人間牧場

〇東京からでも情報発信は出来る

 先日観光庁の招きで東京へ出かけて行きました。いつもプラスワンを心がけている私は、ついでに東京駅の近くにある地域活性化センターへ、急な思いつきで立ち寄りました。地域活性化センターには愛媛県庁出身の前神女史が出向していて、その日の朝松山空港から電話してご無理を言い、時間をとってもらいました。不案内な私は東京駅大丸デパート前で前神さんと待ち合わせをして、地域活性化センターへ到着しました。応接室でなく事務所の中のソファーで名刺交換をしていると、前神さんの触れ込みもあって双海町のことを知っている人や、興味のある職員さんが沢山集まってくれました。

活性化センターで熱弁をふるう私
活性化センターで熱弁をふるう私

 私は早速ポケットから電光掲示板を取り出し、ネクタイに取り付けてスイッチを入れました。オートローディングになっている電光文字は左から右へと流れ出し、みんな驚嘆の眼差しで文字を追いながら、私の話を聞いてくれました。職員の中には今年の夏に人間牧場へ研修にやって来た人も何人かいて、その人たちが言葉を添えてくれるものですから、私も悦に入って熱弁をふるったようです。
 数日前facebookでその模様が写真と文字でアップされると、多くの人から書き込みのコメントをいただきました。私が持ち歩いている木になるカバンの話や、夕日亭大根心の芸名で落伍をしたり、180話を越えるそのネタ本「夕日徒然草」の話題にも興味を持たれました。

 お金を稼げない地域づくりは長続きしないとか、特に地域活性化センターへ出向している地方の自治体職員は、東京でしか出来ないことをして欲しいと提案もしました。出向すると自分の存在もどこか忘れられた存在になりがちですが、例えば東京から自分の街の首長さんに毎月ハガキを出して近況を報告すると、これはもう、今後のとてつもなく大きな力となるのです。
 私が東京の地域活性化センターを訪問したことは、地域活性化センターのクリエイティブ事業室の岡野さんによって、facebookで配信されたお陰で、多くの人に紹介していただきました。一事が万事、動く・動いたことを知らせる・動いたことで効果が生まれる、まさにこれこそ私の言うプラスワンなのです。

  「東京の 活性化センター 訪ねたら 早速face bookで紹介」

  「ちょっとした 気配りあれば プラスワン 動け動かせ 生きてる限り」

  「東京へ 出かけたそうな メールにて 感想face   bookでコメント」

 

 

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人間牧場

〇facebookのお友だちが500人を越えました

facebookの友だちの人数が500人を越えました
facebookの友だちの人数が500人を越えました

 私は自称パソコン苦手人間です。ゆえに役場に勤めていた現職のころは、余りパソコンに興味がありませんでした。ゆえにパソコンが苦手という意識が働き、今でもパソコンを満足に使うことができないのです。しかし退職後あちらこちらから講演のオファーがかかり、その度にメールで「プロフィールを送れ」「資料を送れと言われるものですから、止むに止まれずメールを始めました。また退職を機に娘婿から進められて始めたブログが病み付きとなり、1日に2本も書いて今日に至っています。その後はブログとメール一辺倒でした。ところが最近になって出張の旅先でも、簡単なブログをかけるタブレット端末を手に入れ、教えてもらうこともなく何とかブログを書けるようになった程度ですが、今は木になるカバンにタブレット端末を入れて持ち歩いています。

 最近友人の勧めでfacebookを始めました。最初からfacebookの何たるかも分らぬまま始めたため、未だに使いこなせていませんが、それでも娘婿の協力でアメーバブログ「shin-1さんの日記」に書いた記事を、,facebookに転載されるようにしてもらったため、俄然私のブログの読者が増えて、多い時は書き込まれたコメント返信対応に四苦八苦するほどになりました。
 facebookには友だち機能があって、友達承認すればその人の情報が全て見えることから、まだ始めて間がありませんが友達が次々に増え、昨日500人を越えました。500人という人数が多いかどうか分りませんが、70歳を迎えた初老の田舎者にしてはえらい数字で、暇さえあれば机の上のパソコンで、また旅の途中でタブレットで、友だち情報を見ながら楽しみ、時には身近な話題をアップしたり、ご意見に返信したりして楽しんでいます。

 最近の情報技術の進歩は目覚しく、またスマートフォンの普及で道行く人も歩きながら、片手で通話や情報視聴を楽しんでいるようです。3歳の子どもが親のスマートフォンを使い、見よう見真似で110番したことが話題になるなど、私さえ使いこなせないスマートフォンやタブレットを、子どもでも平気で使う時代ですから、あっけにとられ、開いた口が塞がらないのです。
 タブレットを手に入れて使い始めて思うのですが、「知らない」「できない」「使わない」という既成概念は古く、もう通用しない時代です。「もし私がブログをかけなかったら」「もし私がタブレット端末を持たなかったら」「もし私がfacebookを使わなかったら」と、苦手から目をそらさなかった自分に大きな拍手を送ってやるのです。それにしても500人の友だちは凄いです。これからも大切にしたいものです。

  「気がつけば facebookの 友だちが 500人越え 驚きました」

  「昨日今日 facebookで あれやこれ 知らないことを いっぱい知って」

  「もし私 facebookを しなければ バーチャル世界 リアルにならず」

  「進み行く 社会の変化 追い切れず 時代遅れに なってしまった」

 

 

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人間牧場

〇大はがまの蓋作り

 地域づくりをしていると、野外活動に必要な道具類が一つまたひとつと増え、それらをしまう倉庫が必要となるばかりか、活動の度に使うべき道具を出し入れする雑事に追われ、その殆どが重量的に重くて太く、一人では持ち運べないものもあって、気分的には〇×▲□・・・のうんざり感が漂います。私が持っている道具類はドラム缶を半分に切ったかまど、大釜、臼、杵、はがま、蒸し器、鍋類、食器類、チェンソー、草刈機、マイク一式、鍬、鎌類、ブルーシート、干しサナ等に加え、調理や風呂を沸かす薪類を加えると、倉庫は幾ら広くてもいいくらいの品数と容量なのです。

いびつながら完成した大釜の蓋
いびつながら完成した大釜の蓋

 先月石臼とアルミの大はがまをいただきました。石臼は綺麗に洗って石臼の上に保存用の蓋を作り、ピザ釜横の作業小屋に汗をかくほど難儀をして収納しましたが、アルミ製の大釜は、綺麗に洗って乾燥させただけで東屋の隅に置いていましたが、昨日は家の倉庫から分厚い松板を取り出して、蓋を作る計画を思いつきました。一枚板なら簡単にできるのですが、それ程広い板はなく、結局2枚の板をつなぎ合せて使うことにしました。大釜の蓋は下から火を焚いて中のお湯から蒸気が発生するので、蒸気が板の継ぎ目から逃げない用にしなければなりません。そのため接合部分を食い込ませる必要があるのです。

 メジャーで蓋の大きさを採寸し、二枚の板の端にL字型の食い込みを入れる作業は、道具とて殆どない中での作業なので、目印につけた線に沿って鋸で切り込みを入れてはつりました。この作業が中々難しく骨が折れましたが、何とか2時間ほどで終えました。続いて接合した分厚い板に大釜の大きさの円を描きました。コンパス等ないので棒状の木切れに釘を打ち、真ん中と思われる場所に固定して時計の針のように回して円周を描きました。後は普通の鋸で周りを小切りして修正し、最後はカンナでさらに修正を加えました。蓋の上に算木2本を打ちつけて出来上がりです。

 親父が長年愛用していた電動カンナは故障して使えないため、全て手作業となってしまいましたが、何大釜の蓋は多少いびつながら、夕闇迫るごろ何とか出来上がりました。今日はこれから最終仕上げを行い、今週末人間牧場で開催予定の年輪塾の折、軽四トラックに積んでとりあえず人間牧場へ運び収納する予定です。願わくは将来屋外に耐火煉瓦でかまどを造り、様々な加工に利用したいと思っていますが、塩作りも喫緊の課題となっているので、利用したいと思っています。また道具が一つ増えてしまいました。どうしよう?です。

  「大はがま 貰ってきたが 蓋がない 自分で作る 不器用算段」

  「二枚板 湯気が漏れない ようにする これが中々 難儀な作業」

  「夕暮れに 何とか出来た 釜の蓋 少しいびつも ご愛嬌ですよ」

  「お父さん 器用じゃないと 妻だけは 誉めてくれるが 親父けなされ」

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人間牧場

〇地域教育実践交流集会(その4)

縄田さんの車のタイヤパンク
縄田さんの車のタイヤパンク

 ⑩タイヤパンクのハプニング
 全てのプログラムを終え、後片付けをして国立大洲青少年交流の家を後にしました。施設に通じる下り坂を下りたところで、路側に一台のワゴン車が止まり、その周辺に10人ほどの人だかりがしていました。ワゴン車の前に車を止めて降りてみると、どうやら大分県の縄田さんのようでした。車の右後のタイヤがパンクしたらしいのです。早速ガソリンスタンドやJAFに電話をしたり、交流の家の職員も駆けつけ対応していたようですが、この日は日曜日の午後とあって、対応に時間がかかるようでした。勿論私も義妹が亡くなって2七日のため、仏前を訪問する予定で先を急いでいたので、後ろ髪を引かれる思いで現場を後にしました。その後メールやfacebookでのやり取りだと、何とか修理が出来、遅れた便で無事帰宅したとの事でした。私もかつて出張先鳥取で時ならぬ大雪に出会い、スリップ事故で車を大破し、散々な目に遭ったことがあるだけに、特に日ごろお世話になっている縄田さんだけに、他人事とは思えない心配でした。

 ⑪忘れ物のハプニング
 国立大洲青少年交流の家を出た、北只交差点信号を過ぎた所で、職員の一宮さんから電話が入りました。ショッパーズに車を入れて電話を聞いたところ、「若松さん、カバンを忘れていませんか?」とのことでした。車の中を見渡してみると、私の着替えを入れていたリュックが見当たらず、「しまった」と思い、引き返しました。この日私は朝食後宿泊室を出て、午前8時からのインタビューダイアローグの打ち合わせのため、荷物を持ってオリエンテーション室へ向かいました。そこで集まった人たちに進め方をレクチャーし、荷物を置いたまま会場へ入り大役をこなしました。2時間40分もの仕事をした清々しさから、すっかり荷物のことを忘れてしまったのです。歳をとったせいでしょうか?、忙し過ぎたからでしょうか?、まあどちらとも取れる大失態のハプニングでした。「お父さんは持ち歩くものが多過ぎるから忘れるのは当然」と妻にいつも言われています。木になるカバン、名刺入れ、ハーモニカ、電光掲示板、二宮金次郎銅像、知行合一の木彫りなどなど、よくもまあ持ち歩くものがあるものです。

 ⑫今年もギノー味噌をいただき配りました
 私は自分の似顔絵名刺の裏に、「裏が味噌」と書いたギノー味噌の、コマーシャルを載せています。このコマーシャル代で名刺を印刷しているので、名刺印刷代はギノー味噌が出してくれるという、したたかな算段です。さらにこの名刺に添えて100g入りの麦味噌までいただき、色々な場所で配って販促に協力しているのです。今回も参加者に名刺を配り、いただいた麦味噌100gパックを配らせてもらい、参加者は大喜びで我先に持ち帰りました。お陰様でギノー味噌の利用者が増えてきたことを実感するようになりました。最近ギノー味噌では商品のアイテムも一段と充実して、社運隆盛といった感じです。味噌は醤油とともに日本の食文化の隠し味として、なくてはならない調味物です。特に日本食を代表する味噌汁は、なくてはならない日常食で、ギノー味噌の麦味噌はとてもいい味をしていて、人間牧場の鱧の味噌汁は全てギノー味噌を使って味付けをしていて、誰からも喜ばれています。

  「大分の 親友タイヤ パンクして 帰るに帰れず 旅先難儀」

  「進行に 熱入れ過ぎて わが荷物 忘れる私 やはり歳だな」

  「100g 小袋もらい 全員に お味噌を配る みんな喜ぶ」

  「今年も 色々あった 研修会 お後宜しく 来年もまた」 

 

 

 

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人間牧場

〇地域教育実践交流集会に参加して(その2)

書道パフォーマンス
書道パフォーマンス

 ⑤歓迎アトラクション
 今年の集会歓迎アトラクションには久万山五神太鼓保存会と愛媛県立みなら特別支援学校松山城北分校、愛媛県立川之石高校書道部の若い人たちが出演してくれました。面をかぶって大人顔負けの五神太鼓を演じた子どもの中には5歳の可愛らしい子どももいて、特別な緊張感で演奏中に一人気を失ったりしましたが、大丈夫な様子でした。みなら特別支援学校の子どもたちの伊予万歳赤穂浪士の段も、見事な書道パフォーマンスで笑顔という文字を音楽に合わせて無心に大書する姿にも、大きな拍手が起こりました。

賑やかにワークショップ
賑やかにワークショップ

 ⑥オリエンテーションと歓迎ワークショップ
 オリエンテーションは毎回実行委員会のメンバーが、交代でやるのですが今回は中予教育事務所の灘岡さんが世代交代をして、また歓迎ワークショップは三崎の朝野さんが昨年に引き続きやってくれました。いずれも本業は教員ながら社会教育の経験も長く、大いに将来が楽しみです。昨年富士山登山をしている最中の朝野さんに、実行委員会最中の私が携帯で電話を入れ押し付けた経緯があり、今年も続いての当番となりましたが、見事に役割を果たしてくれました。嬉しい出来事でした。

 ⑦分散会
 今年は11分散会が行なわれ、33の発表が出揃いました。来年度の参考にしたくて、幾つかの分散会を見て回りましたが、参加人数が15人~20人程度のグループだったので、2時間半が長くも短くもなくいい雰囲気で流れていました。わが町からは11分散会に読み語り隊の冨田さん、10分散会に双海町子ども教室の宇津さんがそれぞれ発表するので、時間を割いて聞きに行きました。地域おこし協力隊・冨田さんの洗練された絵本読みも、大学生ながらジュニアリーダーとして活躍している宇津さんの熱い思いも、十分参加者に伝わったようでした。

楽しかった夕食交流会
楽しかった夕食交流会

 ⑧夕食交流会・チャリティオークション
 夕食交流会は一番の楽しみです。青少年交流の家のレストランは毎年、調理人さんが腕によりをかけて料理を作ってくれていますが、今回も食べきれないほど美味しい料理が並びました。特におでんの大根は絶品でみんなあっという間に食べ尽くしました。武智さんと吉見さん二人の息の合った司会進行やトーンチャイムによる大合奏も大笑いでした。私と松本さん、それに赤石さん宇津さんの4人で皆さんが持ち寄った物をオークションにかける催しは一番の呼び物で、押し売り宜しく4万7千円もの売り上げがあり、大いに盛り上がりました。ちなみに私も人間牧場蜂蜜を提供させていただきました。漁夫の利を得たのは赤石さんたちで、いつの間にか募金箱をちゃっかり用意して、福島キッズのための募金をやっていました。

  「歓迎の アトラクションで 子どもたち 大人顔負け 大きな感動」

  「若い人 どんどん出番 作るゆえ 将来楽しみ 私もそろそろ」

  「分散会 わが町二つ 出番あり どちらも上手く 発表してた」

  「ウォークション 売った買ったと 声かけて いつの間にやら 全部なくなる」

 

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人間牧場

○地域教育実践交流集会

  昨日と今日の二日間、国立大洲青少年交流の家で地域教育実践交流集会が開かれました。この集会を開催するため、何回も実行委員会を開き、半年がかりで準備を進めてきましたが、今回は過去6回のどの集会よりも、統率の取れた良い集会となりました。 私は過去6回のどの集会もそれぞれ重要な役割を担い、今回も二日目の特別企画インタビューダイアローグの2時間40分の長い討論の司会を、山本英明先生、中尾茂樹先生の3人で担当しました。 綿密な進行計画を立てた訳ではありませんが、壇上に上がったパネラー5人は、私の支持に従っていい発表をしてくれましたし、フロアーからの意見もかなり拾うことができて、いい流れで進行することが出来ました。 讃岐先生を中心にした5人による 事前の目覚ましトークも、まるでシンポジウムのプロローグのようで、「あなたの町のまちづくり」に素敵なアプローチをしてくれました。 直前の東京出張と重なりかなりタイトなスケジュールでしたが、やっとその重さから開放され、自宅へ帰ってきました。

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人間牧場

〇第1回観光カリスマ懇談会(その2) 

 私の背広の内ポケットには、既に一昨日に過ぎてしまった「第1回観光カリスマ懇談会」の席でいただいた沢山の名刺が膨れるほどあります。退職して10年が経つというのに、多少少なくなったと言いながら、一年間に交換する名刺の量は相当なもので、余り整理をしないまま書棚の定位置にうず高く積まれています。多分今回の東京で貰った名刺の束も、その運命を辿ることでしょうが、逆に今回も私の名刺の反応は上々で、今日から始まる地域教育実践交流集会に行くため、名刺入れにまた新しい名刺を仕込まなければなりません。

 さて今回は松山飛行場で急に思いついたことがあります。東京での会議が午後3時30分からということもあって、東京駅近くになる活性化センターへ立ち寄ろうと思いました。活性化センターには愛媛県庁から前神女史が課長として出向しているし、色々な知り人がいるのに、まだ一度も訪問していないことに気付いたからです。前夜史談会で出会った友人の市役所職員松本さんが、「東京へ行ったら地域活性化センターの前神さんに会って帰って下さい」と言われたことを思い出したからです。

 空港ロビーから松本さんに電話を入れ、前神さんの電話を聞き出し電話を入れたところ、運よくアポが取れました。羽田に到着した私は浜松町でモノレールから環状山手線に乗り換え東京駅に到着し、12時30分に八重洲北口大丸前で前神さんと落ち合いました。鳥取から出向している職員さんと3人で近くの食事処へ昼食を食べに行きました。肉の余り好きでない私ですが、前神さんと同じ豚丼を注文し美味しくいただきました。その後活性化センターへ初めて立ち寄りました。

 もう20年も前に私の話を聞いたという埼玉から出向の課長さんや、人間牧場へ来たことのある顔馴染みの人たちを交え、お茶を飲みながら色々な話に花を咲かせました。私の名刺や電光掲示板が余程珍しかったのか、沢山の人に集まってもらい、いい交流をすることができ、これで次に東京へ行った折立ち寄る場所が出来たと内心喜んでいます。一年中講演などで日本国中旅をしている私にとって、東京は通過地点にしか過ぎませんでしたが、東京の知り人を訪ねるのも悪くないと思いました。私は今回木になるカバン内の七つ道具である中身を全て取り出し、着替えやタブレット端末等を入れ、木になるカバン一つという手軽な旅にしたお陰で、肩の凝らないいい旅となりました。

  「一束も あるほど名刺 いただいて はてさてこれら これから先は」

  「出張の 途中立ち寄る 場所できた 通りすがりの はずの東京」

  「東京の 職場出向 愛媛人 ふるさとなまり 懐かしく聞く」

  「今回も 思いで残る いい旅を させてもらって 幸せでした」

愛媛新聞に掲載された観光カリスマ懇談会の模様
愛媛新聞に掲載された観光カリスマ懇談会の模様
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人間牧場

◯羽田に到着

  朝6時から品川プリンスホテルの体育館ほどもある大きくて広いレストランで、バイキング料理を楽しみました。前夜の観光庁での立食夕食会は軽食だったので、かなり腹が減っていて、多少多めの朝食となりました。周囲には外国人が多く、まるで外国へ行ったような雰囲気でした。すべての料理が一流でした。 ホテルを早めにチェックアウトして、普通は浜松町からモノレールで羽田空港に向かうのですが、今朝は品川から京浜急行で羽田入りしました。 全国的には寒波の影響で寒くて強風欠航もあるようですが、羽田は天気も回復していて、松山便は大丈夫なようです。 友人の大野さんから携帯で友人のお母さんの訃報が届きました。

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shin1さんの日記

◯今宵は東京にて泊まります

  今日は国土交通省観光庁での会議のため東京へ来ていますが、交流会が遅く最終便の飛行機に間に合わないため、今宵は東京に泊まっています。品川駅前の品川プリンスホテル24階の部屋はとても広く快適です。 私はこれまでどちらかというと旅に金をかけないタイプなので、今回はかなり贅沢な旅です。久しぶりに日本の中心地東京の街を歩きましたが、肩肘擦り合う感じがして、活気は感じるものの、行き交う人は誰も無口で通り過ぎてゆきます。 明日は早起きして東京を脱出する予定です。

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人間牧場

〇11月の五行歌

 昨日松山五行歌11月歌会の結果が、主宰者である見山あつこさんから送られてきました。出席歌・欠席歌の数々にはいつも感心させられますが、反面自分の送った駄作歌には今回も〇▲□×÷といった感じがして、浅学菲才を恥じました。
 私の今回の歌は次のとおりです。

  だめよだめだめ
  流行語
  どこで使って
  良いかもわからぬ
  今でしょう

 講評には次のような記事が載っていました。
 「☆今年の流行語大賞にノミネートされるであろう、お笑い芸人の鉄板ネタ「だめよだめだめ」。使い道がわからないといいながら、意外とサラッと使えてしまうものです。旬の言葉を切り取り、昨年の流行語「今でしょう」と組み合わせてまとめられたのはお見事」と評されていました。ちなみに出席歌一席はまあこさんの次の歌でした。

  細りゆく命の
  背もたれとなり
  夫を抱く
  静かに
  深き秋へと

 ちなみに欠席歌の一席は和子さんの次の歌でした。
  水面に一枚の枯葉
  激しい流れに身をまかせ
  石につまづき
  舞いながらゆっくりと
  流れゆく 人生のように

 出席歌一席も欠席歌一席も、私には到底真似のできない秀作です。さて末尾に見山あつこさんが達筆私信で、「若松進一様 今年もあと一ヶ月を残すのみとなりました。いつも楽しい歌をありがとうございます。12月もよろしくお願い致します。見山あつこ」と書いてくれました。いやはや嬉しい言葉です。この私信は短いながらまるで五行歌のように私の心を揺さぶりました。「そうだ今月の歌を作って送ろう」と思いました。見山あつこさんこの一年、ご指導ありがとうございました。

  「ノミネート された中から 流行語 大賞射止め だめよだめだめ」

  「また駄作 秀作比べ 気落ちする いつも誓うは 今度こそなり」

  「短いが 達筆私信 心打つ 気を取り直し 駄作を作る」

  「一年が あっという間に 過ぎて行く 残り火僅か 気を引き締めて」

 

 

 

 

 

 

 

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