shin−1さんの日記

〇金銭金融教育協議会に出席しました

 今日は金銭金融教育協議会に参加するため、松山市道後にあるにぎたつ会館に来ています。午前中は研究指定を受けた幼小中高校の発表がありました。その後分科会で金融広報アドバイザーとして助言をさせてもらい、昼食のあとフィナンシャルプランナーあんびるえつこさんの講演を聞いています。私はこれまでに色々な人の話を聞いてきましたが、人の前で話しをする手前、貪欲に講師の話を聞かせてもらいました。

今日も新しい知識を入れました
今日も新しい知識を入れました

 1時間の講演のあとワークショップが行なわれますが、私は夕方からスケジュールが立て込んでいるので、参加せず休憩時間に、もう一人の金融広報アドバイザーとともに、そっと会場を出ました。今朝は少し早く家を出て、コープえひめアドバイザーをしているので、コープえひめ本部を久しぶりに訪ね、アポも取らず飛び込みましたが、始業前だったこともあって、運よく居合わせた美濃専務さんと面談することができました。わが家で今年の夏採れた少しばかりの蜂蜜を手土産にしましたが、専務さんに大層喜んでいただきました。

 帰宅途中若嫁が勤めている実家の珈人という喫茶店に久々に立ち寄り、お父さんが亡くなってからオーナーとして働いている、若嫁のお母さんと少しばかりお話をしました。若嫁は結婚するまでこの店で働いていましたが、結婚後もお遊び程度で働いていたものの、お父さんが半年前に急逝したため、自家焙煎を担当しているようで、コーヒーを飲まないし喫茶店の自家焙煎がどんなものか分らないので、若嫁の仕事の様子についても少し聞くことができました。

 丁度よい時間になったので会う約束した人の会社を訪ね、色々な相談事を聞きました。会社の経営に対する相談でしたが、中々深刻で私の助言など屁のツッパリにもならないと思いますが、まあ相談があった以上逃げる訳にも行かないので、これから少し相談に乗って助言をしてあげようと思っていますが、はてさて長期戦になりそうです。今日もかくてありなん、明日も多分かくてありなんでしょう。

  「私には 人の話を 聞くことも 大事な日々の 入力行為」

  「一日が あっという間に 過ぎてゆく サンデー毎日 首をかしげて」

  「今日もまた 色々な人 出会いあり かくてありなん 明日も同じく」

  「平凡な 暮らしが一番 幸せと 思えば今日も 幸せでした」 

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人間牧場

〇孫の発熱

 土曜日の夕方から小学校二年生の孫希心に熱が出て、楽しみにしていた日曜日の公民館祭りに参加できなかったばかりか、月曜日も39度の熱が下がらず、結局月曜日と火曜日の二日間学校を休みました。今までのパターンだと保育園に通う年長の孫奏心が病気を貰って来て、お兄ちゃんに移すのですが、今回はちょっと様子が違うようで、孫奏心は今のところ元気なようです。

 子どもは土日とか夜とか、得てして病院が休みの時に怪我や病気をするものです。病院に連れて行きたくても行けないもどかしさに、親は一喜一憂しますが、こんな時は親と同居しているため、何かと相談に乗ったり、手助けをしてくれるので大助かりだと、若嫁は喜んでくれます。息子は松山市内の設計事務所に勤めているため少し遅めの8時30分頃に家を出て、帰りは大体夜9時ころになります。若嫁は実家の喫茶店に勤めているので、朝10過ぎに出勤し、帰りは夕方5時から6時ころになります。

 妻も今のところ近所の歯科医院に勤めていて、帰宅は午後5時ころですが、月曜日と金曜日は午後休んで夕方午後4時半から7時まで勤めているため、若嫁や妻が帰る時間と孫二人の帰宅時間とは、どうしても空白部分ができてしまうのです。幸い私は自由人なので所用で外出していない時は、下校途中で学童クラブに通う孫希心と保育園の孫奏心のお迎えは、目下のところ私の役割になっています。家庭では余り存在感のなかった私ですが、最近ではどうしてどうして、大いに育爺振りを発揮して重宝がられています。

 孫を風呂に入れるのはもっぱら私たち夫婦の役割です。今晩はすっかり熱が下がって一安心の孫希心を、3日ぶりに風呂に入れてやりました。たった3日ですが熱を出していた孫希心は少し痩せたような感じで、早く元気になるよう会話を交わしました。孫が一人熱が出ただけで、家の中はどこか暗く感じるもので、毎日同居の孫から元気を貰っている私たち夫婦まで、気分が暗くなっていましたが、明日から元気に学校へ行くようなのでひとまずホッとしています。

  「孫病気 学校休み しょんぼりと 私たちまで 暗い気持ちに」

  「近頃は いつの間にやら 孫日課 組み込まれ日々 右往左往す」

  「明日から 元気に学校 行くそうな 元気が一番 勉強二の次」

  「私たち 息子家族の フォローして これから先も 生きて行きます」  

 

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人間牧場

〇山茶花の花が咲き始めました

 昨日から一年収めの大相撲九州場所が始まりました。遠い少年の頃の記憶では、この時期になると立冬の暦どおり、北西の季節風が吹き荒れ、子ども心に寒さが見に染みた思い出がありますが、昨日はどうしたことか九州博多では27度の夏日となり、力士も観客席のお客さんも、汗をかくほどの陽気だったようで、異常気象?を予感させました。それでも季節は確実に冬に向かって動き出していて、野辺に咲いている黄色いツワブキや白い野菊の花々も、そろそろ見納めといったところです。

 

わが家の庭に咲き始めた山茶花の花
わが家の庭に咲き始めた山茶花の花

わが家の庭には何本か山茶花の木がありますが、その木々に赤というより少しピンクがかった山茶花の花が咲き始めました。山茶花は初冬の花なので、夏の花のような派手さはありませんが、茶花らしく控え目清楚で、人知れず咲き人知れず花びらを落すため、趣のある大好きな花の一つです。私たち夫婦がダイニングとして使っている南向きの部屋は、急峻な山と杉木立が迫っていますが、この時期は杉木立の中からこぼれ日が差し込んで、何ともいえない風情を醸しています。

 ダイニングの透明で大きなガラス戸からは、親父が長年丹精を込めて育ててきた、かなり大きな山茶花の木があって、この山茶花の木にも数日前から花が咲き始め、食事をしながら時折やって来る野鳥の可愛らし仕草に一喜一憂しながら、夫婦二人で食事を楽しんでいます。私たち現代人は何故か毎日忙しげに暮らしています。室内は防音や冷暖房によって気温が保たれ、外気を感じないよう造られていて、ゆえに季節の移ろいに鈍感で、気がつけばいつの間にか一年が過ぎ、一生を終えるような感じですが、私たちに限ってはそうあってはならないと、時には窓を開けて外気を取り込んだり、緑や花々を楽しんでいます。

 昨日も妻と朝食を取りながら、裏庭の風景を眺めて「幸せとは何か?」を議論しました。例えば夫婦がこうして何げない風景を眺め、日常会話をしながら食事ができること、食卓に私の作った無農薬の野菜が並ぶこと、病気にならず健康なこと、遠くで孫たちの泣き笑いの声が聞こえること、これらはありふれているので気付かない、ささやかな幸せなのです。「幸せとは幸せと感じる心」ですから、もっともっとありふれた幸せを感じて生きて行きたいと思いました。山茶花の花がそのことを教えてくれました。

  「ダイニング 窓から見える 何げない 風景これも 幸せですね」

  「山茶花の 花見て立冬 暦知る 一年収め 九州場所も」

  「幸せは 遠いどこかに あるような 錯覚するが 手元にあった」

  「山茶花の 花は控え目 葉に隠れ ひっそり咲いて ひっそり散って」

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人間牧場

〇facebookを楽しむ

 どんな使い方や意味があるのかも分らぬまま、facebookを始めて1年近くが経ちました。今では私が毎日書いている2本のブログのうち、アメーバブログ1本は書いて画面の公開ボタンを押せば、facebookに自動的に投稿できるように、娘婿がセットをしてくれているので、そのセットの不具合が時々起きてfacebookにアップできない限りは、ほぼ毎日私の記事はfacebookで見たり読んだりすることが出来るのです。

昇る夕日でまちづくり1昇る夕日でまちづくり2 facebookのシステムは1年経った今でもよく分りませんが、この1年間で私の元へ、友だち申請され承認した友だちの数は620人を超えました。その人の数が多いのか少ないのかさえ理解できませんが、私の書いた記事やアップした写真は少なくと620人の元へ届いている計算になるのです。私がアップした記事や写真の下には、読んで「いいね」ボタンを押した人の名前や数がカウントされるようになっていて、その中には常連的にコメントをくれる親しいお友だちもできて、毎日楽しみながらコメント会話を繰り返しています。

 「蜂に刺されて手が腫れました」と写真つきでアップすれば、人の不幸を笑うように「いいね」ボタンを押される、まるで漫才のネタになりそうな話題もしばしばですが、友だちの中にはまったく顔を見たこともないし、たった一度名刺交換しただけの人が沢山いるのも驚きです。昨日私がアップした前日の美しい夕日の写真に、沢山の人がコメントを入れてくれましたが、その中に滋賀県大津市在住の吉見精二さんという人から、写真つきのコメントが届きました。

 吉見さんは私の木になるカバンのことを知っていて、その後カバンが健在かどうか問うていました。「今も健在で全国各地へ持ち歩いています」と返信すると、今度は私の自著本の裏表表紙を写真に撮って読むよう紹介してもらい、多いに驚きました。この本を自著した本人の私でさえ、最近はこの本のことすら忘れる有様なのにです。吉見さんは元地域観光プロデュースセンター代表ですが、多くのことを知らないだけに興味津々で、いつかどこかで出会いたいと思うようになりました。

 アナログからデジタルへと時代は大きく変わりました。デジタル教育など受けていないアナログな私は、こんな便利なツールさえ使いこなせない時代遅れな人間ですが、恥をかくことを恥じる歳でもないので、失敗したり人に聞いたり、笑われたりしながら、知ったかぶりでデジタルに挑戦しています。コンセンサスどころか頭の中は毎日「混線さす」気分です。チャールズ・ダウィンが言っているように、「強い者・賢い者が生き残るのではなく、順応した者が生き残る」のであれば、時代に順応して生き残らなければなりません。生きる屍にならぬよう、しっかりと・・・。

  「アナログな 人間ゆえに デジタルは 私の頭 混線さすだ」

  「アナログも やってみるうち 少しだけ 理解ができて お茶を濁して」

  「目に見えぬ 相手と交信 面白い 口では言えぬ ことまで書いて」

  「自著本を 写真に写し 紹介す 只者でない facebookで」

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人間牧場

〇秋の夕日は美しい

 昨日は宇和島へ講演に出かけた帰りに、ホームセンターで買ったタマネギの苗の植え付け作業を午後2時ころからやりました。あいにく抜き苗が売り切れていたため、セル苗という200穴のセルに植えている苗しかなかったので、畑の横に椅子用のキャリーを置いて座り、セルの下に手を突っ込んで突起を指で軽く揉み解し、苗が傷まないよう慎重に抜き取る作業を進めましたが、これが中々時間がかかり一苦労でした。

昨日の夕日
昨日の夕日

 セルから抜いた苗を手箕に入れ、前もって立てていた畝に草削り用鍬で目安の溝を掘り、順次植ええて行きましたが、結局800本の苗を植え終わったのは午後5時前でした。孫希心が学校から友だちを連れて帰ったので、若嫁に頼まれていた孫奏心を迎えに、保育園まで行きましたが、帰宅途中家の前に聳える町のシンボル本尊山が、夕日に赤く映えているのを見て、孫奏心を自宅で降ろした後、軽四トラックを走らせてシーサイド公園まで夕日を見に出かけました。

 昨日の日没は午後5時12分ころでしたが、私の到着した午後5時前には砂浜で、ウエディング衣装の若いカップルが結婚の前撮りをしていました。刻々と沈み行く夕日を見ながら手持ちのデジカメで何枚か美しい夕日を写真に収めましたが、季節は移って自慢の夕日も随分西の端を通るようになっていて、そろそろ撮影時期も終わりを迎えるようですが、アングル的には恋人岬のモニュメントに夕日をあしらい、いい写真が取れました。

 そういえば今年のゴールデンウィークのころ、念願の一眼レフデジカメを子どもたちがお金を出し合って、プレゼントしてくれたものの、親父の逝去や何だかんだと忙しくて使う機会を逸しています。今年中には何とか使いこなせるようにしないと、子どもたちに申し訳が立ちません。もし昨日のあの綺麗な夕日を一眼レフのデジカメで撮っていればと反省しきりです。まあ慌てることもあるまいとのんびりゆっくり考えるようになったのも、やはり歳のせいかも知れないと思う今日この頃です。

  「黙々と ただ黙々と タマネギの 苗を畑に 秋の夕暮れ」

  「赤く燃ゆ 本尊の山に 誘われて 車走らせ 夕日見に行く」

  「うわあ綺麗 心の中で 叫びつつ 手持ちデジカメ 夕日に向う」

  「半年も 前に貰った 一眼を 使いもせずに 悶々しつつ」 

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人間牧場

〇突然変異のサツマイモ

 妻が「お父さんの友だちは変な人が多い」と言うように、私の友だちには少し毛並みの違った生き方をしている人が多いようです。稲葉さんもその一人で、経営している自動車の修理工場を息子さんに任せ、自分は双海町の農地を購入して、自宅のある砥部町からわが町へ農業をしに通っているのです。初期のころ人間牧場の近くの私の所有する畑も貸していて、あちらこちらにこれでもかというほど手を広げて色々な作物を作り、まちづくり学校双海人や軽トラ市の常連さんとして、まちづくり活動にも参加してくれています。

一つの茎に赤芋と白芋が交互についた珍しいサツマイモ
一つの茎に赤芋と白芋が交互についた珍しいサツマイモ

 一昨日私は里芋の種芋の保存方法を聞くべく稲葉さんに電話を入れると、「えっ!!」と耳を疑うように、「今は高知県越智町の畑でサツマイモを掘っています」と元気な声が返ってきました。何と稲葉さんは高知県まで触手を伸ばしているようで驚いてしまいました。その後芋畑から電話が入り「同じ茎に白芋と赤芋が交互についた珍しい芋を見つけた!!」と少し興奮した面持ちの一報が入り、「明日にでも見せに行きます」とのことでした。少し半信半疑で「どんな芋だろう」と頭の中で想像をめぐらせましたが、昨日の昼頃稲葉さんはナイロン袋に入れた、いわく因縁のサツマイモを持ってわが家に現れました。

 ナイロンの袋から取り出したサツマイモは、稲葉さんから電話で聞いていたように、一つのツルに赤芋と白芋が交互についているのですから、突然変異かも知れないようで、高知県で長年サツマイモを栽培している、地主の方も初めて見たと言うのです。地元新聞のネタにでもなりそうな話題を、小雨で濡れないよう玄関先に座って大いに語り盛り上がりました。稲葉さんは一事が万事このように面白い人で、人のことをとやかく言えない私と、どっこいどっこいのところがあるようだと感心した次第です。

 「類は友を呼ぶ」といいますが、私の元へは稲葉さんのように少し毛並みの違った人が集まって来ます。私たちから見ればむしろ私たちが普通で、他の人が変っているんだと感じています。それを裏付けるように私も若いころから相当変った生き方をしています。夕日なんぞに思いを寄せたり、無人島に20年間も子どもを連れて行ったり、自費で人間牧場などを造ってあっけらかんとしているのですから、一緒に住む妻でさえ開いた口が塞がらないといった雰囲気です。でもこれが自分流の人生の楽しみ方ですから、人が何と言おうと多分死ぬまでこの生き方は変わらないし、変った生き方の友達も沢山集まって来ることでしょう。「面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり」です。

  「今どこに いるのと電話 尋ねたら 高知越智町 芋を掘ってる」

  「白と赤 ひとつの茎に サツマイモ 見せに行くから 興奮気味に」

  「持参した 突然変異の サツマイモ 玄関先で 大いに話す」

  「変わり者 人をとやかく 言えないな 自分も相当 人から見れば」

 

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人間牧場

〇朝寝は時間の出費である

 秋も深まり夜明けは遅く、夕暮れが早くなって、夏タイムで動いていた体内リズムや家庭内の暮らしぶりが少し崩れかけています。私たち大人は毎年のことなので上手く調整できますが、孫たちはそんな暮らしに慣れていないため、特に朝などは外が暗いこともあって、小学校2年生の孫は朝ご飯を食べたり、学校に行く準備に時間が足りなく、アタフタしているようです。

 妻は今年の9月の誕生日で70歳になりましたが、今でも近所の歯科医院へパートに出て働いています。もうそろそろと本人も思っていますが、田舎の歯科医院ゆえ中々辞め切れず、ズルズルと足を引っ張っています。妻は7月に亡くなった親父の世話を長年しっかりやってくれていましたが、その心労がなくなり楽になっただろうと思いきや、長年の習慣は恐ろしいもので、生活のリズムが狂ったのか、少し体の不調を訴えるようになりました。

 それでも妻には家事という大事な仕事があるので、休む暇もなく働いています。私は毎朝4時に起きますが、妻は毎朝6時まで布団を温めています。私の妻の生活時間には朝だけでも2時間の開きがあるのです。私はその時間を自由時間としてブログを書いたり、早朝ウォーキングを楽しみます。まさに早起きは三文の得ならぬ「2時間の得」なのです。アメリカの実業家カーネギーが「朝寝は時間の出費である。しかもこれほど高価な出費はない」と言っていますが、まさにそのとおりであると実感するのです。

 一日2時間はどおってことはありませんが、これが一週間続くと2時間×7日=14時間、12日で一日分の24時間となるのですから驚きです。私が子どものころ祖母が「朝起きの悪い人に金を貸すな」という言葉を言っていました。つまり一概には言えないけれど朝早く起きて働くような律義者は、「稼ぎに追いつく貧乏なし」で、お金を借りても直ぐに返せれるのです。おっと、知らない間に妻の悪口になってしまいました。まあ妻はどうであれ、私は私の生き方として、これからも早朝4時に起床して、しっかりと生きて行こうと思っています。

  「毎朝の 朝寝時間は 出費だと 先人戒め なるほど納得」

  「朝既に 一仕事して 今日もまた かくてありなん 歳老い人生」

  「このころに なると布団の 温もりを 貪りたいが 思い切り起き」

  「12日 2時間早起き これだけで 一日分の 時間を稼ぐ」 

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人間牧場

〇かくてありなん文化の日

 昨日11月3日文化の日でした。最近は国民の祝日も「成人の日」のようにその年によって変り、一定の日でないものもあって、中々読み取れませんが、文化の日は不動のため各地で文化祭等が行なわれているようで、下灘地区では公民館祭りだと有線放送で報じていました。息子は若嫁が仕事のため、休日で遊びに来ていた娘家族の子どもを誘って、下灘の港付近へ釣りに出かけたようで、パットライスの実演をしていた松本さんとも出会い、ドン豆をお土産に持って帰ってくれました。

隅田さんが送ってくれた昨日の夕日写真
隅田さんが送ってくれた昨日の見事な夕日の写真

 午前11時に島根県出雲に住む親友南さんがやって来るというので、家庭菜園に出てタマネギを植える準備をしながら、到着を待ちました。やがて20分ほど前に南さんは家族5人でやって来ました。前回来た時は親子4人でしたが子どもができ、その子どもも早10ヶ月で、伝い歩きができるほどに成長していました。南さんと出会ったのは私が島根県西ノ島町に講演に出かけた時ですから、もうかれこれ7~8年にもなります。会わせてくれた町議会議員(後の議長)だった角市さんも既に他界していますが、その後役場職員だった南さんは島根県庁へ出向し、そのことがご縁で県庁職員の女性と結婚したり、役場を退職して出雲生姜を生産する農家に転職しました。

 転職については結果的に出向元へ背を向けることになるので、多少私も自責の念に駆られていますが、まあ仕方がないことと諦め、農業や生姜を使った商品開発に非凡な才能を持つ彼の前途を応援しているので、今回も高知県馬路村や四万十などを家族で巡る研修小旅行を、馬路村の木下さんと共に楽しみにして待ちました。昨日は少し肌寒かったので、ゲストハウス煙会所での対応を止めて、リフォームの終わった親父の隠居へ初めてお客さんとして迎え、積もる話をして12時ころ帰って行きました。

 息子たちは釣が終った後、ふれあい公園の広場へ凧揚げに出かけたようです。息子は500mの長いタコ糸を用意し、タコに小型カメラを搭載して天高く上げたようですが、ドローンならぬタコによるカメラ撮影は、息子の当面のテーマのようです。写した動画を見せてもらいましたが、風ブレでまだまだといっていました。
 夕方ラーメンが食べたいという孫4人のために、私たち夫婦も胴元として声がかかり、豚太郎へ出かけました。折りしも昨日は綺麗な夕日がダルマ現象で落ちた様子が、伊予市街へ向う車の後方に見え、カメラを持参しなかった後悔をしていると、高野川の路側帯で夕日を撮影している、見覚えのある人を発見しました。公民館の隅田さんでした。携帯で電話を入れましたが、隅田さんもスマホのカメラしかなかったようでしたが、有難いことに夕方そのリアルな写真を、わざわざ私のパソコンに送信してくれました。昨日もかくてありなん、いい一日でした。

  「文化の日 風は強いが 好天に 恵まれ秋を みんなで満喫」

  「島根から 親友家族 やって来て リフォーム隠居 初めてお客」

  「釣り・祭り 凧揚げ等を 満喫し ラーメン食べたい 孫リクエスト」

  「カメラなく 自慢の夕日 撮り損ね 仲間頼んで メールで届く」

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人間牧場

〇高知県四万十市幡多農業高校での講演(その2)

 幡多農業高校の大原先生から送れれてきた講演依頼のメールには、次のような趣旨が書かれていました。
 「生徒一人ひとりの社会的、職業的自立に向け、自らの生き方を選択するために必要となる、能力や態度を養うことを目的とします。あなたのこれまでの功績をはじめ、まちづくり活動の進め方や地域の活性化など、生徒と社会の架け橋のツールやヒントとなる言葉を聞きたい」でした。いつもアドリブで話す私ですが、今回もアドリブながら大まか次の7つのことについて話そうと思いました。

 

体育館での講演風景
体育館での講演風景
いただいたシクラメン
いただいたシクラメン

 1、青年団活動で手に入れた①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具は、人間が生きて行く上で大切な道具である。この道具を使えば人生が豊かになる。
 2、23歳の時に作った人生の生活設計には①結婚、②子ども4人を生み育てる、③30歳でアメリカへ行く、④60歳で人間牧場を造る、⑤85歳まで生きるなど様々な夢を書き込んだが、今にして思えば「夢はドリームではなくターゲット」であった。
 3、仲間と共に作った21世紀えひめニューフロンティアグループで、①ふるさとを空から見る運動、②無人島に挑む少年のつどい、③丸木舟建造と瀬戸内海航海、④モウモウ塾、⑤10年で40回のフロンティア塾、⑥千本桜の森づくりなどを、仲間とともに楽しくやり、ボランティアとして社会に貢献してきた。

幡多農業高校の玄関先に立つ浜田さん
幡多農業高校の玄関先に立つ浜田さん
屋外に展示していた四万十川川底から発掘した、アカガシの埋もれ木(室町時代)
屋外に展示していた四万十川川底から発掘した、アカガシの埋もれ木(室町時代)

 4、どこにでもある夕日を地域資源にして、①夕焼けプラットホームコンサート、②シーサイド公園など3つのプロジェクト事業、③観光客ゼロからの出発、④日本一小さな課長だけの課での奮戦、⑤新しい発想(じゃこ天、夕日の望遠鏡、夕日日コーヒー、夕焼けソフト)によるものづくりと第三セクターの経営、⑥12年間にわたる朝5時から3時間の海岸清掃などのまちづくり活動をやった。
 5、人間牧場での地域での恩返し活動として、①10年間で1千万円の貯蓄による資金調達達成、②標高130mの場所選び、③中心施設水平線の家建設、④ロケーション風呂の設置、かまど小屋・ピザ釜の設置、⑤ツリーハウス・作業小屋の建設、体験農場の開設などを行なってきた。

 6、人間牧場で、①毎年40人程度の子どもを募集して子ども体験塾、②塾生を募り私
   塾年輪塾を開講し、この10年間活動してきた。特に年輪塾は先人に学ぶべく2年
   間を一区切りとして、宮本常一、二宮金次郎、ジョン万次郎、中江藤樹を先人と
   して学んでいる。先人の示唆に富んだ言葉、宮本常一の記録しないものは記憶さ
   れない、二宮金次郎の経済のない道徳は寝言である、ジョン万次郎のロマンとは
   考えを形にする行動力である、中江藤樹の五事を正すは心を揺さぶっている。
 7、これからいかに生きるか、小さなことでも凡事も徹底すれば非凡になることを考
   生きることである。ポール・J・マイヤーの「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心か
   信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」の言葉通
   り、「新しい発想で生きようと結ぶ。

 幡多農業高校は黒潮鉄道古津賀駅近くの鉄橋の下をくぐると、四万十川を見下ろす高台にありました。校長室に案内され色々なお話を下あと、体育館で400人の生徒及び教職員の前でお話をさせてもらいました。体育館の壇上から見た限りでは、まあそれなりに熱心に聴いてくれたようです。お土産に学校で栽培しているシクラメンを2鉢いただいて帰りました。

  「五十歳 以上も歳の 離れてる 若者相手 中々でした」

  「アドリブで 話したゆえに 内容を 覚えてなくて 回顧に苦労」

  「実業の 高校どこか 活気あり DNAが どこか似ている」

  「これからは 少子化ゆえに 学校も 生徒集めに 受難の時代」 

 

 

 

 

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人間牧場

〇蝶ネクタイの二人の孫

 昨日は若嫁の親類の人の結婚式だそうで、花嫁に花束をプレゼントするエンゼル役を頼まれていたわが家の内孫たちは、朝から何やら楽しそうに準備をしていました。前日理髪店に行って、髪を切ってもらってさっぱりしていましたが、やがて私の書斎に「おじいちゃんどう?」と見せに来てくれました。二人は何と何と蝶ネクタイを結んでまるで子役スターのように、ダンディーな姿になっているではありませんか。

 

蝶ネクタイの孫
蝶ネクタイの孫

「よっ、格好いい!!」と声をかけてやると嬉しそうに両親に連れられ、松山で行なわれる結婚式会場へ出かけて行きました。若嫁のお父さんは今年の春先、病気で亡くなりましたが、存命中は写真が趣味で孫たちの成長はその被写体になっていたので、二人ともこれでもかというほど、沢山の写真を撮ってもらっています。早速私も手持ちのタブレットで、若嫁のお父さんほど上手くはありませんが、見習って一枚撮ってやりました。

 夕方結婚式から家族が帰って来ました。「どうだった?」と尋ねると、上手く行ったようで、孫二人はお祝儀までいただいてホクホク顔でした。若嫁に聞けば結婚式の後、正装しているのでその足で写真屋さんへ出かけ、家族写真を撮ったようです。お父さんの影響もあって息子たちは、一年に一度は必ず家族の集合写真を撮っているようで、やがてダイニングには昨日取った新しい写真が飾られることでしょう。

 そういえば私たち家族はそんなきちんとした集合写真は撮ったことがないようです。それぞれのスナップ写真が沢山あり、特に毎日のように出歩く私などは、これでもかというほど写真が残っていますが、夫婦で撮った写真は結婚式はおろか殆どないことに気がつきました。近々撮ってみようと思いましたが、多分照れくさいと妻に言われ、拒否されそうです。元気なうちにそれもありかも知れません。

  「孫二人 結婚式に 頼まれて エンゼルサービス すると張り切る」

  「蝶ネクタイ まるでスターの ようでした 写真一枚 記念にパチリ」

  「息子たち 一年一度 写真屋で 家族の写真 撮ってるようだ」

  「私たち 夫婦の写真 ありません 自慢にならぬ 撮ってみようか?」

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