人間牧場

○今晩のホテルは神戸のパールシティ神戸です

行楽シーズンのため京都のホテルが取れなくて、清水寺で紅葉のライトアップを見てから、バスで一時間かかって神戸のホテルへ午後8時30分に到着して、みんなで一室に集まり、ワイワイガヤガヤやっています。明日は再び京都へ戻り銀閣寺や嵐山へ行く予定です。

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人間牧場

〇皇帝ダリア

 最近あちこちの空き地に、人の背丈の3倍もあるような、かなり背の高い茎に薄紫の花が咲いているのをよく見かけるようになりました。この花の名前は皇帝ダリアというのだそうです。何年か前この花を始めて見た時は、その清楚な姿に眼を奪われましたが、最近は挿し木で簡単に増やせることから急速に広まって、町内のいたる所で見かけるようになりました。

皇帝ダリアの群生

 

DSCN1733 私の町は海沿いに面しているため、この時期は秋特有の季節風、北東の風がかなり強く吹くので、背丈の高い花は倒れるのではないかと、他人事ながら心配しますが、茎の太さは腕首ほどの花木に似た大きさなので少々の風では倒れないようで、その頑丈さに驚いていますが、心配したとおり中には、風の餌食になって倒伏しているものもあるようです。でも花もヒマワリのようにかなり大きく、高いゆえ遠くからも眺められるのです。

 近所に住む私の姉悦子は花が好きで、自宅の前の道に面した場所に沢山の花を、プランターに植えて楽しんでいますが、年中季節の花を植えているので近所の評判となって、自分の名前の如く悦に入っています。100歳で亡くなったおじいさんが隠居に使っていた家の空き地に、皇帝ダリアが沢山植えられていて、先日郵便局へ手紙を出しに行った帰りに、手持ちのデジカメで撮影してみましたが中々のものでした。

 この畑は数年前まで、おじいさんが亡くなってから姉夫婦が、家庭菜園として使っていましたが、最近は体の不調を訴えてそれさえやらなくなったため、皇帝ダリアの近くまで入ると、雑草の引っ付き草と、大臣グモの巣の洗礼を受け、洋服やズボンは引っ付き草がいっぱい付き、被った帽子や顔にクモの巣がわんさとついてしまいましたが、青空につんと突き出た皇帝ダリアの花を、思う存分観賞することができました。

  「そこここに 背丈の高い 花ありて 皇帝ダリアと 人に教わる」

  「皇帝と いう名の通り 気高くて 紫の花 秋空似合う」

  「クモの巣と 引っ付き草の 洗礼を 受けて体は みすぼらしくて」

  「花愛でる 心のゆとり 持ちたいと 常々思う 生きてるゆえに」

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人間牧場

〇雨の中「いい湯だな」

 昨日は前日いっぷく亭の皆さんが人間牧場へ研修に来た折、足湯のサービスをするべく、ボーラーのスイッチを入れてお湯を張りましたが、皆さんが帰ってからお湯を抜き掃除をして帰ったものの、どうやらボイラーのスイッチを切るのを忘れたようで、少し気になっていたので、眼科検診を終えて昼食を済ませたあと、人間牧場まで足を伸ばしました。昨日は前日からの雨が降り続いて、山道は水が流れてていたので、慎重に運転しました。

押上げ窓を押し上げて風呂を楽しむ私
押上げ窓を押し上げて風呂を楽しむ私
ロケ風呂から見える雨の豊田漁港
ロケ風呂から見える雨の豊田漁港

 心配どおり案の定スイッチは入れたままだったので、急な思いつきで風呂を沸かし、温泉気分を味わおうと、前日に続き風呂釜が冷えているので少し熱めにお湯を張りました。10分もすればお湯が溜まったので、前面の押し上げ戸を開けて、昼から一人温泉気分に浸りました。下界は雨霧が出て遠望はできませんでしたが、豊田漁港が一望でき、何ともいえない至福の時でした。少し熱めのお湯も頃合となり汗が噴出し、出たり入ったりを繰り返し、30分も楽しみました。

 このお風呂は通称ロケーション風呂といい、眼下にオーシャンビューの伊予灘を眺めながら風呂を楽しめるよう設計されています。周りに人家もなくプライベートなため、臆目もなく突き出した少し小さめのウッドデッキに素っ裸で出ることもでき、最高の気分です。壷くり状になっていて、普通は7~8人が足を突っ込んで足湯を楽しみますが、私や息子は折角造ったロケ風呂なので、灯油ボイラーと薪併用の風呂を沸かしたりしながら時々こうして温泉気分を味わっているのです。

 ロケ風呂のお湯を抜き、忘れていたボイラーのスイッチを切ったことを確認して、水平線の家の板間に置いた、背もたれ椅子に毛布を被ってポカポカした体を沈め、書棚から取り出した本を読みながらついウトウトしてしまいました。「温泉気分で本を読みながら昼寝ができる」、何て贅沢なひと時でしょう。これぞ私が目指す人間牧場を造った一番の使い方です。人間牧場も造って早10年、すっかり忘れていた使い方です。これからも折に触れ無目的なこんな使い方を楽しもうと思っています。

  「ボイラーの スイッチ切るの 忘れてた 折角だから 温泉気分」

  「雨の中 押し上げ窓を 押上げて 五右衛門風呂に 体沈める」

  「風呂上り 背もたれ椅子に 持たれつつ 本を読んだり ウトウトしたり」

  「本当の 目的すっかり 忘れてた これから先は 当てなく過ごす」

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人間牧場

〇郡中いっぷく亭視察研修

 昨日はあいにく朝から一日中雨でした。それでも郡中いっぷく亭の一行が視察研修にやって来るというので、お昼ご飯を早く済ませて人間牧場へ出かけました。私は晴れ男を自称しているので、雨は郡中いっぷく亭の人の責任だと思いつつ、それでも上の私道からぬかるんだ山道を、人間牧場まで歩くには多少難儀だと思いつつ、水平線の家の板間に掃除機をかけたり、足湯サービスをするため風呂を沸かし始めました。

DSCN1749 DSCN1750 その間人間牧場の周辺を窺うと、往還道に置いているシイタケのホダ場に沢山シイタケが生えているのを見つけました。風呂の湯加減を少し熱めにして蓋をして準備ができたので、ナイロン袋を持ってホダ場まで下り、少し雨に濡れながらシイタケを収穫しましたが、ナイロン袋に入りきらない程の大豊作でした。キャリーに入れて玄関先まで運び入れ、急いで軽四トラックで私道まで上がり、一行の到着を待ちました。

DSCN1753 奥島観光の立派なバスに乗った一行は、大洲まちの駅、大洲市内視察、白滝モミジ見学、長浜での昼食を終え、人間牧場が最後の研修先のようでした。足元の悪さに少し気の毒な感じもしましたが、用意した軽四トラック助手席を使うでもなく、13人の一行は元気に到着しました。殆どの人は顔見知りなので思いつくまま、地域づくりについて1時間ほどレクチャーした後、足湯を楽しんだりお茶を飲みながら雑談に耽りました。

 田舎ではこの時期余り珍しくもないシイタケですが、全ての食材を買い求めなければならない町場の人にとってシイタケは、思わぬプレゼントだったようで、あれほどあったシイタケも皆さんに、分けて持ち帰っていただくことができました。シイタケはバター焼きや付け焼きにしたり、鍋物の具材として使えばおいしくいただけます。少し足の不自由な女性を助手席に乗せて私道まで上がり、皆さんを見送った後、風呂の掃除をしたり片付けたりして山を下りました。昨日も充実したいい一日でした。

  「殆どが 顔見知りゆえ それなりに 少しレクチャー 雑談耽る」

  「雨の中 シイタケホダ場 傘差して 手当たり次第 シイタケ収獲」

  「合併後 同じ市民に なった人 想い共有 いい街つくる」

  「シイタケを みんなで分けて 持ち帰る どんな料理に 変身するか?」

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人間牧場

〇カメラ散歩

 一昨日の日曜日は夜来の雨も上がり、風もなく穏やかな一日でした。午前中友人知人や取材外来人と、私設公民館煙会所で面談し、少し時間的余裕があったので陽気に誘われ、カメラをポケットに入れて散歩に出ました。毎日一万歩を目標に歩いていますが、この日はカメラ散歩の歩数も加わって、携帯付属の万歩計は1万3千歩も記録していました。近所の畑では雨が上がったため、野菜の手入れをする顔見知りのおじさんやおばさんが、背中を丸めながら草取りなどの農作業をしていて、顔を合わす度に立ち話で世間話をしましたが、このところの暖かさを少し異常ではないかと感じているようでした。

手入れの行き届いたみかん園の実り
手入れの行き届いたみかん園の実り
絵に画きたくなるようなみかん
絵に画きたくなるようなみかん

 近所の畑も田圃もやはり高齢化の影響でしょうか少し荒れ気味で、間もなく耕作放棄地にランクを落すかも知れない予感を感じながら歩きましたが、手入れの行き届いているみかん果樹園はやはり別格で、さすがと感心しつつ、持ち主の人の了解を得て畑に入り鈴なりの色づいた、まるで絵に書いたような美しいみかんを、写真に撮らせてもらいました。お礼?にとみかんをハサミで摘んでいただきましたが、甘さも程好く味もしっかり乗っていて、これならお金になるだろうと問いかけると、露地みかんの価格は安く、みかんでは飯が食えないし、高齢なのでそろそろ終わりにしたいと、淋しく話していました。

 かつては耕して天に至ると形容された、双海町のみかん畑も次第に姿を消し、伐採されたみかん園にはキウイやビワ、シキビなどが植えられ、便利の悪い急傾斜地には杉やヒノキが植林されて、昔の姿は見ようもなく、すっかり様変わりをしていますが、これからは改植や植林すらされない耕作放棄地が増えるのではないかと危惧されています。イノシシの被害も甚大で、イノシシを年中追いかけている人は、年間100頭以上も鉄砲や罠で仕留め、有害鳥獣捕獲助成金を沢山貰った人が、何人もいると聞きました。わが家の裏山にもイノシシが出没し、今朝も新しい足跡を見つけました。このままだとふるさとの野山田畑はどうなるのだろう?と、心配しながらの散歩となりました。

  「雨上がり 近所のんびり 散歩する おじさんおばさん 腰をかがめて」

  「立ち話 会う人ごって つまらんと この世嘆いて 生きてるようだ」

  「田畑の あちこち耕作 放棄地が 目立ってきたと 実感しつつ」

  「手を入れた みかん園入り さすがだと 誉めたお蔭で ミカンを貰う」

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人間牧場

〇無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられる

 昨日の午後、散歩の途中近くの建設事務所の金網塀に絡みつくように咲いている朝顔の花を見つけ、それを朝鮮朝顔と聞いていたので、写真に撮って知ったかぶりでfacebookにアップしました。ところが私の友人である福祉作業所ひなたぼっこ理事長の野川さんから、私の心を傷つけないような気配りで、この朝顔が野朝顔・オーシャンブルーとも呼ばれる琉球朝顔で、朝鮮朝顔の説明書きを写真つきで添付してfacebookにコメントしてくれました。

朝鮮朝顔の花
朝鮮朝顔の花

 私には全国に野川さんのような沢山の知恵ある仲間がいて、色々と私の知らないことを教えてくれますが、今回もまたわが顔が爽やかな朝顔ならぬ、オーシャンブルーの花の色のようになるほどの大失態を演じてしまいました。恥をかく度に「無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」という言葉を思い出しますが、まあこの歳に免じてお許しいただきたいと、野川さんに感謝とお詫びのメールを送らせてもらいました。

私が間違った宿根朝顔の花
私が間違った宿根朝顔の花

 それにしても、私が朝鮮朝顔と見間違えた宿根朝顔は、普通の朝顔のように花が咲いた後種をつけないのに、どのようにして繁殖するのか分りませんが、下灘駅の東寄りの斜面はこの琉球朝顔がわが物顔に蔓延って、一目見るとオーシャンブルーの花もいっぱい咲いて、殺風景な今の季節を演出してくれています。帰化植物であるセイタカアワダチソウやキンケイソウも、公害草とは知らなかった最初は、黄色い綺麗な花だと思ったものでした。

 朝鮮朝顔は花岡青洲という昔の医者が、麻酔薬として使ったことで知られていますが、私は本当の朝鮮朝顔を見たことがないことになりますが、野川さんのコメントに添付してもらった朝鮮朝顔の花の写真を元に、いつかは見てみたいと思っています。私に本当のことを教えてくれた野川さん、ありがとうございました。

  「聞き覚え 朝鮮朝顔 写真撮り facebookで アップ失態」

  「その花は 宿根朝顔 言う花と 友人そっと 教えてくれた」

  「この花を 花岡青洲 麻酔薬 使った話 信じられない」

  「知らずして 恥をかくこと 多かりし 歳に免じて お許しください」

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〇元双海町長仲野和さんの思い出(その4)

 仲野さんの思い出の中で特質されるのは、何といっても町名変更問題です。仲野さんにとっても私にとっても、勿論町民の皆さんにとっても思い出したくない出来事で、仲野さんも町民も、これまで町名変更問題だけはタブー視され、口をつぐんで来ました。しかし町名変更で選挙を戦った丸山勇三元町長さんも既に他界し、この度の仲野さんの他界で気兼ねをする人もいなくなったので、史実として記録を残すために、そろそろ重い口を開くことも考えなければならないようです。

 私は仲野さんが町長の時、教育委員会で社会教育の仕事をしていたため、命令系統的には蚊帳の外であるはずなのに、田舎の行政はそこら辺が曖昧で、また教育行政トップの教育長もそのことが分らず、教育委員会の職員でありながら請われるまま、いつの間にか暗黙の了解で町名変更担当にさせられました。町名変更した埼玉県長瀞町や原発で町が二分していた高知県のある町を視察する等、かなり綿密な調査を行い、町内36の自治公民館で座談会を度々行い、産業団体、福祉団体、教育団体などを集めて何度も討論を行うなど、民意の発掘に力を注ぎました。

 そのうち公民館係長であった私に、総務課総務係長、企画調整室企画係長という兼務辞令まで出され、当時窓口だった愛媛県庁地方課へも度々説明に行くなど、色々な意見があってもそれなりに行政手続きを進め、議会も一旦は同意議決して国の認可まで漕ぎつけ、「双海町は来年4月から双海町は伊予灘町に変更することを許可する」旨が官報に告示されました。その後にわかに反対運動が起こり、町を二分する町長リコール運動に発展し、仲野さんはその責任を取るというよりは、一旦町長を辞任して選挙で信を問うたのです。結果は新人の丸山さんに勝ったのですが、その際新しい町名を辞めて双海町名に戻したのです。

 辞任した町長の任期は残任期間の2年だったので、2年後激しい選挙戦の末新人の丸山さんが当選し、仲野町長時代は終わりを告げましたが、仲野さんは残任期間を含めると5期16年間町長を務められました。私は仲野町長とともに責任を問われ、13年間勤めた教育員会を去り、左遷という形で産業課へ転勤を命ぜられ、その後4年近く産業課で水産や観光行政を担当、下灘漁協の水産物荷捌き所や上灘漁協の漁村センターを造ったり、観光協会を活性化させてそれなりに情熱を燃やして活動しました。

 それは恩師と仰ぐ静岡県大井川町の朝比奈博さんから贈られた、「ぼうふらも人を刺すよな蚊になるまでは泥水すすり浮き沈み」と、県公連会長岡島明夫さんから贈られた、「今は充電期間だ」の言葉に勇気づけられたからだと、今はあの世に行った二人のことを懐かしく思い出すのです。仲野さんにしろ丸山さんにしろ、最後の町長だった上田さんにしろ、私は時々のトップに恵まれました。私が地方公務員という限られた社会に生きていながら、こうも活発に飛び出す公務員として活躍できたのは、3人のお蔭だと心に言い聞かせています。私にエールを送り続けてくれた3人の町長につけても、合併はしましたが、「双海町」というふるさとを守り育てて行かねばなりません。これからの余生は、恩返しのために生きたいと思う今日この頃です。なお「幻の伊予灘町」については、後日折々記憶を頼りに記録したい思っています。仲野さんのご冥福を心からお祈りします。

  「町名を 変更すべく 働いた 元町長の あの日懐かし」

  「人は皆 ぼうふら人生 浮き沈み 悪くもあれば いい時もある」

  「功績を 誉める人なく 淋しいが せめて私が ブログに書いて」

  「冥福を 祈りながらも 逝きし人 思い浮かべて 心に誓う」

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人間牧場

〇元双海町長仲野和さんの思い出(その2)

 私は宇和島水産高校を操業後、同校の専攻科に進む予定で全ての準備を終えていました。ところが時期を同じくして親父がガンに侵され、私が家の漁業を継がねばならなくなり、焦燥の思いで急遽帰郷し家業を継ぎました。8年間漁師として若吉丸の船長となって鯛網をやりながら青年団に入団し、それなりに青春を謳歌しました。朝の早い漁業と夜の遅い青年団活動で体調を崩した私は、意識不明となって松山の病院へ入院する羽目となりました。幸い一命を取りとめ回復はしたものの、重労働は禁物と医師から診断され、約3ヶ月間入院と自宅療養を余儀なくされました。

 私は青年時代、NHK青年の主張の県代表になったり、双海町青年団長、伊予郡青年団長、愛媛県青年団連合会長、愛媛県青年団体連絡協議会長、四国四県青年団連絡協議会長などを歴任して、活発な活動をしていたのを当時の仲野町長さんは傍で眺めていたようで、ある日吉岡産業課長さんが入院していた道後の奥島病院の病室へ、町長に頼まれたと見舞いにやって来て、「町長さんから頼まれたのですが、この際漁業を諦め役場に入って、町のためにあなたの才能や情熱を生かして欲しいそうです」と言われました。今で言うへッドハンティングだったのかも知れない、青天霹靂とも言うべきその言葉を両親に話すと、それもいいかも知れないと私に転職決断を任せてくれました。

 その来歴は自著本「昇る夕日でまちづくり」の冒頭に詳しく書いているので割愛しますが、もし私に目をつけてくれた仲野町長さんがいなかったら、今の私はなかった訳ですから、感謝しても感謝しきれない大恩人なのです。若かった私はこの人のためだったら何でもやろうと思いましたが、当時青年団の指導をしてくれていた中嶋さんは私の心を見透かしたように、「あんたは町長に雇われているのではなく、町民に雇われていることを忘れないように」と諭されました。今にして思えばこの言葉をかけてくれた中嶋さんも大恩人と言えるのかも知れません。

 今でこそ役場や市役所の職員になるには大学を卒業したり、試験をしなければ地方公務員にはなり得ませんが、高卒でありながら試験もしないで役場へ入れる、こんな信じ難い古きよき時代があったのです。町長さんは私の青年活動の様子を見たのか、教育委員会に出向させ公民館主事として第一歩が始まりました。そのころには体調もすっかり回復し、社会教育に生涯をかけようとのめり込み、様々な活動や取り組みは全国的にも注目されるようになりました。このことについても自著本に書いているので割愛しますが、町長さんは私に町の広報を担当するよう命じました。ただでさえ多忙極まりない夜も昼も土日もないような公民館の仕事に加え、月に2回発行しなければならない広報は、教育委員会に出向している職員でありながら、町長の決済を直接受けなければならず、目の回るような忙しさでしたが、月に二回の広報を10年間にわたって執筆した広報マンとしての仕事は、私の後の大きな武器になったことを思えば、凄い出来事でした。

  「病室に 私見舞った 課長さん 町長伝言 誘いの言葉」

  「今にして 思えばヘッド ハンティング 迷った挙句 転職決意」

  「試験せず 口約束で 公務員 好夢員だと 笑って入庁」

  「月二回 広報執筆 10年間 書く武器 使って今も」  

 

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〇遅ればせながらのハーロウィン

 日本は不思議な国で、ハーロウィンなどという外国のお祭りを真似て、東京渋谷の駅前が熱狂に包まれたかと思えば、街中ではこれまたキリスト教でもない人までクリスマスを待ち焦がれ、早くもイルミネーションをつけて、ジングルベルを唄いながら、その日が来るのを待ち焦がれているのです。もっとやるべきことがありそうな気もしますが、まあ平和がゆえの出来事と思い、巻き込まれないよう自分流を貫きたい気持ちです。

 わが家でもハーロウィンの時は孫たちが、保育園や小学校でそんな催しがあるようで、何がしかの影響を受けて楽しんでいましたが、ここに来て北海道佐呂間町の親友パンプキン武田さんから、1ヶ月も前に送って貰っていた観賞用カボチャを、ダイニングに飾っていましたが、そろそろ傷みかけてきたので、カボチャに絵を画き、目や鼻、口などを包丁でくり抜いて、中にローソクを差し込んで、親子で工作していました。

DSCN1704DSCN1705 「おじいちゃん、おばあちゃん、カボチャの工作ができたので見に来て」と、孫二人にダイニングへ案内されました。小さいけれど立派な工作が出来上がっていました。早速ローソクに火をつけて手に持っているところを、写真に撮ってやりました。孫たちは夜の来るのが楽しみでカボチャをテーブルに置き、そのカボチャに火を入れて夕食を楽しんでいました。もう初雪が降ったであろうオホーツク海に面した佐呂間町の武田さんのお蔭で、わが家はもちろんのこと、10月24日に人間牧場で開いた子ども体験塾の収穫祭も多いに盛り上がりました。

 「孫たちが 観賞カボチャ くり抜いて 中にローソク 入れて楽しむ」

 「ハーロウィン 意味も分らず 子どもらも ワイワイ騒ぐ 日本は可笑しい」

 「北海道 住んでる親友 毎年の ようにカボチャを 送ってくれる」

 「私たち 昭和生まれの 人間にゃ
理解ができぬ 今の世の中」

 

 

 

 

 

 

孫たちのカボチャ作品
孫たちのカボチャ作品
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〇居間の電気をLEDに替えました

 3日前私たちの居間の蛍光灯が突然消えて、電気に関しては無知ながら色々触ってみましたが、回復の兆しがないのでそろそろ寿命が来たのかも知れないと諦め、結局息子に頼んで買い換えることにしました。息子は建築の仕事をしているのでデザイン性、機能性、消費電力等を勘案して、今流行のLED蛍光灯に変えたらどうかと提案があり、金額的には少し高いが仕方がないと、妻の財布と相談して、この際居間2間の蛍光灯を取り替えることにしました。

わが家の居間はLDE照明になりました
わが家の居間はLDE照明になりました

 息子は私たちが外出から帰ると既に古い蛍光灯を取り外して、LEDに替えてくれていましたが、デザインも光源もまあ満足の行くものでした。息子が言うのには購入金額は少し割高でしたが、①長持ちする、②使用電力が少なくて省エネ効果がある、③長持ちするの3点を説明してくれました。同時にわが家は田舎ゆえ夏になると虫が多いのですが、虫が余り寄りつきにくいというのです。もしこれが本当だとすると夢の照明だと信じ込みました。

 ところが昨日何げなく机の上のパソコンで、LEDについて少し調べて見ると、これまで調査したデータがかなり詳しく載っていて、息子が嘘を言った訳ではありませんが、どうやらそれほどの効果がないことが少し分りました。もっと早く調べていれば蛍光灯の方を選んだかも知れないと、多少悔やみましたが今となっては後の祭りです。わが家は息子たちと同居を始めた時、電気代で息子たちといさかいを起こさぬよう、電気代は息子たちが払う、水道代やガス代、灯油代は私たちが払うというエネルギー代を相談で取り決めました。

 勿体ない精神の塊のような私たち夫婦は、小まめに電気を消す癖が身についています。息子たちは勿体ないより快適性を追及する世代なので、時々無駄な電気は消すよう注意をしますが、われ関せずといった暮らしぶりです。それでも最近は本宅と隠居を含めるととてつもなく大きな田舎の家に住んでいるので、電気代が息子家族の家計を圧迫しているようで、近頃は何かにつけて電気を消しよう言うようになり、してやったりの心境でニヤニヤしながら見守っていますが、息子も納得して買って取り付けてくれたLEDの様々な効果を信じるしかないようです。

 私たちの身の回りには無数の電気があります。夜ともなるとスイッチにもその位置を示す明かりが灯り、室内はバックライトで照らされ、また冷蔵庫も一晩中文句も言わず働いて、とても快適に暮らしていますが、それら一つ一つが知らない間に電気のメーターを熱くなるほど回しているのです。裸電球しかなかった子どものころの暮らしを知っているだけに隔世の感があり、勿体ない気持ちがついつい先んじています。私たちの暮らしになくてはならない電気ですが、原子力発電の是非も含めて、今一度立ち止まって考えてみたいものです。

  「蛍光灯 突然消えて いじったが 寿命でしょうか 復旧せずに」

  「蛍光灯 時代遅れと 早言われ LEDに とって替わられ」

  「メーカーは 良いことずくめ 言ってるが 調べてみると そうでもないな」

  「いつの間に 裸電球 姿消し いまや主流は LEDだ」 

 

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