人間牧場

〇49日と一周忌法要

 この2連休は22日に義理の叔母の49日法要、23日に義理の妹の一周忌法要と仏事が続き、気分的に少し疲れました。もっとも49日の仏事は最初29日の予定だったのに、和尚さんの都合で一週間早めたため、私は全国おやじサミットで講演する予定が入っていて抜き差しならず、妻一人で出席して対応してくれましたが、昨日は妻の妹の一周忌なので、朝食を終えると直ぐに準備をして、隣町長浜まで車を走らせました。

 一旦妹の家に立ち寄り皆さんと合流して、昨年の23日に葬儀をした折立ち寄った、直ぐ近くのお寺まで歩いて出かけ、本堂で住職さんに読経を上げてもらいました。このお寺は浄土宗知恩院派で、宗祖は法然上人のようで「ナムアミダブツを十回唱えて下さい」と説明があり、声を出して念仏を唱えました。その後住職さんは柔らかい物腰で「布」について少し長めの説教をされました。

 布は肉眼で見ると一枚の布に見えますが、顕微鏡で見ると縦糸と横糸の無数の集まりであり、一本も無駄な糸はないそうです。ほつれている糸が見苦しいからと抜けば、そこは穴が開いてしまうから、ほつれた糸も容認しなければならないことを自覚せよとの教えでした。人はいつかは死に、天国か地獄に召されますが、死んだ人も生きている人とともに自分という一枚の布を作り上げているのですから、いつまでも大切に思ってくださいというお話に納得しました。

 7月に亡くなった親父も含めて、今年も沢山の仏事を主催したり参列し、その度に人生のはかなさを思い知らされていますが、ふと気がつくのは宗教や宗派を超えて、その都度人間がいかに生きればいいのか、和尚さんが諭してくれるのです。最近は自分がそんな歳になったせいでしょうか、若いころのような結婚式への出席は影を潜め、葬儀・法要などへの参列が多くなってきました。また若いころには説教を聞いても馬耳東風と聞き流していたのに、今頃になると心の扉を叩くのです。

 昨日は、変わる葬式事情やお墓のあり方などが、親族の集まった場所でオープンに話されています。葬式や法要のあり方、お墓のあり方などなど、それぞれがまちまちの価値観と考え方を持ち、実行に移しているようです。昔は考えられなかった散骨や、お墓さえも否定し、また先祖のお墓へは入りたくないけど、飼っているペットと一緒にお墓に入りたい人など様々なようです。死生観さえも変る現代を、私たちはどう受け止めればいいのでしょう。

  「連日の 仏事色々 あるけれど この世の人は 少しわがまま」

  「坊さんの 説教心 扉打つ 俺も歳だな そんな思いで」

  「人のこと 余り気にせず 自分流 貫きたいと 思っているが」

  「親否定 連れ添いさえも 否定して ペットと一緒 訳が分らぬ」

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