shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年4月24日

○人間牧場の道祖神

 人間牧場の入口に大きなヤマモモの木があります。樹齢は不詳ですが私が子どもの頃と少しも変らない大きさであることから考えると200年も超えているのではないかと思われます。幾度か落雷の被害にも遭ったいるようで、黒焦げた後は空洞になっていて、その中から宿った腕首ほどの蔦が梢に向かって絡まっていました。昨日は人間牧場の草刈をしたついでに、杉の木に宿る犬蔦やこの蔦を鎌で切り落とす作業をしました。蔦の生えた木は一見風情があるように見えますが、宿った母樹の栄養分を吸うので母樹の樹勢が弱ることから取り除いた方がよいと判断し、思いきって切ってしまいました。

(ヤマモモの木陰)

 その木霊宿るヤマモモの木の根元近くの広場に小さな道祖神があります。かつてはこの近くを海岸から池久保地蔵堂に通じる大間道が通っていたため、道行く人の安全や祈願のために作られたものと思われますが、昔の人の信仰の深さにはただただ驚くばかりです。この道祖神も誰かが何かの思いで作られただろうし、今も地元の誰かが人知れず守っているのです。

(ヤマモモの木の木陰にひっそりとある道祖神のほこら)

 「適わぬときの神頼み」という言葉があって、人間は病気をしたり失敗すると何かにすがりたい気持ちになります。救いの手が欲しいと一心に祈ることは当然だし、何かの宗教に心酔する気持ちも分るような気がします。私はこの歳まで何とか元気に過ごせたためこれといった宗教を信仰することはありませんでした。でも祈りとは不思議なものだと、つい最近思うようになっています。筑波大学名誉教授の村上和雄先生のテープを聴いてその意を益々深くしました。先生の論によると祈ることで人間のよい遺伝子にONのスイッチが入るのだそうです。心と遺伝子は一見何の関係もないように見えますが、志を持つことでサムシング・グレート(大自然の偉大な力)が人間に働くというのです。自分自身が自分のために祈ることは当然ですが、人に祈られることによってもその人に不思議な力が加わるというのですからこれまた大不思議なのです。しかもそのことが科学という学問で裏づけられようとしているのです。神や仏を信じない愚か者の私にはそんな難しい遺伝子のことなど分るべきもありませんが、何千年と続く祈りについても少し考えてみようと思っています。

 このところ人間牧場に足が向いて、お客様を案内したり農作業に出かけることが多くなりましたが、私はその度に入口の道祖神に手を合わせるようにしています。それは「願い事を叶えて欲しい」という祈りではなく、「今日も一日元気で怪我もなく働けますように」という素朴な祈りや、「今日も一日元気で働かせて下さって有難う」という感謝を込めた祈りなのです。左手と右手を合わせることは神仏と自分の合体です。こんなことを書くと「お前も歳をとったなあ」といわれそうですが、それでも私はいいと思って祈るのです。

 私は昨日この道祖神の周りを草刈機で綺麗に草を刈りました。人間牧場を作る計画でこの地に入った2年前は私の家のみかん畑ながら道祖神辺りは大草で足の踏み込めないような状態でしたが、今は小ざっぱりして写真で見るような道祖神って感じになりました。私はこれからもこの道祖神をの周辺を綺麗にしようと思っています。

  「祈りなど 無縁の俺が 草を刈り 道祖神なる 神をあがめて」

  「歳のせい 言われるほどの 歳になり 両手合わせて 感謝の祈り」

  「荒々し 心いつしか 穏やかに 丸くなったと 妻褒め嬉し」

  「子ども頃 母が祈りし 道祖神 何時の間にやら 私も祈る」

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