shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年4月5日

○shin-1さんの日記をプリント

 私は古い人間です。毎日書いてる「shin-1さんの日記」というブログも電子情報として毎日記録しているのですが、「もしパソコンのトラブルでこれらの記事がパーになったらどうしよう」と思うのですから、取り越し苦労も大変なものです。息子にこの事を話したら、「じゃあペーパーにプリントしといたら。でも火事になった焼けるかも」と冷たくあしらわれた反論には「その通り」と返す言葉もありませんでした。でも、でもやっぱり気になるなあと思いつつ昨日から、空いた時間を割いてプリントし始めました。自分のアメブロには月毎の本数が左肩隅に記録されていますが、大体平均30本から多い時で月50本くらいを書いています。ちなみにこれを私のエプソンプリンターでプリントすると昨日半日で4ヶ月くらいが限度です。途中インクのカートリッジ不足を示すランプが点灯してインクをセットし直し、その内用意した再生紙が足らなくなって、役場の知人に頼んで一締め分けてもらうなどハプニングもありましたが、何とか4ヶ月分をプリントアウトし、パンチで穴を開け表紙を付けてみました。凄いものです。毎日コツコツ書いた記事ですが凄い量なのです。今日中に2ヶ月分をプリントして半年分をまとめてみようと思っています。

 先日意思半ばで亡くなった同じ歳の人の遺品整理が話題になりました。その人は建築家らしく若い頃から文筆や建築物の写真を小まめに撮って保存していたようです。その量たるや相当なもので、その道の人にとっては喉から手が出るような貴重なものなのです。しかし遺族やその価値を知らない者にとってはこれらの遺品はゴミそのもです。薄汚れた封筒に入れている文章の数々も写真のネガも整理することも出来ず結局は友人の手によって整理が行われようとしていますが、手をつけたもののこれがまた厄介なもので全て手作業ですから時間と手間は相当なものです。

 人は死んでから生きた価値が認められる悲しい運命を持っています。勿論生前に価値が認められ勲章などをいただく人もいますが、それは晩年の出来事で勲章など貰っても殆ど役に立たないばかりか、祝賀の宴を開いて思わぬ出費を強いられたと嘆く人だっているのです。その人の遺品を前にして自分自身の生き方を考えてみました。はて私はどうなのだろうと・・・・。遺品には財産的価値があるものとそうでないものがあります。財産的価値があるものはほおっておいても家族みんなが受け継いでくれますが、私の遺品など恐らく妻さえも涙の枯れた1ヶ月か1年後にゴミとして扱うに違いありません。

 そのためには死んでから人の迷惑にならぬよう、死への準備を早めにしておかなければなりません。要らないものは捨てるをモットーに処分することです。私の書いたものなど何の価値もないのですから・・・・。そうも思いつつまた今日もこうして訳も分らぬ戯言を心の趣くままにブログという手段で記録する、そしてそれをよりにもよってプリントして保存するとは、人間って不思議な動物です。

 このところ私の書斎が「広くなったようだ」と妻がいうのです。「本に囲まれて暮らしているようだ。少し片付けたら」といつもガミガミ言われた本の殆どは人間牧場の知的空間に引越しし、更に要らない本や手紙、名刺、資料類は毎月一回畑の隅の自家用ドラム缶焼却炉で焼却処分します。昨日もシトラー3箱分を処分しました。上手な整理整頓の最たるポイントは「捨てる」がキーワードですから、これからもどんどん捨てる予定です。

 南向き、家裏に面する書斎は吐き出し窓のため知人友人は玄関を通らず私の居場所にやって来ます。昨日は伊方町三崎の塩崎君が松山への帰りにやって来ました。私の書斎での面談となりましたが、ブログをプリント作業しながら少し片付いた場所での会話は楽しいものでした。

  「プリントを しないと不安 俺世代 馬鹿じゃないのと 言われつつも」

  「価値などは ないに等しき 書き文字を 大事小事に 綴って保管」

  「目に見えぬ 心が大事と 人はいう 心どこかと 孫が尋ねる」

  「火に焼いて なくしてしまえば 諦めも つくぞとばかり 篭に三杯」 

  

 

 

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