shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年9月23日

○七回忌

 母親が死んでから早くも丸6年が過ぎようとしています。2001年10月4日に母は亡くなりました。奇しくも私の誕生日の明くる日に逝ったものですから、その日のことはよく覚えているのです。この6年、私にとっても大きな変革がありました。平成の大合併で双海町という自治体がなくなり、役場に勤めていた私も60歳という区切りで第一線を退きました。自由人となった今は母親の残してくれたみかん畑を開拓して人間牧場を作り、新しい活動にも取り組んでいるのです。死んだはずの母親の顔が夢に出てきたり何かにつけてよく思い出していた母親の顔も、忙しさにかまけて最近は随分疎遠になったと思うのです。

 わが家は臨済宗東福寺派なので、この地方では法要の前日念仏を行う風習があります。夜7時からの念仏には親類縁者がやって来て念仏を唱えるのです。本家ということもあり、兄弟が多いということもあって家の中は足の踏み込む場所もないほどの大賑わいです。私の兄弟は5人のうち4人までが同じ町内に暮らしています。弟だけが奈良に住んでいますが、その弟も来月の誕生日で満60歳となり、目出度く42年間勤めた会社を定年退職するようです。前日弟夫婦が久しぶりに帰省しました。親父はこの日の来るのを指折り数えて待っていたようで、2~3日前からソワソワしているように見えました。やはり息子ですから気になるのでしょう。42年まえ高校を卒業して直ぐに大手建設会社に就職し、主にトンネル工事の現場を渡り歩いてきましたが、退職後は連れ合いの実家である和歌山県に古座に家を構え移り住むそうですが、何時までも二人元気で暮らして欲しいものです。

 葬式一周忌、3回忌、7回忌と回を重ねるごとに身内の叔父や叔母たちも足が痛い、膝が痛いと、老いを感じさせる言葉がよく聞こえるようになりました。私は現在62歳ですが、これから二十年は叔父や叔母の今日と同じ葬式や法事をしなければならないのが世のめぐりでしょう。それもそのはず今日の法事に来る予定だった叔母が2.3日前に救急車で運ばれ来れなくなった旨の連絡が昨夜入りました。

 法事をするに当って大変な苦労は妻の仕事です。身内への連絡、法事の食事の準備、お寺さんとの調整、買出しなどの他に家の掃除や食器類の準備など、かなりの量の仕事が妻の一身にかかっているのです。私などは念仏の当日まで佐賀関へ交流会に行く始末なのです。

 今日も朝から9月だというのに30度を越す真夏日でした。朝から来客がひっきりなしでやって来ます。姉と妹が手伝いにやって来て手伝ってくれるのですが、法事につき物のうどんを出さなければならず側で見ていましたが大変のようでした。

 何はともあれ母の7回忌の法事は無事終わりました。手伝いと称して里帰りしている娘は子どもを二人連れてよく頑張りました。大勢の来客に酔ったのか二人の子どもたちは8時過ぎに風呂に入れてバタンキューでした。

 今は法事もどこかの料理屋さんを借りて食事会ではい終りの所が多いそうです。田舎は大変だけれど、束の間の休日に日ごろ疎遠の親類縁者が集まって色々な話をしたことも意味があり良かったと思います。

 明日は寂しがる親父を残して弟夫婦は奈良県へ帰ってゆくことでしょう。親父が言う「今度お前と会う時はおらの葬式だ」にならないようにしたいものです。

  「七回忌 身内随分 歳を取り 椅子が足りぬと 書斎の椅子も」

  「長男の 嫁ゆえせねば ならぬこと 先祖祭りに 親父のお世話」

  「次法事 誰が来ないか 分らない 自分含めて 次への不安」

  「彼岸まで 暑さ寒さを 言うけれど 今日の気温は 尋常でなし」

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