shin-1さんの日記

○私も加わったつくね芋料理

 「男子厨房に入るべからず」なんて言葉は私たちの年代は知っていても、若い人にとってはもう死語に近い言葉です。もしもこんな言葉を言ったりすると現代では遅れている人と軽蔑されたり、時には離婚騒動にもなりかねないのです。そんな石頭の私は未だに厨房は妻の仕事と決め、料理はおろか殆ど何にも出来ないのです。妻からは時々、「私が死んだらどうするの」と料理に手を出すよう誘われますが、「お前が死んだら考える」と反論し、朝食時などは相変わらず食卓で新聞を広げながらご飯を食べるグウタラ亭主なのです。

若松進一ブログ

 そんな私でもリタイアした最近では、たまに親類の漁師さんからお魚を貰うと、田舎ゆえ家の外に設えた流し台に立って魚の下ごしらえをしたり、敷地内の家庭菜園から野菜を収穫して来て洗ったりするのです。時には妻から「まあ珍しい、雨でも降らなければいいが」と皮肉を言われるものの、最後は「やればできるのね」とか「お陰で助かるわ」なんて言葉が返ってくるとついつい悪い気はしないのです。でも一度その気になって料理や台所仕事をやると、いつもやらなければならなくなるような恐怖感が先に立ち、今は何年か前に海外派遣の団長として訪ねたニュージランドでの影響で、自分の食べた物を流し台に片づけるくらいのことしかやっていないのです。

 昨日の夕方一緒に外出先から帰った妻が夕食の準備をしていて、台所から「ちょっと来て手伝って」と呼ばれました。書斎でメールの返信をしていましたが台所へ行ってみると、すり鉢につくね芋がすり下ろされてスリコギまで用意されているのです。「この仕事はあなたでないとできない」と持ち上げられたものですから、手を洗い腕をまくってすり始めました。確かにこの仕事は力仕事で2~3分もすれば腕がだってくるのです。それでもしっかりとすり、途中酢を入れたり少しの砂糖や醤油、それに削り節を入れて味を調えながらすって行くのです。ものの10分もすると美味しいとろろが出来上がりました。

 とろろは普通だし汁でのべるようですが、わが家は酢で味を調えます。やがて食卓の真ん中にとろろがすり鉢毎置かれ食事が始まりました。妻はこのとろろが大好物で、温かいご飯の上にかけて食べるのです。私はとろろは好きでもご飯の上に乗せて食べるのが嫌いで、皿によそって味付け海苔に来るので食べます。これが飛び切り美味しくてついつい食べ過ぎるのです。先日長野県南牧村から立派な長いもが今年も送られてきました。私はどちらかというとさっぱりした長芋の方が好きですが、妻はつくね芋のような粘り気がいいようです。夫婦ながら同じ食べ物でもこうも嗜好が違うのかと時々思いますが、生まれも育ちも違うので仕方がないことです。


 鍋ものはあまり好きでない私ですがこれから冬になると根菜類が美味しい季節になります。温かいものを食べると身も心も温かくなります。好きとか嫌いとかは料理に加わって初めて言える権利なのでしょうが、私にはまだそんなことを言える立場ではありませんが、将来の自立のために少しずつ料理にも口を出さず手を出して行きたいものだと、昨日の夜しみじみ思いました。

  「厨房に 入るべからず 俺古い 今の世の中 それこそ離婚」

  「手を出すと 料理が美味い 実感す お陰でつくね 余計に食べる」

  「長芋派 妻はつくね派 お互いが 五十歩百歩の 他愛を論ず」

  「結婚し 四十年に なるという 未だに好み 合わぬままにて」

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