shin-1さんの日記

○丸山勇三元双海町長の死を悼む

 昨日はかまど開きのイベントも終わり、お餅を配って自宅へ帰り、やっと一息ついたころ看護師をしている次男から電話が入り、「久しぶりに食事に帰ろうとわが家を目指したものの、交通事故があったらしく、上りも下りも車が渋滞して双海町へ入ったというのにもう1時間も車が止まったままだ」と言うのです。聞けば町内の高野川付近で事故があったらしく、パトカーやレスキュー隊が出ていたようでした。

 昨日は警察官をしている三男一公が松山市全日空ホテルであった友人の結婚式に出席したため、久しぶりに帰郷するらしく、松山まで妻と二人で夜9時に迎えに行った頃には交通事故による交通渋滞は解消していました。「大きな事故がよくあるねえ」という妻の言葉に納得しながらもその事故のことなどすっかり忘れて朝を迎えました。

若松進一ブログ
(今朝の愛媛新聞)

 いつものように妻の作ったリンキャベを食べながら新聞を開き5面の社会欄記事を見てびっくりしました。「車同士が衝突」「元双海町長死亡」「伊予市の国道」と小文字ながら見出しが三本立っていました。とっさに私の頭の回路は昨晩次男が見た事故が元町長さんが巻き込まれた事故であることと結び付け納得仰天しながら短い事故を知らせる記事を読みました。

 新聞によると丸山さん運転の軽乗用車と宇和島市吉田町トラック運転手の大型トラックが衝突し丸山さんが全身を強く打って死亡し、相手の運転手も首などに軽いけがをしたと書いていました。突然の町長さんの訃報は私の脳裏にあらん限りの出来事を思い出させました。

 私が丸山さんと出会ったのは丸山さんが上灘農協に勤めていた頃でした。その後丸山さんは合併した伊予農協の専務として岡本組合長さんの元敏腕をふるわれ、町名変更でリコール運動に揺れる双海町の町長に立候補するも現職に敗れ初戦苦杯をなめましたが、その後現職を破って初当選を果たし、以来5期連続当選した後勇退しましたが、最後は愛媛県の町村会長を務めるなど多くの足跡を残されました。

 私は役場で町名変更の事務局をしていたこともあって、丸山さんとは相反する生き方をしていたため、町長一期目の殆どは距離を置いた場所に異動して別の仕事をしていましたが、四期16年余りは丸山さんの元でまちづくりを担当させてもらい、夕日によるまちづくりやシーサイド公園の建設運営など、県内はおろか広く全国にその名を知らしめ、多くの成果を収めることができました。

 経済に明るく特にシーサイド公園の建設や運営には、反対者も多かったためお互い心血を注ぎました。私と丸山町長さんの共通点は①町を愛する、②町のためにやる、③町を正しい方向に導くという3点でいつも目指す方向は一致していました。大変失礼ながら町長さんに①金出せ、②口出すな、③責任を取れなんて暴言を吐いたこともありましたが、金を出してくれたし責任こそ取らさなかったものの口を出さずに、私のやることをいつも暖かく容認してくれたように思うのです。

 今朝ご自宅で涙の対面をさせてもらいましたが、私の人生にとってこれほど大きな影響を与えた人はいないだけに、余りにも早い旅立ちを悔やんでいます。最近は自宅から余り外に出なかったため、何日か前冨岡さんのご葬儀でご一緒したのが最後となりました。それでも1年前、ひょっこりひとり人間牧場へ訪ねて来て、足湯をしながら海を眺め、他愛のない昔話やこれからのことについて半日も二人で話し合いましたが、願わくばもう一度過ぎ越し人生を語り合いたかったと悔やんでいます。亡くなる二日前丸山さんから電話があり、短い話をさせてもらったことも少し心残りです。

 明日は出張で高知県へ出かけなければならず、帰りが遅くなるため通夜には出れませんが、明くる日の葬儀には最後のお別れのために出席したいと思っています。安らかにお眠りください。


  「ああ何て 悲しい事故が 起きるのか 元町長の 訃報記事読む」

  「夕日など 沈むものだと 叱られた 説得折れて 思うがままに」

  「この人と 出会わなければ わが人生 どちら向いたか 分らなかった」

  「一日中 思い出す度 涙出て 冬の寒さが 更につのりて」

 

 

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