○良寛和尚に学ぶ損友と益友の見分け方
人間の行いとしてあまり「感心しない行い」をまとめた本に良寛和尚の「戒語抄」というのがあります。童門冬二さんは「男の論語」という600円の文庫本にそのことを詳しく書いています。
(言葉の多き・口の早き・あわただしく物いう・間の切れるように物いう・物いいの果てしなき・物いいのくどき・問わず語り・へらず口・さしで口・ことばとがめ・手がら話・自慢話・俺がこうしたこうした・人の物いいきらぬ中に物いう・わが事をしいていいきかさんとする・人の話のじゃまをする・はなであしらう・ことわりの過ぎたる・ことばのたがう・悪しきと知りながらいい通す・おのが意地をいい通す・そうでもなきことと知りながらいい通す・過ちをかざる・ひき事の多き・物いいのことごとしき・田舎者の江戸ことば・学者くさき話・風雅くさき話・さとりくさき話・茶人くさき話・たやすく約束する・人に物くれぬ先に何々やろうという・くれてのちその事を人に語る・かえらぬことをくどくどくどく・推し量りの事を真事になしていう・よく知らぬことをはばかりなくいう・たしかにも知らぬことを人におしうる・物のこうしゃくをしたがる・いささかなることをいいたてる・おかしくもなきことを笑う・子どもをたらしすかしてなぐさむ・にくき心を持ちて人をしかる)
如何でしょうか。この言葉に当てはまる人を自分の身の回りの人に当てはめながら顔を思い出してみてください。あの人は「人の話を鼻であしらう」とか、「へらず口が多い」とか・・・・。
人の評価の入り口は言葉によってある程度決まります。どんな物言いをすれば相手に理解してもらえたり自分のことを好感を持ってもらえるか、誰もが日々の暮らしの中で苦心していることだと思います。ところが人間の言葉はその行いや日々の暮らしの中から生まれてくるものなので、余程自分が注意をしていないと性格がもろに出て思わぬ悪評を招いてしまうのです。
「言葉は行いの鏡」だと思います。立派な行いをしていれば言葉はその中から生まれるのです。いい言葉を喋る人はいい行いをしている人といっても決して過言ではないでしょう。
私が12年間、シーサイド公園の海岸清掃を朝5時から8時までやるきっかけは、この良寛さんの言葉を引用した松下幸之助さんの話でした。「掃除も出来ないような人間にまちづくりを語る資格がない」の言葉を実践し始めると、自分がもう一人の自分と話し合うようになるのです。自分を磨くということは自分の体や心に潜むもう一人を発見することだったのです。上の言葉しかはかない人を損友、逆に上の言葉を語らない人を益友と考えれば、益友を沢山増やし、その言葉に学ぶことも方法かも知れません。
「鼻持ちの ならぬ話に 気付いたら その人損友 益友探せ」
「良寛が 見れば私は どの程度 まだまだ修行 足りぬお叱り」
「言葉とは 行を映す 鏡なり 陰徳積んで 言葉きれいに」
「良寛の 愛した夕日 新潟で 見てから俺の 生き方変化」
良寛さんが「人の心を汚すふるまい」として挙げた数々の言葉のふるまいは、損友と益友を見分ける大きなポイントになるようです。