝くじが当ったような嬉しさでした。忘れていたための喜びの発見なのです。そんなことって誰にでもある喜びなのです。まあ忘れるより忘れないことに越したことはありませんが、人間は忘れるもの、歳をとったら忘れるものと諦めて、そんな嫌な自分と付き合うのもいい歳のとりかたなのです。

 「お父さん、昨日メモしていた方に電話をかけましたか」妻の声。「おっ、忘れていた。「お父さん、原稿が届かないと昨日電話がありましたよ」妻の声。「忘れとらん」と言葉を返すが本当は忘れていました。ああー俺も歳だな。

  「物忘れ 段々ひどく なってゆく 親父と同じ 道を辿るか」

  「一万円 名刺の中から ひょいと出た 忘れるたとも いいことあるね」

  「俺忘れ 妻がフォローの 二人連れ 妻に給料 払ってやらねば」

  「誕生日 忘れていたのに プレ届く 嬉しいけれど 何か侘しい」



 




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