人間牧場

〇朔旦冬至

 今日は一年中で一番昼が短く夜が長い、二十四節季の一つ冬至です。旧暦でいう冬至は11月1日のことですが、普通の年は新暦と旧暦は必ずしも一致しないのに、今年は新暦と旧暦が19年ぶりに珍しく一致して、「朔旦冬至」というのだそうです。朔はついたち、1日、始まりのことで、特にお目出度い日とされています。もっとも新暦を基準に暮らす私たち現代人にとって、旧暦は殆ど消えているので、どおってことはありませんが、私のように田舎で暮らしていると、生活や年中行事の端々に旧暦が見え隠れして、むしろ旧暦を基準にした方がいいようなことが沢山あるのです。

残り少なくなった書斎の日めくりカレンダー
残り少なくなった書斎の日めくりカレンダー

 例えば漁師さんは、魚を獲るのに潮の満ち引きがとても重要で、旧暦を知らないと漁業そのものが成り立たないのです。お百姓さんだって種を播いたりするのにも旧暦は使われているようで、かくいう私も1反ほどの家庭菜園で野菜を作り始めてから、祖母から教わっていたことわざの数々が、旧暦と深く関係していることが分り、重んじるようになりました。19年ぶりの朔旦冬至とは、19年後にしか朔旦冬至は来ない訳ですが、その年私は元気でいれば88歳米寿を迎える計算になりますが、果たして生きて元気にその日を向かえることが出来るかどうか、心もとない話です。

 冬至の日が一番日の出が遅く日の入りが早いと思いきや、日の出は冬至後半月、日の入りは冬至前半月程遅かったり早かったりするようです。冬至は冬に至るですから、これから春分まで本格的な寒い冬の季節です。秋の夜長ならぬ冬の夜長は寒いゆえ夜更かしすることも出来ず、暖かいコタツに入ってテレビを見るのが何よりで、早々と布団に潜り込んで、安眠を貪るのも一考です。70歳を迎えたからでしょうか、今年は寒さを事のほか強く感じます。それでも土の人ならぬ風の人を目指して、今日も元気に寒風吹く戸外に出て、ノルマにしている1日1万歩ウォーキングを楽しんでいます。今晩はユズ湯に冬至カボチャかも・・・。

 

  「今年は 朔旦冬至と いうそうな 19年ぶり 19年後とは?」

  「今晩は ユズ風呂沸かし カボチャ食う 古事に習って 旧暦噛みしめ」

  「日没が 今日からだんだん 遅くなる 冬の寒さは まだまだ続くが」

  「名の如く 今日も寒さが 一段と 高速道路 雪通行止め」

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〇わが家の明暗

 昨日の夕方、1ヶ月前に結婚した次男夫婦が夕食にわが家へやって来ました。慌しくも過ごしたこの1ヶ月の暮らしもやっと落ち着いたようで、妻の作った手料理を食べながら色々な話をしました。結婚式の写真はまだ出来上がっていませんが、親類の人が撮影して短く編集したプロモーションビデオのような短編は既に届いていて見せてもらっています。この日は前撮りで撮影した和服姿の写真を一枚持参していました。息子たちは挙式の日、あまりお色直しをせず洋装一辺倒だったので、少し疑問に思いましたが、前撮りで記録に残していたようでした。息子と若嫁の凛々しい姿の写真を見て、妻も満足そうでした。

前撮りした若夫婦の写真
前撮りした若夫婦の写真

 今年はわが家にとっても、次男の結婚は一番の明るいニュースでした。しかし暗いほどではありませんが、やはり気になるの親父の老化です。寒いこの時期ゆえ外にも出られず、一日中エアコンの効いた温かい隠居の部屋で過ごしていますが、一週間に2回デイサービスに行く水曜日と土曜日の曜日感覚がなくなり、また昼と夜を勘違いしたりし始めました。私にとっても妻にとっても唯一の親父なので、親孝行と在宅介護を基本にしていますが、食事や洗濯、身の回りの世話など、妻の役割は日増しに多くなってきました。私も極力妻の負担を軽くしようと、朝のごみ出しや夜の見回り、それに親父の部屋のトイレ掃除を受け持ってやっていますが、中々のものです。

 昨日は親父がデイサービスに出かけた留守に、妻が隠居の掃除、私がトイレの掃除をしました。綺麗好きだった親父ですが、寄る年波でトイレの掃除もおぼつかなくなり、少し汚れが目立ち始めたようなので私の出番となりました。これも修業、これも親孝行だと思ってやっています。午後4時にデイサービスの車で帰った親父に、「トイレを掃除しておいたよ」と、少し自慢をして遠くなった耳元で話してやると、「ありがとう」とお礼を言ってくれました。これから3ヶ月間は寒い冬が続きます。風邪を引かないよう気をつけていますが、老域に達した親父の面倒をこれからも、何のわだかまりもなく見てやりたいと思っています。

  「前撮りの 和服の写真 見せに来た 次男夫婦と 食卓囲む」

  「明と暗 家の中には 色々な 出来事あると しみじみ思う」

  「二十年 後には私も ああなると 親父見ながら しみじみ思う」

  「在宅の 介護口では 容易いが 妻の負担は 相当なもの」

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〇受け取り拒否不可のクリスマスプレゼント

 昨日私の元へ一通の封書が届きました。10cm真四角程度の暖衝材入り封書は時々送られてくるようなCD送付用です。送り主は宇和島市に住む親友脇谷梨花さんからでした。封印に貼ったサンタクロースシールからして、もしやクリスマスカードでは?と思ったのは当然です。開けてみると中からクリスマスカードと一枚のCDが出てきました。
 「お久しぶりです。お元気に決まっていますよね。友人がまた楽しいCDを作りました。今回はなんと、私の作詞もどきの名曲も!!。ぜひお聴きください。そして必ず感想をお送り下さい。では素敵なクリスマスを、そしてよいお年をお迎え下さい。2014、12,17、R」とメッセージが書かれていました。

脇谷梨花さんから送られてきたクリスマスカードとCD
脇谷梨花さんから送られてきたクリスマスカードとCD

 脇谷さんは猫大好きな中年女性で、3年前に私が講師を務めた愛媛新聞カルチャースクール「街中の人間牧場」講座の、受講生として参加してから知り合いました。この講座に宇和島からわざわざ毎月受講のために一年間通ってくれたのですから、余程の人だと思いました。案の定出会いを重ねる度にその素性の凄さに驚きました。今年の秋松山のメルパルクで開かれ私が講演した、「花信」という俳句結社の同人を務めるほどの俳人なのです。またコミュニティFMのDJも担当していて、その活躍は八面六臂といった感じです。今はカルチャースクールも一段落して、出会う機会も少なくなりましたが、時折こうして狸が石を投げるならぬ猫が石を投げるように、私のカルチャー心をくすぐってくれるのです。

 早速机上のパソコンにCDをセットして音楽を聴きましたが、音楽に疎い私ながら楽しい曲に思わず体が揺さぶられました。曲は何曲か入っていましたが、脇谷さん作詞の自称名曲はリフレインして何度も聴きました。最近親友の清水塾頭推薦で購入したCDや、親友のソプラノ歌手二宮典子さんの歌うCDなど、私の身の回りも音楽づいていて、にわかに私の身の回りに音楽なるものが集まり始め、少々カルチャーショックを受けています。私は正直なところ音楽は余り得意ではありません。そんな私が発想して夕焼けプラットホームコンサートを始めたのですから、世の中どうなっているのでしょう。そんな私でもハーモニカを持ち歩いていますが、どちらかというと童謡や演歌が好きなタイプなのです。でも音楽は日々の暮らしを豊かにしてくれます。そういえば忙しさの余りに、音楽から遠のいていたと深く、そしてハッと気付かされた脇谷さんからの、素敵なクリスマス贈り物でした。

  「一通の クリスマスカード CDを 添えて届いて パソコンで聴く」

  「そういえば 最近私の 身の回り 音楽聴こえ 少し変化が」

  「そういえば 歌を忘れた カナリヤの 様な自分と 少し反省」

  「親友が 私思って 音楽を これぞカルチャー ショックとばかり」

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〇訳ありリンゴと訳ありみかん

 年末のこの時期になると郵便局から色々な品物が届きます。その中に訳ありりんごという一風変わったものが入っていました。訳ありリンゴの命名は収穫間近のリンゴが大風の被害を受けて落下したものを、農家を救済しようと始まった市民運動だと聞いていますが、今では大好評を当て込んで落ちないものまで訳ありリンゴという名前で売っているのですから、商魂逞しいという他ありません。当時大風に当たっても落ちなかったリンゴを「落ちないリンゴ」として受験生に販売したことも話題になったと、箱を開けながら思い出しました。

友だちに分けてもらった訳ありみかん
友だちに分けてもらった訳ありみかん

 訳ありリンゴが何故市民権を得ているのか、それは少々外傷があっても味が良いことです。訳ありリンゴは皮を向いて中を割ってみると、幾分小ぶりながらかなり蜜が入っていて、とても美味しいのです。値段も割安なので毎朝キャベツとともにリンゴを欠かさず食べるわが家としては、最も喜ぶべき贈り物なのです。
 何日か前、友人がfacebookで訳ありみかんを紹介してくれました。リンゴに訳ありがあるのなら、みかんにだって訳ありがあってもいいのではとの提案でした。農家の人の話では外見は少々悪くても、味はいいみかんは沢山あるのだそうです。

 私も一役買おうと早速その話に乗り、10kg箱を5つ注文しました。先日のまちづくり学校双海人で受け取りましたが、とても美味しく早速今日にでも友人のところへ送ろうと思っています。みかんは味もさることながら外見も重視されます。無傷だと高く売れるため、農家は農薬散布や摘果などの肥培管理を行い少しでも高く売れるよう汗を流しますが、折角作ったみかんが小玉だったり傷があれば、それらは有無を言わせず外品として処理され、オレンジジュースの原料となって値段は半減するのです。美味しいみかんを食べたいのは誰も同じですが、考えてみればみかんは皮を剝いて食べるのですから、多少の外傷等何の問題もないのです。「訳ありみかん」が市民権を得て農家が喜ぶような努力を、今後もしたいものです。

  「宅配で 訳ありリンゴ 届いたが 食べてビックリ 蜜入り美味い」

  「味はいい 訳ありみかん いかがかと facebookで 友達紹介」

  「味はいい 訳ありみかん 大好評 早速宅配 友人送る」

  「皮剝いて 食べるのだから 外観は 二の次なのに 何故か一番」

 

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〇大風のささやかな小さな被害

今朝の天気図
今朝の天気図

 「何年かに一度の季節風」という、前触れふれ込みがあった昨日今日の天気は、北海道のような猛吹雪や大雪のような荒れ方ではなかったものの、警報が出て学校が自宅待機になるなど、まあまあの大荒れでした。こんな日は家の中に閉じこもり、ストーブやコタツで暖を取りながら、風の収まるのを待つしかありませんが、昨日は親父が特老へデイサービスに出かける日だったり、危険物回収・プラゴミ回収日だったりしたものですから、朝から何となく慌しく、加えて若い頃お世話になった元上灘漁協組合長の北風静雄さんが前々日89歳で亡くなり、午後1時から伊予市の葬儀場で告別式があり参列したため、外風の寒さをまともに受ける寒い寒い一日となりました。

大風で破れた物干し屋根
大風で破れた物干し屋根

 昨日の季節風は外に置いたいた軽い物を吹き飛ばすほどの強さで、片付けてはいたものの、あれやこれやが吹き飛んで、片付けるのに大変でした。被害といえばわが家の外の洗濯物干し場のビニール屋根の一部が割れて吹き飛び、甚大でない被害が出ました。前回の台風で剥がれて息子が修理した部分とは違う所なので、風が収まれば息子は今週末にでもホームセンターで波型ビニール板を買い求め、自分で直そうと言っていますが、今週末には雨が降る予定だし、天井を見上げると割れた所から青空が見えるだけに、見苦しいので早く直してもらうよう頼みました。

 わが家も新築して40年が経過すると、家のあちこちに傷みが目立ち始めてきました。古民家といわれるほど古くはなく、息子とたちと同居を始めた4年前に大リフォームをしたため、家は立派な木材を使いしっかりしていて何の問題もないのですが、手直しを怠ると家の屋台骨まで傷むので、折につけ手直しや修理をしています。これまでは親父が器用で少々の手直しは、親父がしていましたが、親父が高齢となったため、その役割は私の肩にかかってきました。幸い息子が建築関係の仕事をしているので、折に触れ、ああだこうだといいながら一緒になって家を守っています。
 家の修理は何かと金がかかるものです。家は私たち夫婦の持ち物なので、手直しの度に年金暮らしの薄い財布の中から手出しをしなければなりません。もうそろそろそういった出費も、この家を無条件で継ぐであろう息子に委ねなければなりませんが、子育て真っ最中の息子たち夫婦が、本当に一人歩きできるのは、もう少し先のようです。

  「時ならぬ 大風吹いて 何もかも 吹き飛び片付け あれやこれやと」

  「大風で 洗濯物を 干す屋根が 一部剥がれて 青空見える」

  「40年 経ったわが家も あちこちに ほころび目立ち 手直し必要」

  「親から子 代を重ねて 受け継ぎし わが家いよいよ 息子の代に」

 

 

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〇沈んだ気持ちの1日

 3週間前義妹が急逝し、悲しみも消えぬ最近、今度は義兄の体調が思わしくなく、義兄の隣に住む次男義兄からの連絡によると、義妹の葬儀以後体調が優れず、食事も喉を通らなくなったようで、7年前喉頭ガンを患って手術した国立がんセンターへ緊急入院したようです。4日前の日曜日妻と二人で病院へ見舞いに出かけた時は、少し元気を回復しているように見えました。前回の手術で声帯を取ってしまった義兄は、話すことが不自由なため、筆談で対応していますが、中々コミュニケーションが取りづらく、会話も通じない部分があるのです。

 一昨日、次男義兄の奥さんから電話やメールが入り、昨日(火曜日)の午後3時から主治医の説明があるので、次男義兄とともに話を聞きに一緒に行って欲しいとのことでした。長男義兄も次男義兄も八幡浜に住んでいるので、次男義兄は途中私の家まで義姉を乗せてやって来て、わが家からは私の運転する車に乗って、東温市重信町病院へ向かいました。
 午後3時に別室に通され、病気入院中の義兄、弟義兄、義姉と私、それに担当看護師の5人が主治医の話を、パソコンに映し出されたMRI画像を見ながら図解されつつ聞きました。主治医の先生の話は私たち素人にも分かりやすい話でしたが、食道に新たなガンが見つかり、その治療のため幾つかの選択肢を示されました。振り返れば私の親父が若い頃ガンを患い手術した頃は、本人に知らせることもなかっただけに、隔世の感じがしましたが、本人の驚きは察して余りあるものがあったようです。

 その後治療担当の先生の説明も受け、本人や家族でどういう治療法を選択するか早々に決めるよう言われ、病院を後にしました。三人の心は打ち沈み、しばらくの間後ろの席に座っている義姉にどう声をかけていいか戸惑いましたが、3人で一番いい治療の方法を考えながら、吹きすさぶ大風の中を自宅へ帰り、義兄と義姉はわが家から、車に乗りかえて八幡浜方面へ帰って行きました。
 ガン患者にガンを告知し、ホスピス治療を受けさせることは頭で知っていても、いざ自分の身の回りのことになるととても辛いことです。若嫁のお父さんも肺を患い同じような治療を受けていますが、身近な出来事で昨日は沈みぱなしの1日でした。

  「ガンセンター 病気説明 するからと 言われ出かけて ガンの宣告」

  「本人は どんな気持ちで 聞いたのか 義兄の顔を 慮りて」

  「病院で 偶然出会った 顔見知り パジャマうろうろ もしやこの人」

  「現代の 日本二人に 一人だと ガンの確立 言われて不安」

 

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〇大根の漬物漬け

沢庵漬け
沢庵漬け

 数日前家庭菜園の金網柵に洗って干していた漬物用の大根が、このところの冷たい寒風で干しあがったため、私が取り込み妻が沢庵に漬け込む作業をしてくれました。前もって漬物用の調合ヌカを農協で買っていたので、干し柿を作った折剝いた皮も乾燥していたものに、リンゴの乾燥皮も加え使いました。漬物樽の底に配合ヌカを少し入れ、葉っぱを落とした干し大根を行儀よく並べながら計量したヌカを振り、最後に切り落とした葉っぱも入れて中蓋の上に重し石を三つほど乗せて雨風やゴミが入らないようビニール袋をかけて完了です。水の上がり具合にもよりますが1週間もすれば、美味しい沢庵ができる予定で、歯応えの良い沢庵を梅干しとともに白いご飯で楽しみたいと思っています。

大根の一夜漬け
大根の一夜漬け

 昨日は今年2回目の大根一夜漬けも作りました。畑から頃合な大根を5~6本引き抜いて来て水洗いし、妻に渡しました。妻はその大根の皮を剝き、まな板の上で短冊状に切ったものを、大きなビニールタッパに入れて酢や砂糖・塩などの調味料を加え、ユズの皮と鷹の爪を2~3本刻んで振り撒きました。たったこれでけでカリカリの大根一夜漬けが出来るのです。先日人間牧場で開いた年輪塾の折、持参して皆さんに振る舞いましたが好評で、中には欲しいといってタッパに入れたまま持ち帰った人もいるほどでした。
 私たちの地方では島根県や東北地方のように、お茶請けに漬物を食べる風習はありませんが、毎日ご飯を食べるどちらかと言うと日本食主体のわが家では、漬物や梅干しは常備食といった感じです。

 勿論漬物は塩分が多いため、極力塩分控え目を心がけているため、大根の一夜漬けは余り塩を使わず、むしろ塩分中和の酢を使うので、健康的な漬物なのです。今年はわが家の家庭菜園で収穫し天日乾燥した唐辛子も自給できるようになりました。私の作った乾燥唐辛子は飛びっきり辛く、3~4本入れただけなのに前回の一夜漬けはかなりピリピリして、孫たちに「辛い」と言われたので、今回は少し少なめにしたようです。セル苗を買って植えた白菜も今年は大豊作で、既に鍋物にして楽しんでいますが、そろそろ食べきれない分を漬物にして楽しもうとも思っています。漬物は白いご飯によく合う日本の食文化です。根菜類が出回るこの時期は保存食としてではなく、バラエティに富んだご飯のお供として、漬物を手作りしせいぜい楽しもうと思っています。

  「大根を 干して沢庵 手作りす 渋柿皮や リンゴ皮入れ」

  「塩加減 重石加減が 大事だと 言いつつ妻は 沢庵漬ける」

  「根菜の 美味しい季節 漬物に 漬けて楽しむ 食べて楽しむ」

  「熱々の 白いご飯に よく似合う 漬物手作り 塩分控え目」

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人間牧場

〇与党325議席の圧勝

 私は政治には無頓着・無関心を貫いて70歳の今日まで生きてきました。合併前の双海町時代には選挙の度に選挙の好きな人から、「選挙に出ないか!!」と再三再四誘われましたが、「選挙に出ると妻に離婚される」なんて戯言を言ってはぐらかしてきました。お陰で当選の美酒を味わったり冠をいただく機会を逸しましたが、「落選」というレッテルを貼られたり、自分の生き方を迷わせることもなく、今日を迎えることがでいたのは間違った選択ではなかったと思うのです。

第4区の選挙ポスター掲示板
第4区の選挙ポスター掲示板

 昨日は降って湧いたような衆議院の解散による年末総選挙があり、私も妻も息子夫婦も清き一票を投じに出かけましたが、前回の選挙まで一度も休むことなく投票に出かけていた96歳の親父は、昨日北風が強く吹くあいにくの寒さだったので、風邪でも引いたら大変とついに投票に連れて行くことを断念しました。わが家はこれまで100%の投票率だっただけに少し残念な気もしますが、親父の健康には変えられないので、これも仕方のない選択と諦めています。

 今回の選挙から私たちの住む伊予市は、「ゼロ増5減」のあおりで2区から4区に編入替えされました。駅伝大会の区域替えなら理解できても、1区から2区へ、2区から4区へと向うさんの都合での度重なる区域替えには大きな抵抗があり、正直なところ多少憤りを感じずにはいられませんが、仕方のないことと諦めきれない人も多く、投票率にも少なからず影響したようです。掲示板を見ながら馴染みの薄い候補者の顔写真に、はてさてこれから当選した人たちに何を求め何を期待すればいいのか、迷っています。

 私には選挙の好きな友人も沢山いて、何人かから候補者のパンフレットが送られてきたり、電話で「〇〇さんを頼む」と頼まれたりしましたが、長年世話になっている人から言われた手前もあって、何人かにパンフレットを渡さねばならず、昨日は開票速報を見ながら今後の国政を思いました。投票率の低下も気になるし、経済政策で私たちの暮らしもよくなって欲しいと願っていますが、他力本願で幸せはつかめないと、与党圧勝325議席への期待もそこそこ、テレビのスイッチを切って床に就きました。

  「選挙する 度に候補者 綺麗ごと 並べているが 期待もせずに」

  「選挙出ず 栄光もなし 落選の 烙印もなく 70迎える」

  「区域替え 東京理論 腹が立つ いつの時代も 諦めしかなく」

  「325 与党圧勝 ふがいない 野党の戦い どうなる日本」

 

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人間牧場

〇人間牧場での餅つき大会(その2)

 何でもそうですが、人を動かすことは容易なことではありません。僅か2時間ほどの間に10臼の餅をつきあげて、冷えない間にそれを丸める作業は、昔ならいざ知らず今の若い人たちにはまったく経経験がないので、まさに「言って聞かせてやって見せ」ないと、何をしていいかまったく分からないのです。こんな時頼りになるのは生活力のある人で、つきあがった餅に餡子を入れながら小さくちぎって、丸める作業をする作業が得てているにしっかりと手伝ってもらい、大助かりでした。

みんなでついた餅を丸める作業
みんなでついた餅を丸める作業

 この日は白餅とヨモギ餅、みかん餅、芋餅の4種類を作りました。ヨモギは亀本さんが、みかん餅のみかんは清水さんが、芋餅の芋は私がそれぞれ用意しましたが、みかん餅はみかんをもち米の上に乗せてセイロで蒸し、蒸せたら丸ごともち米と一緒につき込むのです。するとみかんの甘い香りが漂い、柔らかいみかん餅が出来上がるのです。参加した人たちに聞けば、みかん餅はもう5~6年も前から人間牧場では作っているというのに、みんな知らないようでした。

 人を動かすことは段取りが命です。皆さんが到着すれば直ぐに餅つきができるよう、もち米を蒸したり、臼と杵を用意し、臼はお湯を張って温めることも肝心です。板間にブルーシートを敷いて餅取り粉で汚れないようにしておかなければなりません。またまるめたお餅を手際よくパックに詰めてお持ち帰り用の準備もしなければなりません。今回は午後の年輪塾学習会のプログラムも用意されていたので、もち米を蒸し終わると、はがまに研いだ米を入れて2釜ご飯も炊かなければならないし、味噌汁だって大鍋で炊かなければならないので、私的にはてんやわんやの目の回るような忙しさでした。

 みんなが帰った後の片付けもかなりありました。幸い息子夫婦が手伝ってくれたお陰で、随分助かりましたが、パックに入れたお餅を日ごろお世話になっている近所周りに配るのも大変な仕事で、配り終わるのに結局外が暗くなる午後6時頃となってしまいました。もち米をいただいた西岡さんにもお裾分けできて、疲れはしましたが朝から晩まで充実した長い長い1日でした。これでやっと今年の人間牧場での行事もやっと終りました。思えばこの1年間にどれほどの人が人間牧場へやって来たことでしょう。その顔を浮かべながら、昨日はゆっくり風呂に浸かり夕食をとった後、早めに床に就きました。

  「何につけ 人を動かす テクニック 段取り八分 後は成り行き」

  「今時の 人は餅つき さえ知らず 何をすべきか 右往左往す」

  「ついた餅 パックに入れて あちこちに 配って歩く 日ごろのお礼」

  「朝早く 夜遅くまで あれこれと 動き回って お疲れモード」

 

 

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shin1さんの日記

○寒い一日
今日は私が塾長をしている年輪塾恒例の餅つき大会でした。私はどこかの誰かと違って自称晴れ男なので、天気はあまり気にしていませんでしたが、前日から天気予報で「大雪」とか、「寒気団が南下する」と繰り返し予報していたため、妻もその気になって厚着の準備をしてくれました。
朝起きてみるといつもの朝と気温的にはそんなに低くありませんでした。前日の内に準備をしていた餅つき道具や、ポリタンク3つに息子が給水して軽四トラックに積み込んでくれ、朝7時30分に自宅を出発しました。海沿いの国道には北西の季節風で波しぶきが打ち上がり、フロントガラスに吹きつけ、さすがの天気男も、少し不安になってきました。
人間牧場に到着するとすぐに、はがま二つを水洗いして水をいっぱい入れてかまどにかけ、スギ葉や小枝を入れてマッチで火をつけました。火は勢いよく燃え始め、ついで水平線の家の中に置いている薪ストーブにも同じように火をつけました。空は鉛色、海は白い大波が立っていましたが、火の持つエネルギー力は相当なもので、すぐに部屋中が暖かくなりました。今日はお陰様で、暖かい一日となりました。

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