人間牧場

◯後味の悪い一日

 私はせっかちな性格で、講演を頼まれて出かける時も余程のことがない限り、30分から1時間は早目に会場へ到着するように出かけます。ゆえに時々会場の準備が出来ていなくて、一緒に机や椅子を主催者と一緒に並べる手伝いをすることがあり、相手を慌てさせたり恐縮させたりしています。

 昨日の夜にある公民館に講演を頼まれて出かけました。冬の夜19時30分からの予定なので、カーナビを頼りに行ったお陰で道に迷うことなく、某公民館へ約1時間前に到着しましたが、会場である公民館は人の気配もなく真っ暗でした。不安にかられながらも車の中でずっと待ちましたが、10分前になった頃、主催者でなく参加者が2〜3人やって来たものの、この人たちも外で震えながら待っていました。

 公民館の担当者がやって来たのは3分前でした。時間に間に合ったのですから、科学的には何の問題もないのですが、首を傾げたくなるような出来事でした。それよりもその後です。私の紹介が終わるとその担当者が会場を出て行きました。担当者が会場ヘ戻って来たのは私の講演が終わる10分前でした。これ以上話すと相手に悪いので止めますが、その後後味の悪い会場を後にして帰路に着きました。

 私は何のために講演に出かけたのだろうと、今日この文章を書きながら思いました。昨日の講演の演題は「心豊かに生きる」でした。勿論担当者の求めに応じて私が考えた演題ですが、講演を聞きにこられた30人ほどの参加者は、私の話に共感共鳴し、帰り際「今日の話はとても楽しかった。またお話に来てください」と言われましたが、この心豊かでない公民館担当者からお呼びがかかっても、私はもう行かないかも知れません。

  「ある場所へ 講演頼まれ 出かけたが どこかしっくり こずに傷心」

  「公民館 勤めた経験 あるだけに 首をかしげる ことも時々」

  「担当者 これでは先が 危ないと 思うが口出し できぬ悶々」

  「講演は もう止めようと 腹に決め 一夜明けると そうは言っても」

 

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〇「若松さんお幾つですか?」

 昨日、「若松さんお幾つですか?」と初春水仙祭りの行われているシーサイド公園で、何人かの久しぶりに出会った人に尋ねられました。「はい71歳です」と答えると、「まあお若いですね」という言葉が返ってきました。その言葉には二つの意味があって、実年齢より若く見えたからと、美辞麗句の誉め言葉のようでした。まあどちらもうれしいことなので、「はい歳をとっても老松ではなく若松ですから」といつものように駄洒落で相手の人を笑わせました。

 しかし「まあお若いですね」という言葉には言った人と私の歳の違いもあるのです。昨日久しぶりに出会った人の中には、私より歳を重ねている人もいて、この歳になっても元気にボランティア活動をしている私を羨ましく思ったようでした。私は現役だった若い頃シーサイド公園を造ったり運営をするのに腐心しました。そのお陰でシーサイド公園は開業以来20周年を向かえ、大勢の観光客が訪れていますが、それを誇りに思う心は多少持っていても、それを自分の功績だと胸を張る必要はさらさらなく、むしろ小さなボランティアを重ねながら守り立てて行くことの方がもっと大事なことなのです。

 昨日私に歳を聞いた人は、満年齢と数え年年齢の両方が分る人でした。ご存知のように正月には「歳をとる」といわれるように、みんなが一斉に歳をひとつ重ねるのです。私が生まれた頃は数え年でした。今日の新聞によれば私が生まれた1944年の5年後1950年に、日本人の年齢を満年齢で言い表すよう定めた法律ができ、年齢=満年齢となったのです。ゆえに正月の度に「数え年は幾つだったっけ?」と頭が混乱するのですあ。私も満の71歳、お正月に数え年は73歳になりました。

 「歳は関係ない、心が若ければ」と言いつつ、体力は嘘をつくことなく「歳相応」となっています。毎日新聞のお悔み欄を見ながら、死んだ人の年齢が自分の歳と余り違わなくなっていることに気がつき、一優するこの頃です。自分の満年齢も数え歳さえも忘れる老いは、強がっても死なない限り誰もが迎えなければなりません。年末大晦日に「年忘れ」という言葉をよく聞きますが、自分の年齢さえ本当に忘れそうな雲行きです。もし可能なら若い時代に戻りたい。そんなことを考えることこそ歳をとった証拠です。さあ歳に関係なくもう一分張り、頑張らずに頑張りましょうか。「私は老松ではなく若松ですから・・・」

  「歳幾つ 尋ねた人に 歳答え お若いですねと 言われニヤニヤ」

  「歳幾つ 尋ねた人に 比較して お若いですね 言われただけだ」

  「歳幾つ 満か数えか 言われたが 自分の歳さえ 瞬時にえ~と?」

  「歳幾つ 聞かれ私は いつまでも 若松ですと 笑いを誘う」

 

 

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〇また自給レパートリーが増えた干しシイタケ作り

 今年の冬は年末から年始にかけてかなり気温が高かったため、豊作だった渋柿を使った干し柿作りで、カビが生えたり腐らしたりした人がかなり多かったようです。幸いわが家では少し遅れて干し柿を干したため、何とかすり抜けて、おいしい干し柿ができました。また西条に住む井上さんから珍しい横野柿という品種の丸い渋柿を送ってもらい、サナに干して干し柿を作りましたが、水分が多いため何度も戸外に出したり入れたりして世話をした結果、カビの兆候が見られたものの何とか甘くて美味しい干し柿が出来上がり、毎朝1個ずつその味を楽しんでいます。

天日乾燥した干しシイタケ
天日乾燥した干しシイタケ

 今年は一昨年植菌したクヌギのホダ木に沢山シイタケが生えて、これまでの人生でこれほどシイタケを食べたことがないほど、その味を堪能しましたが、少し開き過ぎたり傷んだものは、サナに広げて干しシイタケを作ることを思い立ちました。ご存知のように生のシイタケは鍋物や付け焼きなどにして食べますが、うどんの出汁や巻き寿司の具材として使うには干しシイタケでないと水分が出て駄目なのです。わが家では知人のシイタケ農家から、干しシイタケを分けてもらって使っていますが、本格的に干しシイタケを作ったことがないので、何事も挑戦だし、私の目指す自給率向上のために何としても作ってみたい一品でした。

 冬は北風が吹くのでシイタケの乾燥にピッタリだと思って始めたものの、これまでは期待していた北風が殆ど吹かず、むしろ雨が頻繁に降って、その都度干したシイタケが湿気を吸って元に戻ろうとしましたが、ここに来てやっと冬らしい北風が吹いたため、乾燥は最終段階に入ったようです。乾燥が甘いと残った水分で保存中にカビが生えるので、そろそろ仕上げて湿気が入らない1斗缶に入れて保存したいと思っています。シイタケの旨味成分は煮干しや鰹節、大豆などの旨味成分と合わせると、日本料理に欠かせない特別美味しい出汁が出ます。特にうどんの出汁などには重宝で、妻の作る出し汁を使った料理は絶品です。干しシイタケは妻のリクエストなので、これからも春秋のシイタケが生える季節には是非挑戦したいと思っています。

  「また一つ 自給の数が 増えました 干しシイタケが 沢山できた」

  「出汁取るに 干しシイタケは 必需品 旨味成分 煮干しとともに」

  「巻き寿司に 干しシイタケを 水戻し 味付け巻き込む 味は最高」

  「何でだろう 干したシイタケ 栄養分 増して身体に いいと聞きます」 

 

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〇散髪して男前を上げました

 「お父さん、講演に行くのだったら散髪くらいはしてください」と一昨日の朝、妻に言われました。私は頭の髪を短くしている髪形のため、これまでは毎月1回程度、近くの理髪店へ散髪に行っていますが、歳をとったせいでしょうか、その散髪へ行くのでさえも面倒くさくて、「そのうちそのうち」と先延ばしをしてしまうのです。妻には「一日散髪を遅らせたら一日113円の勘弁になる」などと雲に巻き、1回3400円の散髪代を計算根拠にして説明してやりますが、妻は「それを大木流しの木っ端拾いという」などと反論され、「人の前に出るのに見苦しい」「歳をとったら清潔にしないと嫌われる」を理由に、結局散髪に出かける羽目となりました。

DSCN2243 昔から散髪屋は噂話の根源のような所で、下ネタから国際情勢まで話が及ぶのです。背もたれ椅子にもたれて散髪をしながら、気持ちよくうとうとしていると、知人がやって来て、隣の席に座って散髪を始めたようです。私の顔を見るなり大いに話が弾みました。私は顔の髭を剃ってもらっていたので、噛み殺したような声で相槌を打ちつつ話を聞きました。やがて散髪を終えて理髪店を出ましたが、暖かいといっても真冬の小寒ゆえ、背筋がゾクゾクしつつ家に帰ると、冬休みで在宅の孫たちが、「おじいちゃん散髪したん?」と言って、私のまるでタワシのようなうなじを撫でてくれました。

 バリカンでうなじを刈り上げる髪形を私は「あぜ道カットだ」と言って、人を笑わせていますが、ブログを書くようになってからは時々「自画像もいいかも」と思いつつ、デジカメをオートタイマーにして撮っています。ゆえに私がいつ死んでも、PCに遺影用の写真がストックされているのです(大笑い)。自動シャッターで撮った醜いアヒルの子のような自画像を見ながら、年々増える顔のしわと白髪にため息を漏らすのです。顔のしわはさて置いて、私はまだ白髪の数は少ないようで、髪の毛も若い頃のようにふさふさはありませんが禿もせずです。毎日風呂に入りその度に洗髪し、髪をドライヤーで乾かしたりヘヤートニックをつけるでもなく、いたってシンプルなほったらかしの方法で髪を維持しています。妻の言うとおり歳をとったのですから、何は勘弁してでもせめて散髪ぐらいは月一でして、綺麗さっぱり暮らしましょうか。

  「散髪を 年末年始 せずにいた 少し伸びたと 妻に注意を」

  「散髪を 一日伸ばせば 100余円 勘弁できる 減らず口言う」

  「散髪屋 今も昔も 変わらずに 噂話の 温床なりて」

  「自画像を デジカメとって まじまじと 顔のシワ増え 髪の毛少し」

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◯早くもレンゲ草が咲いています

 昨日歩いて近所の散髪屋へ行く途中、道端でレンゲ草の花を見つけました。暖冬でタンポポの花が例年より1ヵ月も早く咲いたり、つくしが出たりと、異変のニュースがあちこちから届いていますが、私もさすがにレンゲ草の花には驚きました。

 私の友人は北は北海道から、南は沖縄まで沢山いますが、数日前北海道の北見に住む北川恵子さんから届いた絵葉書は、一面銀世界の厳しい冬の姿や近況でした。四国は南国というよりは西国です。しかも寒いといってもこの時期にレンゲ草が咲くのですからしのぎやすいのですが、相変わらず朝晩のあいさつは「今日も寒いですねえ」のようです。

 昨日は小寒、寒の入りでした。今日は七草粥を食べる日です。今の時刻は5時47分ですがまだ夜は明けず外は真っ暗です。季節の暦は少しずつ動いていて、日没はすっかり遅くなったものの、待ち遠しい夜明けは午前6時30分ころなので、ブログも2本書き終わりそうなので、ストーブに当たりながらゆっくりと新聞を読みながら夜明けを待っています。

 昨日は北朝鮮が水爆実験をしたというショッキングなニュースが世界を駆け巡り、私たちを震撼させました。北朝鮮のやることは理解に苦しむことばかりで、もし水爆実験が本当ならば、放射能汚染も気になるところです。道端で見つけたレンゲ草や菜の花の美しい姿が一際気高く感じました

  「散髪に 行く道端で レンゲ草 花を見つけて しゃがみ込み見る」

  「菜の花も レンゲも綺麗 春近し 北住む友人 雪国ハガキ」

  「北朝鮮 水爆実験 したという レンゲ菜の花 放射能気がかり」

  「道端の 花に心を 動かせる これを幸せ 言うのでしょうか」

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〇水仙が満開です

 昨日の愛媛新聞の朝刊に、双海町下灘下浜の水仙畑が紹介されていました。このところ下灘串駅近くの鉄橋を渡る列車が紹介されたり、地域おこし協力隊の本多さんさんや私が載ったりと、新年早々双海の記事がタイムリーに出て何かと賑やかです。ちょっと目を話すと見落としそうな小さな記事ですが、新聞記事は読者の残像として残るだけに、こうした小まめなことの積み重ねによる情報発信はとても大切です。

img792 ところでこのところ、今年は冬が来ずに春が来たような暖かさで、昨日テレビで見ていると梅の名所梅津寺公園では、例年より一ヶ月も早く梅が開花したと紹介されていました。歳をとると寒いのは苦手で暖かいのは大助かりなのですが、どこか異常さを感じて、会う人会う人まるで気象予報士のように、「これはエルニーニョ現象だ」とか、「温暖化の影響で暖冬」などと、テレビの受け売りのような話をしています。

 水仙も例外ではなく今年は例年より20日間ほど早い開花のようで、今週末に予定されている初春水仙祭りはどうやら満開の水仙が楽しめそうです。冬のイベントは集客に苦労するといいますが、水仙はただでさえ人の来ない冬場に、人を呼べれるありがたいイベントです。今ではすっかり有名になりこの時期になると、初春の風物詩として新聞やテレビに必ず紹介してもらえるまでに定着しました。水仙畑を守り育ててきた金山さん親子の努力と、水仙祭りを開催する花の会の努力が相乗効果を発揮したからこそ、ここまで成長してきたのです。

 水仙は花を見て楽しみ、花と球根を売って儲けようと、まちづくりの草創期には多いに夢を膨らませましたが、残念ながら経済効果は思ったほどにはなりませんでした。でも町のイメージは確実にアップしたのです。金山さんの畑から見える豊田漁港の防波堤も、どこか函館の五稜郭に似ていると、昔記事に書いたことがありましたが、いみじくも昨日のfacebookで、地域活性化センターの前神さんが、そのことに気付いてくれたようで、わが意を得たりの心境でした。昨日の新聞を見て多くの人が水仙を見にやって来ることでしょう。さあ週末は初春水仙祭りです。

  「今年は 暖冬影響 水仙が 早くも満開 昨日の新聞」

  「水仙の 花は清楚で 美しい まるであの人 みたいとニヤニヤ」

  「週末は 水仙祭りに 沢山の 人が動いて 町が賑やか」

  「何年か 前に書いたな 五稜郭 どこか似ている 同じ人あり」

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〇1月4日のお墓参り

 私たちの町では古い習わしとして正月三ヶ日が終ると、1月4日にお墓参りに出かけます。昨日は餅と干し柿を切り、お米と葉つき小みかんを用意して午前8時30分に妻と二人で出かけました。まず最初は自分の家のお墓です。年末綺麗に掃除をしてシキビを新しいのと替えていたので、掃除をすることもなくお水だけを替え、線香を手向けて手を合わせました。昨年の7月に亡くなった親父の戒名が歴盤に新たに加わり、いつもと少し違った雰囲気でした。

 その後同じ墓地内にある親類のお墓にも同じように、お供えをしたり線香を手向け、今度は少し遠い下灘の親類のお墓へお参りした後、一気に妻の実家のある八幡浜まで海岸国道を走り、大法寺というお寺の境内にあるお墓にお参りしましたが、指折り数えれば昨日だけで、15ヶ所ものお墓にお参りしたようです。一年の始まりにお墓参りをすることは気持ちのいいもので、特に最初にお参りした自分の家のお墓と、最後にお参りした妻の実家のお墓では、この一年の報告と新しい年への希望を述べ、家内安全・健康を祈念しました。

 行き帰りの道すがら、車の中で妻と久しぶりに色々なお喋りをしました。今年は年末に亡くなった伊予市の友人谷岡さんのご主人の葬儀が1月3日にあり、私は奥さんの友人として、息子は蒸せ目さんの友人として参列しました。正月の葬式は悲しさが余計込み上げて、思わずもらい泣きをしましたが、喪主を務めた息子さんのお礼のあいさつや出棺を送り家路に着きましたが、その時の私と息子との会話が話題になりました。息子は息子さんの立派なあいさつを聞いて、「お父さんが死んだら僕があいさつをするのだろうが、余り自信がない」と唐突にいいました。「おいおい、俺を殺すな」と思いました。

 そういえば私が親父の葬儀にお礼のあいさつをしました。涙を堪えてあいさつをしましたが、思ったことの半分も言えなかった昔と違い、今は思っていないことまで喋れる自分ゆえ(大笑い)、それなりのあいさつは出来たように思いますが、さて息子は私が死んだ時、多分喪主になるであろうあいさつを、どんな手合いでするのでしょうか?。それこそ見ることも聞くことまできませんが、見てみたい、聞いてみたい心境です。人は必ず一度は死ぬのです。最近墓参りをして気がつくのは、墓地のいたる所にまるで無縁仏のように、草に埋もれた墓地が増えていることです。悲しい日本の行く末です。今から私の死んだ時のあいさつを考える息子は、とびっきり親孝行な息子かも知れません。

  「墓参り 次から次へ 十五軒 供え懇ろ 線香手向け」

  「三ヶ日 過ぎればお墓 お参りし 会う人ごって あいさつ交わす」

  「わが息子 私が死んだ 時のこと 早くも心配 孝行息子?」

  「墓参り する人もなく 草埋もれ どこか悲しい 日本の行く末」

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 ◯モグラ塚

 昨日は正月三日目だというのに、日本列島の各地では4月上旬並みの暖かさで、地球温暖化を実感する程でした。この陽気に春が来たと勘違いしたのでしょうか?、畑の隅には早くもモグラ塚がお目見えしました。こんもりとまるで人間がスコップで土を盛ったようなモグラ塚は、何とも微笑ましい感じがしますが、農作物にとっては大敵で、ミミズを求めて地中を夜中中徘徊するモグラは始末に負えず、捕獲の妙案もないことから、頭の痛い仕業なのです。

 この話題を写真つきで書いたら、嬉しいことに早速知人友人から、私と同じく「モグラ被害に悩んでいる」とか、「モグラの撃退法教えます」まで、沢山のコメントが寄せられました。これまでは泣き寝入りをしていましたが、今年は是非撃退方法や予防方法を実践してみたいと思っていますが、はてさてモグラは人間様の目に見えない地中のことゆえ、また昨年も同じようなことを考えながらついには忙しくて実行できなかったため、上手く行くかどうか心配です。

 私の友人には変わった息方をしている人が多く、蓑虫の蓑を集めて布に張り合わせてキルトを作ったり、モグラを捕まえてモグラの毛皮で財布を作ったりする人がいます。世間の人から見れば、奇人・変人の類でしょうが、本人は大真面目でやっているようです。その人に比較すると私などは常識の範囲内だし、想定内の生き方をしていいるのです。おっと、モグラ塚が思わぬ方向にズレてしまいました。

  「今朝早く 畑の隅に 盛り土が 昨夜のうちに 突貫工事」

  「良く見ると 畑一筋 トンネルと 思しき地割れ モグラの仕業」

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〇届いた2016Writinng Calendar

 年末にえひめ地域政策研究センターの職員さんにお願いし、センターが入所している愛媛県商工会連合会館にお願いして、いただいた2016writing Calendarを送っていただきました。縦長で少し大き目の手帳風スケジュールブックですが、ずっと愛用していると使い勝手が良く、またこのスケジュール帳を保存しているので、少なくとも40冊ほどは書斎の引き出しに保管をしていて、私のノンフィクションって感じで、何かにつけて必要な時に必要な年の一冊を取り出して回顧し、重宝に使っています。

 DSCN2232今年のスケジュール帳は昨年のピンク系から一転して、濃いグリーン系です。表紙を開けると左に今年2016Calendarが、右に来年2017Calenndarがあり、国民の祝日16日と、24節気が書かれています。まちづくりや家庭菜園で農作業をする私にとっては、いずれの節目も大切な出来事なので重宝この上ない便利さです。さて正月元旦、真新しいスケジュール表を開けて既に決っているスケジュールを書き込みました。既にリタイアして11年、サンデー毎日であるはずの私ですが、未だに公私共に書き込むことが多く、今年もまあまあ忙しいような雲行きです。

 今年は昨年のような人間牧場10周年といった区切りの予定はないものの、今年は6回目の申年年男の意義ある年なので、しっかりとスケジュール管理をして、間違いのない一年にしたいと思っています。しかし、「正月は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」とはよく言ったもので、今年も今日は早くも1月3日です。過ぎ去る日々と時間の早さをしみじみと実感しています。今年の目標である「凡事徹底」もそれなりそこそこ順調に進捗しそうですが、「無理は禁物」「お体大切に」といただいた沢山の年賀状に戒めの言葉が書かれていました。拳拳服膺です。

  「送られた 2016 カレンダー 開いて色々 スケジュール書く」

  「この手帳 日々の予定を 書き込んで 間違わないよう しっかり生きる」

  「引き出しに ぎっしり詰めて 残してる これが私の ノンフィクションだ」

  「今年は 六回巡った 申年の 年男ゆえ 愉快に暮らそう」  

 

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◯石手寺へ妻と二人で初参り

 昨年の7月、親父が他界したので今年は喪に服しているため、門松飾りや神社への初詣は控えていましたが、一年の始まりの区切りとして、お寺ならいいだろうと、石手寺へ妻と二人で初参りに出かけました。石手寺は四国八十八箇所の霊場名刹とあって、境内にはお参りの長い行列ができていて、私たちも行列に身を委ね、懇ろにお参りを済ませました。線香の煙りを半身にいただき、家族の健康を願いながらお、寺を後にしました。

 昨日は何も予定がないので、近くの空と森という東道後の温泉を訪ね、のんびりゆっくり過ごしました。私たちと同じように正月を温泉に浸かり、のんびり過ごそうという人たちでかなり混んでいましたが、私たちもお湯に浸かったり岩盤浴を少し長めの2時間ほど楽しみ、たっぷりと健康的な汗をかきました。私たちは愛媛松山の近くに住んでいるため、時々こうして近場の温泉を楽しむことができて幸せに思います。

 孫たちは両親に連れられて松前の実家へ行き、替わりに次男夫婦が泊まりにやって来ました。愛南の親友からいただいた大きなカンパチを私が捌き、妻が刺身を作りました。年末から正月にかけて妻は、まるで賄いおばさんです。泊まりに来る人の食事や布団の世話等、相変わらずの忙しさです。私は喪中で出さなかったけれど、届いた年賀状を見たり、かなり分厚い新聞を読んだり、何をするでもなくのんびりと、穏やかな正月元旦を過ごしました。

  「裳に服し 神社参拝 できぬゆえ お寺参りで 安全祈る」

  「名刹の 石手寺長い 行列が みんな何かを 求め手合わせ」

  「親友が 送ってくれた カンパチを 私捌いて 妻が刺身に」

  「年賀状 出さないけれど 届きたる 多くの人に 感謝して読む」

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