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〇子ども体験塾の黒山登山(その2)

 事前登査の時歩いた登山口上の道は、イノシシの被害に遭ってかなり悪路だったので、昨日は登山口を変更し、途中の砂防ダムまで農道を歩きました。砂防ダムまで登ると田舎の風情いっぱいの、小さな木橋や木階段を歩いて登山道に出ました。心配していた沢の水の増水や、夜来の雨でぬかるんでいるかも知れないと

畑中の道を登る子どもたち
畑中の道を登る子どもたち
砂防ダムの木橋を渡る子どもたち
砂防ダムの木橋を渡る子どもたち

いう心配は外れ、比較的歩き易い環境で、子どもたちも楽しいお喋りをしながらの登山となりました。

 しかし流石に進むほど急になる登山道に汗をかき始め、休憩地と定めた水場では間伐した杉の木に腰掛けたり、湧き出ている清水を美味しい美味しいと言いながら飲んだりして、少し疲れた様子でした。ここまで来ればしめたものです。休憩時間を終えて再び歩き始め、最後の胸突き八丁を過ぎると、視線の上に林道のガードレールが見え、先回りしていた救護班の宮本館長さんと救護車が見えました。林道から急な坂道を登ると目的地の黒山神社です。

 神社前の広場にはイチョウとモミジの葉っぱがまるで人為的に敷き詰めたように落ちていて、神社の鳥居がとても印象的でした。標高が高いので平地より気温が低く、風邪を引いてはいけないので子どもたちに着替えや汗拭き、重ね着を指示した後、拝殿後ろの本殿に登ることにしました。言い伝えによると開祖の頃神社の御神体は海を向いて安置されていたようですが、沖を通る船に悪戯をするので山向きにしたようで、急な石段をみんなで一列に並んで登り、参拝をしました。

 その後体を温めるために、私が指導をして簡単なゲームをしましたが、意外とこれが受けて楽しいひと時を過ごしました。またとっさに思いついた絶叫大会も子どもが日ごろのうっ憤を晴らすように大声を張り上げ、周囲の山にこだまする大声は、参加したみんなの笑いを誘いました。その後ブルーシートを敷いた上に座って、お楽しみの弁当を広げ、少し早い昼食となりました。みんなの笑顔を見届けたところで、私は次の所用のため一人下山し始めました。馴れた道を少し急ぎ足で元来た道を登山口まで出たところで、折岡さんの家付近で顔見知りの折岡さんご夫婦に出会いました。会話を交わした後みかんとレモンを一袋いただき、それをぶら提げて車まで戻り私の山登りは終りました。

  「一列に 並びゆっくり 森の道 子どもペースで 神社を目指す」

  「この水が 源流ですと 説明し 美味い美味いと 喉を潤す」

  「黒山の 神社の前の広場にて 絶叫大会 山にこだます」

  「ただ一人 元来た道を 引き返す 途中レモンや みかんいただく」 

落ち葉のじゅうたん
落ち葉のじゅうたん

 

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〇ヨモギの苗取り

 昨日の夕方、子ども体験塾の打ち合わせのため、双海支所に立ち寄りました。あいにく公民館の赤石主事さんは留守でしたが、居合わせた地域づくり協力隊の冨田さんと出会い、ヨモギ談義に花を咲かせました。満野浜の借りている畑にヨモギを植える作戦は、皆さんの日程が折合わず延び延びになっていますが、早く植え込まないと、冬がやって来るので気を揉んでいたところ、明日日曜日の早朝から集まって植えるとの事でした。私はあいにく急逝した義妹の初七日仏事があって参加できないため、苗だけでも確保しようと思いました。

おがしたヨモギの根っこ
おがしたヨモギの根っこ

 急いで家に立ち帰り、家の横の果樹園に出て生えている苗となるヨモギを、鍬で堀起こし始めました。畑は前日の雨で濡れていて、おがしてもヨモギの根についた土はへばりついて中々取れませんでした。加えて履いている作業用の長靴にも粘っこい土がへばりつき、思った以上に悪戦苦闘しました。土を落としたヨモギを順次一輪車に積みながら、手元が暗くなるまで作業を続け、畳2畳ほどの広さのヨモギを掘り起こして、苗となる根ゲットしました。

 そのうち南西のやまじ風が吹き雲行きが怪しくなったので、雨に合わさないよう一輪車毎倉庫に入れました。果樹園に生えているヨモギはいわば雑草です、その雑草を畑に植えて山菜にして一儲けしようというのですから、正気の沙汰ではありません。「捨てればゴミ生かせば資源」の例えどおり、「ほおって置けば雑草生かせば薬草」になるのですから、俄然張り切るのです。植えた苗はやがて春先に芽吹き、摘み取った新芽は食材として販売する予定ですが、「取らぬヨモギの新芽算用」になるかも知れません。

  「薄暗く なった畑で ただ一人 ヨモギの根っこ 鍬掘る作業」

  「一輪車 いっぱいの ヨモギ苗 倉庫に入れて 一晩寝かす」

  「雑草の 烙印押され 刈り取られ 厄介扱い される運命」

  「おがしつつ 取らぬヨモギで 一儲け しようと思う 素人算用」  

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〇黒ニンニクのパワーいかに

 妻が最近友人から黒ニンニクを貰ってきて食べ始めました。私にも勧めるので試しに食べてみましたが、「ニンニクは臭い」という先入観があって、また食感がグジャッとして余りよくなかったので、敬遠していました。ところが妻は黒ニンニクが効きつつあるようだと勝手に思い込み、今度は炊飯器で黒ニンニクを作ることを思いつきました。黒ニンニクを作るのには電気炊飯器にニンニクを入れて、15日間以上も炊き続けなければならないようで、どこへ置くかでひともめしました。

黒ニンニク
黒ニンニク

 

妻の作った黒ニンニク
妻の作った黒ニンニク

妻はわが家のゲストハウスがいいと主張し、勝手に私設公民館煙会所へ持ち込みましたが、電機炊飯器から出るニンニクの臭気は相当なもので、ゲストを招き入れるのに失礼だと、またひと悶着があり、結局屋外の民俗資料を入れている倉庫へ電気のコードを引いて入れ、一件落着しましたが、黒ニンニクを作る作業期間は傍に寄っただけでニンニクの匂いが立ち込めていました。やがて15日が過ぎ蓋を開けて取り出しましたが、綺麗な黒ニンニクが失敗することもなく出来上がりました。

 早速一週間前から夫婦がひとかけらずつ朝食と一緒に食べ始めました。いつもの如くネットで黒ニンニクのことについて調べてみると、まあ凄い量の説明が出てきました。既に黒ニンニクはネット通販で売られているようで、金額もまるでサプリメントのようでした。ポリフェノールが生ニンニクの5倍とか、仕事中やる気が出ない人・若々しさを取り戻したい人にお勧めなどと、過大広告のような気がする言葉が並んでいますが、話半分と思って少し続けてみようと思っています。

  「食べないか? 妻に誘われ 始めたが 黒いニンニク 効くのかどうか」

  「炊飯器 使って妻の 作りたる 黒ニンニクの 臭いプンプン」

  「ここに置く 駄目よ駄目駄目 流行語 地で行くように 妻と対立」

  「ニンニクも 信じる者は 救われる 少しの間 続けてみよう」 

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〇季節の移ろい

裏庭の紅葉した山モミジ
裏庭の紅葉した山モミジ

 

モミジの落ち葉を散らした坂道
モミジの落ち葉を散らした坂道

 春が来て夏が過ぎ、冬の足音を聞きながら晩秋のこの時期を迎えていますが、今年はことのほか周囲の山々の紅葉が綺麗で、特にハゼモミジの赤い色が一際目立って、モミジの名所へ行かなくても四季の移ろいを堪能させてくれるのです。今朝私たちのダイニングの窓越しに、私の植えて育てている山モミジが色合いもよく紅葉しているのを妻が気付き、「綺麗ねえ」と言いながら、二人で昼食を食べました。

 
 この山モミジは15年も前、山歩きをしていた時、道端の雑草の中から小さな芽を引き抜いて持ち帰り、裏の畑に植えた10cmほどの苗木が大きくなったものです。丹精こめてというよりは、自然体で大きくなったのを刈り込んで育てたもので、まさに自分流の容姿です。春の芽吹き、夏の葉繁り、冬の枯れ木と姿を変えて季節を演出してくれますが、晩秋のこの時期はそれなりに紅葉の衣を着て、私たち夫婦の目を楽しませてくれています。

 今朝ジョギングから帰って家の入口付近にお祀りしている、お地蔵さんへ上がる坂道を見ると、シダレモミジが紅葉し、昨日の雨であっという間に紅葉した葉っぱを落とし始め、坂道一面にモミジの葉っぱを敷き詰めたような雰囲気でした。モミジの紅葉もさることながら落ち葉吹雪でもいうべき姿を見て「わあ、綺麗だ」と思うのも、心の余裕かも、それとも歳のせいかもと思いながら、しばらくな間見とれていました。

 そこへ近所の人がお地蔵さんへお参りにやって来ましたが、その人は上を見上げて「モミジも散り始めましたね」と言いながら、無造作に敷き詰められた落ち葉を踏みつけて坂の上まで上がり、お地蔵さんに手を合わせてお祈りをしたあと帰って行きました。心の中で「勿体ない」と思いつつ、踏みつけられた落ち葉を見て少し心が傷みました。今日は天気も良くて小春日和です。間もなく落ち葉を吹き飛ばすような季節風が吹くことでしょうが、もう少し風情を楽しみたいと思いました。

  「山モミジ いつの間にやら それなりに 大きくなって 衣をまとう」

  「窓越しに 紅葉綺麗 山モミジ 夫婦愛でつつ 朝食食べる」

  「音もなく ヒラヒラ落ちる 山モミジ 錦織りなし 坂道埋める」

  「お地蔵さん 参拝来た人 無造作に モミジの葉っぱ 踏みしめ帰る」

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〇変化した五つの道具

 私は18歳から26歳まで青年活動に没頭し、愛媛県青年団連合会々長や四国四県青年団連絡協議会々長を最後に一線を退きましたが、青年団活動で①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という五つの道具を手に入れました。この五つの道具は自分のこれまでの人生において、どれほど役に立ったことでしょう。そしてほおっておいたら錆びるであろうこの五つの道具を、これからも時と場所と機会をとらえ、錆びないよう磨きながら生きて行きたいと思っています。

 今日は96歳になる親父が毎週2回出かけるディサービスの日ですが、親父の姿を見てふと、私がこれまで使ってきた道具と違い、歳をとったら五つの道具が必要であることに気付きました。まず一つ目は入れ歯です。親父は若い頃鼻ガンを患い片方の頬骨を取っているため、上も下も総入れ歯です。最近体が少し小さく縮んだため、入れ歯の具合が悪く、しょっちゅう妻の勤めている歯医者さんで直してもらっていますが追いつかないようです。入れ歯は日常の食事に欠かせないものなので、高齢者にとっては体の一部分として一番の必需品かも知れません。

 二つ目は杖です。「お迎えは足からやって来る」の例えのように、高齢になると足や腰が衰えます。特に膝が悪くなると杖がなければ歩くのもおぼつかなくなるのですが、認知症の進んだ親父は杖を3本も持っているのに、その杖をどここことなく置き忘れ、いつも探さなければならない有様です。それでも外出用の軽い杖は、三つ目の道具である手押し車にちゃんと積んでいて、いつでも間に合うようにしていますが、最近まで外出に使っていた手押し車は外出の機会が減ったため、玄関内に置いたままのようです。身を委ねるように手押し車を押して歩く高齢者の姿は、まるで田舎の風物のようで、何ともほほえましいものです。

 四つ目は補聴器と眼鏡です。耳も目も老いとともに遠くなります。高いお金を出して作った補聴器も眼鏡も96歳になった親父には、この2~3年必要のないものになったようで、テレビのボリュームを高くして見たりしていますが、眼鏡をかけることも余り必要でなくなりました。最近必要となったものは五つ目パンパースです。妻がスーパーなどで買い求めてきたパンパースを、最初は嫌がっていた親父も、夜寝るときなどは盛んに使うようになったようで、月曜日と金曜日のゴミ出しの日に、ゴミとして出すのも私の仕事となりました。気がつけば①入れ歯、②杖、③手押し車、④補聴器と眼鏡、⑤パンパースはどうやら親父生きていくための道具で、私の将来の必需品かも知れないと、まるで他人事のように笑い話の道具にしている自分の姿に、ハッと驚くのです。

  「人生を 五つの道具 使い分け 今の今まで 豊かに生きた」

  「親父見て これから先は 新しい 道具必要 ドキリと思う」

  「パンパース 最初嫌がり 抵抗を していた親父 今は難なく」

  「他人事 思って笑い 転げるが 間もなく俺も 親父のように」

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〇国立大洲青少年交流の家40周年記念式典に招かれて

国立大洲青少年交流の家40周年記念式典(壇上より)
国立大洲青少年交流の家40周年記念式典(壇上より)

 私の記憶が正しければ昭和46年新春早々の1月2日、愛媛県青年団連合会の会長をしていた私の元へ、当時の白石春樹愛媛県知事から一通の祝電をいただきました。「国立大洲市年の家誘致決定」という嬉しい知らせでした。一歩リードされながらも諦めることなく、高知県室戸と誘致合戦を繰り広げていた矢先の朗報だったので、私の喜びは計り知れないほどのものでした。こうした誘致には私たちのような下っ端兵隊が幾ら頑張っても成功することはまずなく、色々な政治家が水面下で動くものですが、振り返れば当時の坂田道太文部大臣の存在を忘れることはできません。

勢揃いし大洲城鉄砲隊
勢揃いし大洲城鉄砲隊

 

鉄砲隊と記念撮影
鉄砲隊と記念撮影

 

 坂田文部大臣が来県し現地を視察するというので、誘致運動の先頭に立っていた青年団では、歓迎の心意気を示そうと横断幕を3本作製し、青年団のバイク野郎に頼み、大臣の行く先々へ横断幕を移動して掲げ、歓待ぶりを遺憾なく発揮したのですが、これにはさすがの大臣も驚いた様子で、後に同行した県会議員からその逸話を聞きました。
 私たちは大洲の地が近江聖人中江藤樹のふるさとであることを、教育的風土として売り込みました。中江藤樹の本を読み、「知行合一」という言葉を青年の理想として訴えました。そうした取り組みが功を奏したのか、愛媛県知事の後押しが決めたのかは定かではありませんが、昭和59年の開所式の日あいさつに立った村上清吉大洲市長が、なりふりも構わず号泣した姿を私は忘れることができないのです。

懐かしい新山前所長さんと
懐かしい新山前所長さんと

 昨日午後2時から式典が行なわれました。私も施設運営委員長としてリボンをつけてもらい、壇上に上がり3人の祝辞の2番目にあいさつをする羽目になりました。前もって祝辞を頼まれたような気もしますが、前日に義妹が急逝しすっかりそのことを忘れてしまっていて、会場へ到着して気がつくお粗末さで、「まあ何とかなるだろう!!」という、いつものような気楽さでアドリブな祝辞となって、失礼をしてしまいました。でも式辞の松岡所長さんも、祝辞の大洲市長さんもそうした裏話には触れていなかったため、まあそれなりの祝辞だったと諦めています。

 昨日の式典には祇園太鼓と大洲城鉄砲隊が迫力満点の演技を見せてくれました。祇園太鼓は一二度聞いたことはありますが、広場で披露した鉄砲隊の連射は初めてとあって、耳を劈き腹に堪えるほどの大轟音が白煙を上げながら、周りの山々に木霊する瞬間は、驚きの連続でした。歴史的に価値の高い火縄銃は、わが家の海の資料館海舟館ににも何丁かありますが、「火蓋を切る」という言葉の語源になっている、「火蓋」はどうやら火縄銃の安全装置を取り外すことのようだと、昨日始めて気付きました。
 大洲青少年交流の家の坂道を登ると、両側にメタセコイアの木が植えられています。見事な紅葉の時期を迎えたこの木も40年の時の流れの中で、いつの間にか見上がるように成長していますが、私は何度この木を見ながら坂の上の雲を目指したことでしょう。

 

 

 

 

  「40年 前の私は 若かった 青年の家 名前変わりて」

  「坂道の 両側紅葉 したメタセ 坂の上の雲 目指して登る」

  「思い出は 歳をとっても 蘇る 言葉にすると たどたどしいが」

  「この地には 藤樹精神 生きている 知行合一 私の基本」

 

祝砲
祝砲
当日の式次第
当日の式次第
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〇義妹の急死(その2)

 病院内救急処置室の前では、義妹の娘が警察の人から話を聞かれていました。娘は私たち夫婦の顔を見るなり泣き崩れ、母親が先ほど息を引き取ったことを告げました。警察官は3人もいて不審死であるかどうか見定めるため、検視をしたり聞き取り調査を行なっているようで、処置室への入室は許されず、もっぱら警察官の事情聴取を受けている、気が動転した娘の援護に終始しました。

 三男が警察官をしていて同じような仕事をしているため、それなりに理解しているつもりでも、義妹に一刻も早く逢わせてやりたい妻の心情を思えば、少しだけ気持ちが高ぶりました。やがて検視が終わり対面が許されて処置室へ入りましたが、妻は勿論のこと私も溢れ出る涙が止まりませんでした。聞けば義妹は今朝方様子が急変し救急車で搬送されました。一週間前わが息子の結婚式にも病弱ながら列席してくれていて、こんな急逝を予想もしなかっただけに、義妹の急変急死は大きな驚きでした。

 難病と言われる原発性肝臓病と知らされたのは20年も前のことでした。以来入退院を繰り返していたものの、家族の温かい心に見守られながら夫婦二人で穏やかな暮らしをしていました。最近腹水が溜まり始め、足にもむくみが見られていたので、姉である妻も何かにつけて義妹の元へ足を運んで様子を見てくれていたようでした。この4~5日妻も義妹も風邪気味で、お互いに少し出会いをしなかったのが少し心残りのようでした。

 義妹は姉の妻より二つ歳下ですから満67歳です。享年68年の生涯を全うしつつも、人生80年といわれる現代世相を思うと、少し早死にした感じもしますが、長年の闘病は本人にとって人には言えない苦しみの連続だったに違いなく、「お疲れ様」「やすらかに」と言ってやりたい心境です。今日はお通夜、明日は葬儀と慌しい仏事が続きますが、昨日の夜は親類縁者が集まり久しぶりに、個人にまつわる思い出話を枕元でいっぱいしてやりました。

  「涙する 妻の姿に もらい泣き 義妹急逝 涙止まらず」

  「難病を 患い入退 繰り返す 闘病思いつ お疲れ様と」

  「妻・家族 覚悟してても 急逝は 心残りで すきま風吹く」

  「母危篤 帰ってみれば 母命 天国召され 息子呆然」 

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〇通りすがった博多の街

 クリエイト篠栗での講演会が終ったのは午後9時でした。事前に勢門小学校の教頭先生から、「講演会終了後簡単な夕食会を予定しています」と知らせていたので、案内され近くの居酒屋へ立ち寄りました。聞けばこの時期は大相撲九州場所のため、篠栗町へも支度部屋が2~3逗留しているようで、私たちの向うの席には関取衆が2~3人後援者と思われる人と飲みながら話をしていました。

P1060542

派方駅前
博多駅前

 夕食会は校長先生、教頭先生、教員、PTA会長、副会長、それに私の6人だけのこじんまりで、メニューの中から適当に見繕ってもらい、酒の飲めない私以外の人は生ビールでとりあえず乾杯を行ないました。一仕事終えた後の夕食会は腹が減っていたので、大好物の冷奴豆腐や野菜サラダを食べながら、交友を温めましたが、飲むほどに酔うほどに話が弾み、気がつけば2時間があっという間に過ぎてしまいました。

 終電車の時間も過ぎていたようなので、皆さんのお見送りを受け教頭先生の車で博多駅前のホテルを目指しました。聞けば教頭先生のご一家は奥さんも娘さんも教員をしているとのことでした。やがて博多駅に近づくと深夜だというのに駅が近づくに連れて渋滞に巻き込まれてしまいました。車が動かなくなったのでとりあえず博多駅で降ろしてもらい、別れを告げて駅前通を少し早足で歩き、ホテルへ到着しました。

 博多はプロ野球や大相撲まであり、九州最大の街です。午前0時になっても交通渋滞が起こる、まるで東京と同じく眠らない街のようにも感じました。博多の街も楽しみたいのですが、いつもの事ながら次の予定もあって今回も宿泊はしたものの素通りするだけとなりました。来月には佐賀へ、年が明けると長崎へ行く予定が入っているので、その時は少し余裕を持って博多の街を久しぶりに歩いてみたいものです。

  「夕食会 居酒屋の中 関取も 遅い夕食 舌鼓打つ」

  「今回も 博多の街は 泊まるだけ ゆっくり散策 したいこの次」

  「転勤で 博多来ている 友の顔 思い出しつつ 通りすがりて」

  「眠らない 街になってる 地方都市 どこか寒々 道行く人も」

 

 

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 時刻表で調べてみると、午前7時5分発ののぞみは徳山に停車するものの在来線である山陽本線との接続時間がわずか5分しかなく、予定の列車に乗り遅れる可能性があるので、一便早い列車に乗ることにしました。 小倉、新下関、厚狭、新山口と各駅に停車し、間もなく徳山です。 さあ旅を続けましょう。 徳山から在来線に乗って柳井港で下車し、目と鼻の先のフェリー乗り場に向かい、9時発のフェリーに乗りました。今朝の瀬戸内は夜来の雨も上がり、多少霧が出ているものの暖かくて穏やかで、まるで春の海のようです。 周防大橋の下をくぐり、船は周防大島に沿って走り、一路松山三津浜に向かっています。予定通り2時間半で、11時30分に到着する予定なので、客室でタブレット端末をいじくりながらのんびりと過ごしています。

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〇小さい秋見つけた

火の入った書斎のストーブ
火の入った書斎のストーブ

 「今年の冬は寒いかも知れない!!」と思うほど、北国からは連日のように風や雪の便りが届いていますが、海沿いに面したわが町へも大相撲九州場所の話題とともに、冬将軍がやって来たようで、毎朝ブログを書いている書斎も昨日から息子が用意してくれたストーブに火を入れ、すっかり温かくなった部屋で朝を迎えています。夜明けも遅くなって、6時を過ぎないと外は明るくなりませんが、ブログをかき終わると散歩に出ていた日課も、一週間前からウォーキングをジョギングにギアチェンジしました。

晩秋の風情を醸す箒草
晩秋の風情を醸す箒草

 もう何年も1日一万歩を目指すウォーキングをしていて、去年の冬孫たちと早朝マラソンをする程度だったのですが、孫が一年生になって集団登校の時間が7時15分なので、早朝マラソンをする時間がないので、ジョギングは私一人です。妻も息子もジョギングは年寄りの冷や水だと止めるよう言われますが、自然と体が走りたいと思うほど健康状態もすこぶるいいようなので、来年の2月頃まで余り無理をせず続けようと思っています。

 一昨日の夕方ジョギングから帰って庭で柔軟体操をしながら、目の前の本尊山を見ると、初冬といえど山はまだ晩秋で、やっと紅葉が始まった感じで、ハゼモミジが真っ赤に紅葉し、クヌギの葉っぱも黄色く色づいてきました。庭に植えた箒草もそれは鮮やかな紫色に色づいて目を誘いました。この箒草は自然に種を落として庭の隅に生えていたものを移植して育てたものですが、見れば庭のあちこちに生えていて、雑草とリの時にも引き抜かれず、この時期を迎えているようです。多分来年もこのままだと自然に種を落として生えてくるものと思われます。植菌したホダ木からシイタケも生え、わが家の庭先にも晩秋の風情が漂っています。

  「そこここに 晩秋の色 漂いて 焦る気持ちで 冬支度する」

  「ウォーキング 汗をかかなく なったから ギアをチェンジし ウォーキングする」

  「ストーブに やっと火入れた わが部屋に 孫たち集い ワイワイ賑やか」

  「野良生えの 箒草さえ 紅葉し 庭に晩秋 彩り添える」 

 

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