shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年12月2日

○秋の夕日に照る山もみじ

 今日は松山工業高校の100周年期成会の役員会というのがあって、出かけて行きました。「お父さん、よく行く所があるねえ」と妻に感心してもらいながらの外出です。妻が言うように自分自身でも「よう行く所があるなあ」と感心するのです。松山工業高校は来年100周年を迎えます。この区切りを大切にしようと期成会が結成され、私は現職でもないのにPTA会長を6年もやった物好きな関係からでしょうか顧問に祭り上げられ、これまでの役員会には全て参加して意見を述べているのです。この会に集まる人は同窓会の役員と学校の先生方、それに現職のPTA役員の方々ですが、同窓会の役員はかなり歳を召した方が多く、若い先生たち集団と、どっちつかずの私たちのような中間層で構成されているため、意見の相違が歴然としていて、意見が行ったり来たりの堂々巡りが多いようなのです。それはそれとして仕方がないのですが、これまで何度も積み重ねてきた会議をぶち壊すような意見も飛び出して、関わった方々からはブーイングが起こりそうな雲行きもあって、はらはらしました。

 「この若造が何を言うか」と思われながらも私は会議では必ず意見を言うたちなので、積極的に意見を述べています。今日は記念式典の時の記念講演の講師の選定をめぐって長時間を費やしました。結局は私たちの意見が通って決定はしたものの、会議の方向未だ定まらずといった感じです。

若松進一ブログ

 会議が終わって昨日と同じように夕闇せまる道を引き返し、家に帰って車を降りて辺りを見渡すと、昨日から師走に入って暦的には初冬で秋の夕日ではないのですが、秋の夕日と同じような真っ赤な夕日が双海町のシンボル本尊山のもみじを真っ赤に染めているではありませんか。

 思わずデジカメを取り出し裏庭に駆け上がりその美しい残照に輝く風景を一枚撮りました。いやあ実に見事でした。思わず童謡唱歌である「もみじ」という歌を歌いました。

    ♭秋の夕日に照る山もみじ

      濃いも薄いも数ある中で

      松をいろどる楓や蔦は

      山のふもとの裾模様♯


 ふるさとは遠きにありて思うものというけれど、自分の身近な場所にこんな綺麗な原風景があるとは、今の今まで気づきませんでした。私たちの暮らしの中には借景と呼ぶにふさわしい風景が存在しますが、いつの間にか日々の暮らしに慣れて当たり前の風景としてしか自分の目には映らないのです。

 この何気ない風景の中で私は双海町の海に沈む夕日の美しさに気づき、その夕日を地域資源にしてまちづくりをやってきました。多分これからも、今まで気づいていなかった部分から新しい発見があるかも知れないのです。

身近な人、身近な風景、身近な暮らしの中に新しい発見をするよう心がけて生きてゆきたいと思っています。


  「庭に出て 始めて気付く 夕暮れの 本尊の山の 美しきかな」

  「朝夕に 見続けている 山々の 紅葉夕日が 照り映え綺麗」

  「会議終え 帰りしわが家 ホッとする 外は紅葉で 中からお帰り」

  「このところ 天気続きで うららかな 初頭の日差し 干し柿照らす」