shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年4月11日

○生きがいって何ですか

 「あなたの生きがいは何」と尋ねられたらあなたはどう答えるでしょう。「今打ち込んでいる仕事」という人もいれば、「趣味だ」と答える人、「家族」や「地位名誉」、時には「お金」いう人もいて、生きがいのとらえ方は千差万別人それぞれなのです。福島大学の飯田先生はある本の中で生きがいの定義を「より価値ある人生を創造しようとする意思」、つまり「あらゆる経験を通して人間的に大きく成長したいという意思の表れ」だといっています。難しいことは分りませんが何となく分るような気がします。

 最近は子育てを終えた主婦、定年退職後の壮年、定職につかない若者など、現代は生きがいの持ちにくい社会だと言われていますが、果たしてそうなのか疑問なところがあります。一昔前の私が少年の頃は物が不自由で、明日の食べ物にさえ事欠く時代でした。故に親たちは食べるがために必死で働き、子どもたちも子どもたちなりに小さい働きをして家計を助けたものでした。そんな時代には生きがいなどと大それたことなど考える余裕もありませんでしたが、親も子どもたちも「あの頃は幸せだった」と過ぎ越し昔を述懐するのです。多分稼ぎは少なくても生きるがために働く、子どものために働くことが生きがいだったのだと思うのです。

 日本は敗戦以来60年間も戦争のない平和な時代が続いています。徴兵制度もなく巷には物や情報が溢れていますが、社会はモラルを無視した言動による事件や事故が相次ぎ、安全安心の国と諸外国から羨ましがられた日本の治安の悪さは目を覆うばかりです。過食による成人病やストレスが引き起こす心の病は、自殺者3万人の数字が示すとおり、どこかおかしく、どこか狂っているとしかいいようのない社会なのです。しかも60歳を過ぎた殆どの人が年金を受け取っているにもかかわらずその額に満足できず、「生き甲斐がもてない」と嘆いているのです。

 私は何年か前発展途上の国々を訪れた時、その生き生きとした姿に驚きを通り越して感動を覚えたものでした。経済的には決して豊でない国なのに何故か子どもたちの目は輝き、少年犯罪も自殺する人も少ないのです。またかつて若い頃映画で見た福祉国家北欧の老後の暮しの豊かさも、日本の将来として見てきました。物の豊かさと長寿を手に入れた日本人が何故生き甲斐が持てないのか、ふと気が付くと発展途上国も北欧も敬虔な祈りの国であるという事実と、日本は神仏の国でありながらその祈りをいつの間にか忘れているという事実です。第10回総理府派遣青年の船の班長としてアメリカを訪問した時、華やかな建国200年を祝うパレードに出くわしました。国歌が流れるとそれまで紙吹雪舞うお祭り気分だった沿道は一瞬静まり返り、右手を胸に置き国旗に向かって敬虔な祈りを捧げるのです。また日系2世の方の家へホームスティしましたが、何と仏壇の立派なのが置かれ、日曜日には礼拝に出かけるのです。「祈りを忘れた日本人」、私はそんな印象を強くし価値観が変ったような気がしました。

 私たち人間が信仰心を持って生きることがいかに尊く素晴らしいことかは論を待ちませんが、わが国でも私たちが子どもの頃までは祖父母や両親が自らの後姿を通して子どもたちに神仏を敬う心や先祖を大切にする心を伝えていました。私たちの町では夕日が海に沈みますが、その夕日に向かって「今日も一日無事働かせていただいて有難う」と両手を合わせる祖母の姿を何度見たことでしょう。朝はお茶とを欠かさず、ご飯が炊ければ供える、節分や彼岸の年中行事も田舎ゆえ毎年欠かさず今でも行っています。

 神仏に向かい合うと「自分は誰で、何故存在するのか」、こんな愚問が生まれます。これこそ生きがいの本質なのかも知れません。「生かされて生きる」、今では使い古された言葉ですが生きがいの根源はどうやらここら辺にありそうです。

  「生きがいは 突然問われ 多過ぎて 答えられずに 幸せ思う」

  「夕日見て 手をあわせたる 祖母の顔 今もありあり 自分の心に」

  「思わない? どこか変だな 日本人 遅くはないから 少し直そう」

  「金だけが 全てじゃないよ 目に見えぬ ものに価値あり 気付いて欲しい」

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