shin-1さんの日記

○逆手塾ルポ②

 人間牧場水平線の家は、僅かに間口4間半と奥行き2間半の狭い部屋ですが、その広さと同じウッドデッキがスライドする窓を開けると一体的に、つまり窓を開けると室内が倍の空間に早代わりする仕掛けを持っています。そのため正面が何処か分らないことをいいことに、思い思いの方向で目先を変えた演出が出来るのです。最初は樹齢150年生の高知県魚梁瀬杉の切り株で作ったテーブルを演台にして会場を組み立てました。参加者の視角は設えた長い本棚とそこに並べてある私の蔵書が知的空間をを意識させるのです。

 逆手塾の参加者には凄い人がいっぱいいます。これも逆手塾の積み重ねの重みでしょう。例えば山本文子さんは逆手塾で同じゲストとして初めてあって以来の付き合いですが、私の夕日を「何処にでもある夕日を日本一だなんて」と腐しながら「でも先に言ったあなたは偉い」とあげたり下げたりするのです。 

 山本文子さんがミニトークをしているのですが、髪を金髪に染めている彼女は一見少し派手好みの普通のおばさんです。でも喋りだしたら彼女の凄さが分ります。NHKのドキュメンタリー番組で1時間も紹介された彼女の性教育の番組は日本全国に大きな反響を巻き起こしました。今彼女は自分の意思を貫徹するために必死に働いています。「ゆりかごから墓場まで」という口癖どおり早く言えば布団や畳で子どもを生める産院と高齢者施設をドッキングした施設を作ったのです。お金が2億円かかるそうで銀行にお金を貸してくれと頼みに行ったら、「担保は何」とけんもほろろに断られたそうですが、「担保は私の夢」なんて言って融資を引き出し、「私の夢に投資して下さい」との呼びかけに多くの人が賛同して順調に船出しました。

 

 本棚を正面にすえると室内から溢れた人は野外講演会となります。さすがに女性は日焼けが怖いのか部屋の中に陣取りますが太陽を好む人は平気で太陽の光を受けます。

 一方海側を舞台にすると観客は室内から海を眺めながら話を聞くのです。

?海の色や流れ行く雲の変化を確かめながら聞くと、さっきまでの雰囲気とはまったく違った感じに聞こえるから不思議なものです。ステージに立って話すのは京都府農林水産部農林振興課で地域振興を担当する吉田好宏さんです。彼は逆手塾の強力なメンバーだと聞いてます。

 やがて夕闇迫る頃となりましたが、それまでもやで霞んでいた西の空が急に晴れだし、何と夕景が見事に見え始めたのです。みんな感嘆の声を上げました。私は残念ながらウッドデッキに蚊帳を張る作業に熱中し夕景や夕日を写真に収めることは出来ませんでした。

  「海を見て 話を聞くと 又違う 人は聞く耳 環境で変わる」

  「金髪の おばさん凄い 話する 性の問題 こんなに感動」

  「逆手塾 始めて参加 驚きて レベルの高さ 感じながらも」

  「爽やかな 風を頬に 感じつつ メモ取りながら 人の声聞く」

 


 

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shin-1さんの日記

○逆手塾ルポ①

 今年の逆手塾は6月10日と11日の二日間、人間牧場で開催されました。私は昨年の逆手塾にゲストスピーカーとして招かれましたが、その折人間牧場での開催を和田さんと宮崎さんに打診されていました。しかしまだその頃人間牧場は構想の段階で、第1期工事すら着工していませんでした。でも何とかなるだろうとお受けし、この日に照準を合わせて第3期工事まで進めてきました。今回の逆手塾には四つの不安がありました。まず第1は収容人数です。間口4間半・奥行き2間半の施設ではどんなに頑張ってみても収容能力が最大40人なのです。しかもその人数が様々なパフォーマンスを繰り広げるには水平線の家と同じ広さのウッドデッキが必要なのですが、雨だと使えないし天気だと蚊や蛾などの虫類も心配でした。幸い天気に恵まれ場所の確保が出来ましたし、参加矢とスタッフを合わせて40人に納まったのです。また虫も手作りの大蚊帳で何とかクリアーしました。第2には交通アクセスです。人間牧場は隠れ家的な人目に付きにくい場所にある上道が狭く険しいのです。地図を送って下さいと言われても送れないし、地元の人に場所をしえて下さいと言われても言葉では説明できないのです。デラックスな車で来るような人を拒んだり駐車場がないと苦情を言う人なんか来て欲しくないと言ってはいますが、逆手塾を開けば参加者に来てもらわなければならないのです。JR上灘とシーサイド公園を中継点にしてフロンティアグループのメンバーが道案内することで事なきを得ました。三番目は宿泊場所の確保です。水平線の家のロフトは最大8人、雑魚寝をしても半分以上は溢れるのです。幸い歩いて5分の所に地元池久保公民館がありました。貸し布団屋で布団を借りて持ち込みましたが、夜の移動は冷や汗もの、でも皆さんは結構楽しく移動をしてくれました。最後の心配は天気と水でした。海、水平線、空、島、夕日など自慢のロケーションが雨でも降るとまったく期待出来ない梅雨時の開催ですから、雨覚悟でシートなどを多量に確保して万一に備えました。さらに水は10人の暮らしを想定しての配水ですから五右衛門風呂やトイレの使い過ぎは水不足に陥るのです。前日準備段階でその不安が的中するようなショッキングな出来事が起こりました。椎葉村から帰って間もなく準備のために雨の中でウッドデッキをボー刷りで洗っていって、最後の仕上げのため雑巾をかけようと蛇口をひねると水がまったく出でないのです。青ざめて水源のタンクへ走りましたが、タンクは空っぽでした。タンク所有者の西嶋さん宅に伺ったところ、「少しでも綺麗な水を使ってもらおうと思い、タンクを空にした」と言うのです。「明日までには十分貯まります」との安堵の言葉を頂いてホッとしたのです。

 まあこんな風に冷や汗、胆潰しの連続で当日を迎えたのです。

 当日は全国からスタッフを含めると40人が勢ぞろいをしました。東京・神奈川・埼玉・京都・島根・広島・福岡・香川・高知・愛媛と10都県にまたがって集まったつわものたちに逆手塾24回の歴史の重みと凄さを感じました。

 ウッドデッキに並べられた和田さんお手製の特徴ある木製名札を見てもまさに圧巻です。かつて私たちが年4回10年40回のフロンティア塾を開いた当時の興奮が甦ってきました。

 受付は宮崎さんの奥さん貞江さんが手助けしていましたが、今回の逆手塾には宮崎さんご夫妻をはじめ何組かの夫婦が参加していました。昔なら考えられないことで、まちづくりは男性の占有物という間違った考えがありましたが、日本もいよいよアメリカ型となり、まちづくりも夫婦で参加する時代になったと思いました。

 

 さて、プログラムが始まると、お笑い3人組の歌とトークで幕が開きました。和田さん、宮崎さん、田中さんの軽妙にして迫力のある演技は、知らず知らずの内に私たちをその気、やる気にさせるのです。普通はもう一人田中正俊さんが加わってのパフォーマンスとなるのですが、都合で欠席し3人となりました。彼らのフィールドは広島県の県北レクリエーション協会が母体ですから、歌や踊りはお手のもの、いい味をしています。ご覧下さい。左端の和田さんの陶酔した姿を・・・、これが昔私と同じ教育長とは誰も気付きはしないでしょう。さあ逆手塾の始まり始まりーです。

  「六十の 歳になっても この姿 三十年前 少しも変わらず」

  「蜂や蝶 蜜を求めて 飛んでくる 人も同じで 値打ちの場所へ」

  「歌声に 何が起きたか 地元民 見れば牧場 気違い集まる」

  「しつらえた ウッドデッキで 歌歌う バック海空 気持ちよさそう」

  

 

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shin-1さんの日記

○逆手塾始まって終わる

 前日の準備を含めてこの3日間、宮崎県椎葉村行きの疲れも見せず、逆手塾開催のため人間牧場に入りびたりで、水平線の家ができてから始めて水平線の家に宿泊しました。逆手塾の後片付けをして各方面への支払いを済ませ、やっとわが家にきました。「アー疲れた」というのが率直な実感です。ところがスタッフとして働いてくれた21世紀えひめニューフロンティアグループが道具を水洗いして収め帰ってから、わが家まで送ってくれた事務局長の大野さんのトランクに荷物を置き忘れ、高野川のクリーンセンターまでUターンしてもらい荷物を受け取る羽目になりました。疲れていると仕事がはかどらず、物忘れや考えが散漫で、せっかく書いたブログの記事も保存されずお蔵行きで幻の記事に終わりました。さらに追い討ちをかけるように山口県周南市から60人もの団体がまちづくりの視察に午後4時約束で訪れる計画でした。しかし向こうの約束とこちらの約束違いで1時間も遅れて到着、まさにイライラの連続でした。それでも視察者に罪はありませんので約1時間楽しいおしゃべりをしましたが、7時前の帰宅時はどっと襲う疲労感に「アー疲れた」の連続でした。ふと思うにこの疲労感はやはり私も歳なんでしょうか。

 逆手塾は広島県の過疎を逆手に取る会が主催する年に1回の塾なのですが、今年は和田さんや宮崎さんのたっての依頼で人間牧場で開催することが決定し、その準備を進めてきました。何せスタッフを含めると40人の一大イベントなので、そうそう気を抜くこともできず宮崎さんと共催するフロンティアグループの大野事務局長、それに和田さんと私で綿密な計画を作成して準備を進めてきました。一番の不安は出来て間もない人間牧場の施設だけに、どういった使い方があり、どんなトラブルがあるのかまったく予想がつかないということでした。加えて隠れ家にも似た場所であり、道案内が上手く行くかどうか、また宿泊施設として借りた池久保公民館との連携が上手く行くかどうかも心配の種でした。結果的には概ね順調に事をこなしましたが、深夜に帰った山本文子さんが道を間違えて車を大破するというハプニングに大慌てしました。それでも命の大切さを訴える彼女の馬力で何とか急場をしのいだようでほっとしてます。

 主催した私としては総じて順調、総じて成果大、総じて納得という結果に終わりました。その裏には全国から集まった参加者は勿論のこと、この塾を企画運営した過疎逆のメンバー、送迎から食事の準備を担当しスタッフに徹してくれたフロンティアグループ、蚊帳を縫ったり風呂を沸かして人間牧場のサービス係りに徹した長男と次男、刺身を造ったり座布団を構えてくえた妻などなどの下支えがあったこらだと感謝しています。今朝和田さんと宮崎さんにお礼の電話を入れましたが、何よりも大きな成果は人間牧場の雄大なロケーションと天候に恵まれたことだと言っておられました。同感同感です。

 塾のような催しは施設や設備と違って後には形が何も残りません。地域政策総合センターの井石主任と脇田研究員が最後にトイレの掃除までして帰ってくれた後のガランとした空間は先程までの喧騒がまったく嘘のような静けさでした。でもこの人間牧場に人の営みによって新しい歴史が刻まれ新しい命が芽生えたのです。形に残らないからこそ意味があるのです。感動の法則1×7×5×2=70人から計算すると40人×

7人×5人×2人=2800人の感動を得たことになります。全国に人間牧場の感動の輪が広がり始めました。

  「感動は 法則計算 したならば 二千八百 大きな反響」

  「心ある 仲間集いて 逆手塾 人間牧場 やっと全開」

  「牧場で 一夜を明かし 語り合う 人はそれぞれ 悩み多かれ」

  「牧場寄席 これはいけるぞ ネタ本を 作って高座 やがて上がりぬ」


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