shin-1さんの日記

○かまどで炊いたご飯と味噌汁は飛びきりな味でした

 かまど開きの餅つきと同時に進行したのはご飯と味噌汁を炊くことでした。餅蒸し作業が一段落したはがまのお湯を捨て、あらかじめ妻が前夜研いでおいた、大河内さんの用意してくれたお米をし掛けました。ご飯を炊くには水加減が大事です。基本的には米と同量の水を入れるのですが、指や手の甲を米の上に置いて目分量手分量で量るのです。この日は百戦錬磨の大河内さんや調理師の晴美さんがいるので、教えてもらい準備を整えました。「始めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いても蓋取るな」の例え通り、火の番を担当してくれた井上登さんと井上浩二さんに頼みましたが、肝心な火を引く加減は熟知している私が担当しました。

 火の燃え方は友人の稲葉さんが前もって杉の木の薪を沢山作ってくれていたので大助かりでした。ご飯は二つのはがまでそれぞれ一升ずつ合計2升炊きましたが、少しお焦げが食べたいという人もいたので、残り火を残して仕上げました。

 炊き上がったご飯のはがまを一方だけ下ろして、持参した煙会所用の南部鉄製大鍋を乗せ換え、水をたっぷり張って味噌汁づくりをしました。30人分の味噌汁なので多少大目かなと思うほどの量のお湯の中に出汁と豆腐を入れるだけのシンプル味噌汁です。ギノー味噌の田中社長が直接持参した味噌を味噌濾しで濾し、松本さん夫婦の作業と味見で最後に高橋啓一さんが作ってくれた蕎麦がき団子と、カットワカメを入れて香りの高い味噌汁が出来上がりました。

 それらの作業をしながら米湊大番頭の司会進行でかまどにまつわる私の話と田中社長の味噌汁の話をしました。私は神棚に備えた氏神様のお札を持って荒神さんや水神さんの話、それにかまどの話をしました。一部の人を除けばかまどは思い出の彼方にすらないのですから、聞く人にはまるで昔話のようだったに違いありません。それでもご飯や味噌汁の思い出は自分の目の前にある食べ物だけに記憶に残ったことと思うのです。


 お昼も少し過ぎていたので、ご飯の入ったはがまと味噌汁の入った大鍋を部屋に直接持ち込み、食べたい人が食べたい量だけ自分でよそう、早速大宴会ならぬ大食事会が始まりました。ご飯に味噌汁、それに漬物と梅干しだけで他に何もないシンプルさでしたが、みんな餅を食べた後とは思えない大食漢で、2升のご飯も大鍋の味噌汁も底ざらえするほど完食となりました。私も含めてみんな大満足でした。私が用意した妻手造りの沢庵も麹漬け物も大好評で、これも完食でした。

 やがて好き者メンバー朝フル合唱隊が歌の指導を行い、みんなで3曲ほど合唱しながら楽しい催しは終わりました。井上登さんが持参した虎の尾のような粟の話も中々滅多に聞けない話でしたし、井上浩二さんが拭いてくれたホラ貝の腹に響く音も心地よい余韻として残っています。


 今回はギノー味噌の田中社長に太っ腹なところをお願いし、麦味噌、梅とトマトのドレッシング、それに伊予さつまなどをセットにして大人の参加者にはお土産としていただきました。これには参加者も大喜びで、三々五々時折小雪の降る山道を下りて行きました。

 皆を送った大番頭と小番頭も再び上がって来てこの日の反省や今後の進め方について議論を交わしました。これで年輪塾の今年の事業や行事は全て終了です。来年からはいよいよ二宮尊徳シリーズが始まります。既にそのプロローグは始まっていて、具体的なプロジェクトが決まれば年輪塾ネットで皆さんにお知らせする予定です。宮本常一プロジェクト同様いい学びと進化ができるよう頑張りたいと思っています。

 全員が帰った人間牧場で後片付けや戸締りをして一人山を下りました。途中日ごろお世話になっている地元の人たちにつきたてのお餅を配り一年の謝意を述べました。私の今回の役割は「雑用係」と明記されていましたので、雑用係に徹して働きました。お陰で少々心地よく疲れました。


  「今回は 雑用係と 肝命じ 様々雑用 黙々こなす」

  「はがまにも 大鍋さえも 残らずに 底見え嬉し 食欲の跡」

  「白ご飯 味噌汁それに 漬物と たったそれだけ シンプルベスト」

  「それぞれが それぞれ知恵と 持ち物を 持ち寄り作る イベント楽し」 

 

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