人間牧場

〇蚊帳の外

 「蚊帳の外」という言葉があります。みんな知っているのに自分だけ知らないことや、自分だけはせだにされていることを言うのでしょうが、先週土曜日、私が塾長を務める年輪塾の学習会が大洲市を会場に行なわれました。この日は前もって私の都合が悪く出席できないことを、塾頭である清水さんにだけ告げていました。私は講演等で年中出歩いていて、講演の予定など早いところは1年前からスケジュールが入るのです。年輪塾のあるその日は例年大洲市田処のほたる祭りで、この20年ほど亀本さんや西田さんとのからみもあって、欠かさずほたる祭りには妻を伴い仲間を誘って出かけていましたが、義理もあって今回はどうしても断わり切れなかったため、止む無くの欠席と相成ったのです。

 年輪塾は清水塾頭が管理してくれている年輪塾ネットで、情報のやり取りや交流を日常的にやっています。ゆえに年輪塾への参加申し込みや資料の提供、日常の話題などはメールでやり取りをしています。それらを拝読する度に少し自責の念に駆られ、また年輪塾が終って感想が寄せられる度に少し胸が痛みました。まさに蚊帳の外の淋しさです。リーダーたるものはいかなる時も言い訳などできるはずもありませんから、今回は言い訳のメールも書かず、時の流れに身を任せて、通り過ぎるのを待っているのです。
 蚊帳の外にいて気がついたことがあります。それは年輪塾を開塾して7年目になりますが、いつの間にか年輪塾は私がいなくてもしっかりと自立した学習ができているという事実です。

 組織の最初は強烈なリーダーシップがないと成り立ちません。しかし何時までもリーダーが中心になって引っ張り過ぎると、組織疲労を起こして崩壊へと向かうのです。年輪塾は未熟期から半熟期を経て完熟期を迎えつつあることを実感しました。年輪塾は塾長の私と、塾頭の清水さん、筆頭塾生の浜田さん、大番頭の米湊さん、それに小番頭の松本さんの5人でこの7年間運営して来ましたが、私の立ち位置は徐々にお飾りのようなものになりつつあるということも事実なのです。
 さりとて蚊帳の外の人がいつも口癖のように言う、「知らなかった」「聞いていない」などの言葉を吐くつもりはなく、「口は出さない」「責任は取る」くらいな覚悟はできているつもりです。

 まちづくりに関わる活動や運動に関わり始めたのは、18歳で青年団に入ってからでした。気がつけばもう50年を越えて活動や運動をしているのです。妻から「お父さんいつまでするの?」と言われる度に「死ぬまでだ!!」とうそぶいていますが、一方では70歳の大台を間もなくを迎えるに当たって、「もうそろそろ」という迷いもちらついています。人間牧場を活動拠点として自費整備した時決意した「死ぬまで」は、決して緩いでいませんが、時には「蚊帳の外」に出て自分自身や組織を外から見つめ直すことも必要だと実感しているこの頃です。
 さあもう一分張り頑張ってみましょうか。

  「蚊帳の外 出てみて分る こともある 組織は本来 自立を目指す」

  「蚊帳の外 メール読む度 少しだけ 関われなかった 心の痛み」

  「七年で 年輪塾も 完熟し 私の存在 なくても自立」

  「蚊帳の外 時荷は出るも 意味がある 蚊に刺されたが 抗体できる」

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〇瀬戸内海に浮かぶ中島へ講演に出かけました

 昨日は2日間降り続いているシトシト雨の中、松山市の沖合いに浮かぶ旧中島町の中島小学校へ講演に出かけました。この小学校の新谷校長先生は、かつて合併前の中島町教育委員会で派遣社会教育主事をしていたり、県教委で社会教育の仕事をしていたこともあって、今でもとても親しくしていただいています。数日前自筆の丁寧なお便りまで頂き、その中に私の親友古野セキエさんや豊田渉さん、それに現職のころ一緒に教育長をやった金本房夫先生も「あなたの話を聞きに来るかも知れない」と書いていました。私の漫談調の話を聞かれるのはやばいと思いましたが、結局は話の中身を考える暇もなく昨日は出かけてしまいました。

立派な中島小学校
立派な中島小学校

 予め駐車場の件で豊田さんに電話して教えてもらったとおり、伊予鉄高浜駅前の船着場にある駐車場に少し早目に車を止め、雨が降って肌寒く感じるので切符を売り出す10分前まで、車の中でカーラジオを聞きながら時を過ごしました。やがて切符の発売が開始されたようなので待合所へ行くと、豊田さんが見えられました。豊田さんは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループのメンバーで、20年間も続けた無人島キャンプの立役者であり、忘れられない古い付き合いの親友なのです。この春定年退職し、再雇用で中島BGセンターへ勤務しているようですが、この1年間電話で声は聞いていますが、出会うこともなかったので、久しぶりに再会を喜びながら約45分かかる船の中で大いに話し込みました。

 大浦の港には校長先生自らが車で出迎えに来てもらい恐縮してしまいました。校長室で四方山話をしていると、そのうち古野セキエさんや金本房夫先生も見えられ、校長先生や豊田さんも交わり楽しい話に花が咲きました。そのうち体育館へ案内され講演会が始まりました。中島小学校は旧中島東小、中島南小、天谷小が統合して開校した比較的新しい学校です。開校当時104名だった児童数も本年度は64名となり、児童の減少に歯止めがかからない苦悩を抱えていました。参観日の後の講演会でしたが、殆どの父兄が残って熱心に私の話に耳を傾けてくれました。はてさて私の「親へのメッセージ」という話は皆さんの心に響いたでしょうか。
 新谷先生の見送りを受けて高速船で帰って来ましたが、船の別れはいつものことながらどことなく淋しいものです。わずか20分ほどの船旅でしたが、同行してくれた豊田さんと島の将来のことについてもすっかり話し込んでしまいました。小雨に煙る海の向うに、青春時代仲間と夢をたぎらせた無人島由利島がかすかに見え隠れしていました。

  「懐かしき 人の顔々 うち揃い 校長室にて 四方山話」

  「500頭 イノシシ捕獲 したという 話を聞いて 島も大変」

  「耕して 天に至った みかん山 作り手もなく カズラの山に」

  「由利島だ 小雨に煙る 海の上 見つけ懐かし 青春思い出」

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〇えっ、首相の一句

 昨日パソコンをいじりながら遊んでいると、阿部首相の作った俳句が載っているのを見つけました。もう初夏なので少し前の春先に作ったと思われるこの一句を、あるエコノミストは「時代錯誤もはなはだしい」「庶民の暮らしを知らない殿様感覚」などと痛烈に批判していて、ずる賢いのか口には出さな私もある部分「同感、同感」と相槌を打ちました。さてあなたはどう思うでしょう。
 アベノミクスという流行語まで生まれた阿部首相主導の経済政策は、円高や景気回復で一定の効果を上げていることは、色々な経済指標を見ても明らかです。しかし私たち庶民の暮らしとなると別問題で、まさにあるエコノミストが断罪している言葉のとおりかも知れませんが、私は評論家でもないし評論家になるつもりもないのでこの辺で収めたいと思います。

 阿部首相が作った一句は「給料の 上がりし春は 八重桜」ですが、私のような年金暮らしの高齢者にとってこの春は、50円のハガキが2円値上げされたように、給料ならぬ物価値上がりの春でした。買い物の殆どを妻に頼って暮らしている私でさえ感じる物価高は家計を直撃し、景気回復などどこ吹く風といったところです。私がいつも疑問に思うのは、人口が2005年を境に増加から減少に転じ、世界一の長寿国となって高齢化率もどんどん上がっているのに、何故所得向上の成長戦略を取り続けなければならないかという点です。勿論社会は成長しなければなりませんが、このまま成長戦略をとり続けると確実に日本国家の経済は破綻してしまうのです。詳しいことは分かりませんが国債発行、つまり借金に依存してまで公共事業を何故やらなければならないのか、選挙に迎合する政治の貧困を嘆くのです。

 日本のGNPはアメリカ、中国に次いで第3位ですが、ブータン王国で有名になったGNH(国民幸福総量)というわが国の指標は、ミシガン大学の世界価値観調査では43位、イギリスのレスター大学世界幸福地図では90位という低さです。
 貧しい時代と思われていた江戸時代末期や明治初期日本を訪れた多くの外国人が、「日本人ほど幸福に見える国民はいない」と賞賛した日本人の姿など今は殆ど見られず、海外から帰国した時、東京の地下鉄の車内等で見る人々の姿は、「ともかく表情が暗く、疲れているように見え、また他者に対し無関心ないし閉じているという印象を持ってしまう」と、ある人がある雑誌に書いていた文章に納得しながら、時折出かける東京で感じつつ帰って来るのです。経済も大事だけれど心の豊かさも大事だと実感した首相の一句でした。

  「阿部首相 国の舵取り まかされて 胸張り一句 成果強調」

  「この国の GNPは 高いけど GNH 低い驚き」

  「江戸末期 明治の初期は 貧しくも 心が豊か 見習うべきだ」

  「増加から 減少転じた 人口や 高齢化する この国憂う」  

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〇ペットボトル

 最近はどこへ行っても、お茶を入れてくれるような所は殆どなく、特に会議ともなると、ペットボトルに入れられた様々な銘柄のお茶が配られますが、僅か2時間程度の会議中に、500mlのお茶を飲み干すのは容易ではなく、結局残ったお茶を持ち帰らなければならず、お陰で余りペットボトルを買わないわが家でも、一ヶ月に一度のペットボトル回収日には、それなりの量となるようです。

 真夏が近づき、もう間もなく梅雨が明けると、毎年のように熱中症が問題になります。一番気がかりなのは95歳の親父の体調です。わが家は谷あいの高台に家があるため、夏でも網戸にすれば風が通って涼しいため、昨年も殆ど冷房を使わなかったし、親父の隠居にも今のところ冷房装置はついていません。今年はエアコンをつけてやろうかと妻と相談し、親父に話しましたが、「冷房は嫌いだし要らない」の一点張りです。それもそのはず、週に二回通っているディサービスも寒くて仕方がないとこぼしています。

 ペットボトルの飲料等飲まなかった親父がこの2~3年、熱中症にならぬようにとポカリスエットやアクエリアスを勧めたところ、最初は嫌がって「こんな物飲めない」と言っていたのに、最近は「あの飲み物を買ってきてくれ」と若嫁に頼み箱買いして、むしろ進んで飲むようになりました。別に悪いものでもないので傍観していますが、ペットボトルの回収日には私たち夫婦をしのぐ量があって驚いています。

 講演先で演台上に出されるのも、今は水差しではなくペットボトルで、主催者の配慮で開封してくれているので、終れば礼儀として飲まなくても、持ち帰らなければなりません。これも相当な量となるのです。わが家ではこのペットボトルを再利用し、水や梅ジュース、青汁などを入れ冷蔵庫で冷やして飲んでいます。水筒のように手間暇かけることもない便利さが受けて、これからもペットボトルは益々私たちの暮らしの中に浸透することでしょうが、真心こもった日本人らしいお茶の接待も、私的には欲しいと思っています。

  「近頃は どこへ行っても お茶を汲む 姿見かけぬ ペットボトルで」

  「熱中症 ならぬようにと ポカリ飲む 親父流行 先取りしてる」

  「演台の 上にもやはり 水差しに 代わって ペットボトルの 水お茶置かれ」

  「町内の ペットボトルの 回収日 高く積まれた 量に驚く」

 

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〇梅雨の晴れ間

 家にいると農作業をするため天気がいい方がいいし、外に出る時も勿論天気がいいに越したことはありません。梅雨の時期ゆえ空模様は気になりますが、こののところ多少曇ってはいても雨が降らないため、大助かりといったところです。今朝は朝ごはん前に昨晩下灘の親類から貰ったという鯛を5枚、鱗と内蔵とエラを取り出す粗調理をしました。毎週月曜日と金曜日が生ゴミの日なので、これらを早速ゴミとして処分することができました。今夜は鯛の刺身が食卓に上るはずですが、今晩は双海中学校の学校評議委員会が午後7時からある予定なので、妻の仕事の関係もあって、夕食は少し遅くなるようです。

風力発電風車に沈む夕日
風力発電風車に沈む夕日

 今週末6月21日は夏至の日です。ゆえにこの時期は日没が一年中で最も遅く、17時頃に夕日が沈む冬至のころから比べれば信じられないような、今日の日没も19時21分のようで、昼の長い一日になりそうです。一昨日もわが家の庭から綺麗な夕日の沈むのが見えました。わが家から見える夕日の写真は、何度もアメーバブログやこのワードプレスブログで紹介しているので、変わった夕日の写真は撮れないものか思案した挙句、車庫の屋上に上がり、息子が設置している風力発電用の風車を手前に取り入れて撮ってみました。出来上がった写真はご覧の通り、今までにないアングルとなりました。

 故障が直って帰ってきたカメラを久しぶりに使いましたが、何の問題もなく使えそうでした。早速ブログネタを探して庭のあちこちを散策してみました。雑草と思っていた庭の隅に生えているドクダミも、今は白くて綺麗な花を咲かせています。ふとドクダミの葉っぱを見ると、今まで気付きませんでしたが、何だかハート型に見えるのです。ドクダミは別名ジュウヤクと呼ばれる薬草ですが、その名のとおり手に取ると薬草の匂いがプンプンします。この茎や葉っぱを干してドクダミ茶や入浴剤として使う人もいるようですが、ハート型の葉っぱは何かに使えないものかと、また他愛もないアイディアを思いつきました。

  「えっ本当 7時半ごろ 日没と 聞いてビックリ 昼間の長さ」

  「風力の 発電プロペラ 入れてみた 夕日とコラボ これまた味が」

  「ドクダミの 花も綺麗し ハート型 葉っぱ何かに 生かせるかもね」

  「さあ今日も お天道様と ご一緒に 長い昼間を しっかり働く」 

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〇福岡県篠栗町へ講演に招かれました(その2)

 講演に出かける4~5日前、篠栗町で産婦人科を営む病院の先生からメールが届きました。縁もゆかりもない人なので、最初メールの受信を見た時は「オヤッ」と思いました。私は日本全国へ講演に出かけているので、講演の内容が広報などで前もって周知されると、こうして時々出会いを楽しみにしたり、質問などが届くことがありますが、相手が産婦人科のお医者さんであるし、添付資料も沢山つけていただいていて、少しこちらが緊張してしまったものの、その先生に会える旅の楽しみが倍化しました。

 私の出番は9時45分から11時15分までの90分間、「生涯学習とまちづくり」というタイトルで講演することと、その後インタビューダイアローグへの助言出演の2本立てでした。思いつくまま壇上で話をしましたが、私が話をしている時間帯はワールドカップサッカーの日本チームがコートジボワールと試合をしてる時間帯と完全に被っていて、私も参加者も気がかりでしたが、そのことを理由に止めることもできないので、しっかりとテーマに沿って笑いの絶えないお話をさせてもらいました。

 講演とインタビューダイアローグが終わり、控室で町長さんと教育長さんインタビューダイアローグ司会と助言者を交え昼食会が持たれました。前もって帰りの列車の時間を調べていたので、楽しいお話をしながら、過ごさせてもらい、その足で皆さんと歩いて駅まで見送ってもらい、13時30分発の列車の人となりました。博多からは新幹線のぞみに乗って徳山まで出て、山陽線に乗り継ぎ柳井港港で降り、直ぐ近くの港まで急ぎ足で行き、切符を買って無事防予フェリーに乗ることができました。防予フェリーの事務所が取り交わされて、平郡島行きの船が発着する桟橋の近くに移っていました。

 フェリーは午後6時40分に三津浜港に入港し、前もって港に置いていた自分の車で松山まで出て、ぎりぎりセーフで夜7時30分からの会議に間に合うことができました。やれやれ一段落、午後10時前に二日ぶり地元へ帰ってホッとしながら、妻の手料理を食べて一件落着です。今夜は粗方片付いたら少し早めに床へ就こうと思ってます。

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〇最近の町内街中事情(その2)

 わが家の細長い家庭菜園の一番端に隣接する、道を挟んだ田圃が最近変化しています。保育園に孫を連れて行く時通る道沿いなので、明暗分かれたその様子に驚きを隠せません。一方の田圃は今年から田植えを断念し荒地になりました。山田圃の多いわが町の耕作事情から考えれば、コンクリート畦で仕切られた田圃は、畦刈りや水の心配もなく何とも羨ましい感じですが、その田圃すら作り手の高齢化と高額な稲作設備投資の前に辞めざるを得ないのです。作り手のいなくなった田圃は哀れで草は伸び放題、置いた古い農機具や廃材もやがては朽ち果てることでしょう。この光景に心を痛めているのは私たち通行人だけではなく、当の本人が一番悔しい思いをしていて、作り手を捜しているようですが中々見つからないようです。

田圃の跡地に綺麗な花が咲きました。
田圃の跡地に綺麗な花が咲きました。

 一方その反対側の田圃は、牛乳屋をしていた夫婦が高齢になったのを機に廃業し、兼業で作っていた田圃を一昨年から作らなくなりました。やはり高齢と稲作設備への投資が引き金になったようですが、花の好きなその夫婦は、色々な花を植え始めました。かなり広い田圃なので花を植えても雑草との戦いは続くだろうと見ていましたが、どうしてどうしてこれまでの農作業で培った腕前を活かして、この3年間でものの見事な花畑に変身させました。立ちアオイやアジサイ、ショウブ、ゼラニューム、バラなど、今が一番の見ごろとばかりに満開の花を道行く私たちに、結構楽しませてくれているのです。花より団子が団子より花に見事に変身しました。自家に隣接した場所でもないのに、こうしてミニな花公園を作っている姿は感動ものです。

 昨日孫を保育園へ迎えに行った帰り、花の中の雑草を汗をかきながら取っている夫婦に出会い、「勢が出ますね」と声をかけると、少しの間私との対話が始まりました。私も昨年人間牧場へアジサイを植え始めたので、珍しいアジサイの花々に話が及びました。聞けばアジサイをこのように美しく咲かせるのには、花が終わった7月10日ごろ剪定をするのだそうです。その時期になると剪定した茎を挿し穂としていただくことも約束してくれました。人間牧場のアジサイも同じように7月中旬には剪定しなければならないことを納得した次第です。毎日速いスピードで飛び交って蜜を集めるわが家の裏で飼っている蜜蜂たちも、この花の恩恵を受けているかも知れないと思いつつ、今年蜂蜜を収穫したら差し上げたいと思ったりしました。

  「登園の 道を挟んだ 田圃見て 変化に気付き 心を痛め」

  「荒れ田圃 やはり寂しい 姿かな 無造作置いた 農機具錆びて」

  「団子より 花とばかりに 変身し 花の公園 作りし夫婦」

  「十年は 人も地域も 変化させ 一方ポジティブ 一方ネガティブ」

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〇ウォーキングの途中で見つけたホタルブクロ

 私は雨が降った日でも余程のことがない限り長靴を履き傘を差して、ウォーキングを楽しんでいます。今は梅雨の真っ最中なのでウォーキングを楽しむ人とは余り顔を合わせませんが、道沿いの畑や果樹園、それに道端に目と心を動かせるのも楽しみの一つなのです。
 今は梅雨時なので私のウォーキングパラダイスは山道が多いため、頂上付近まで登ると湿気のせいで汗をかいてしまいますが、少し立ち止まると薮蚊まで珍しそうに出て来て、露出した柔肌を刺したりするので注意をしなければなりません。

道端に咲いたホタル袋
道端に咲いたホタル袋

 昨日の朝道沿いに可愛いホタルブクロの花を見つけました。子どものころには花を愛でる感性等皆無だったため、花を摘んで手を丸めた所に置いて、上から叩くと花の中の空気が圧縮されて、「鈍い「パーン」という音がするのが面白くて、遊び道具にしていました。今でも忘れませんがホタルブクロの花の中に、蜜を吸うため入った蜂がいるのを知らずに手で叩き、友人が蜂に刺されて泣きべそをかいていました。それにしてもこの花の名前は何故ホタルブクロなのでしょうか。

 私はまだホタルブクロの花の中へホタルが入っているのを見かけたことはありません。多分ホタルが飛ぶこの時期に咲く花だからかも知れないと納得し、まざまざと花の姿に見とれてしまいました。
 最近は子どもの数も少なくなり、ホタルブクロの花を花鉄砲をして遊ぶような悪ガキもいなくなりました。今も昔も変わらないのは毎年この時期になると植えた訳でもないのにホタルブクロの花が咲き、アブ蜂などの小動物が花蜜を吸いにやって来るのです。一枝折って一輪挿しにとも思いましたが、花の命は短いゆえ、そんな野暮なことはすまいと思い、ウォーキングを続けました。

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〇スイカの一番成り

 今年の4月中旬、病院のロビーでかつて役場で一緒に働いていた年下の友人と出会いました。彼は定年退職後再雇用を断わって晴耕雨読の道を進みましたが、最近膀胱炎を患い治療をしているとのことで、好きなお酒も少し控えているようでした。私より三つも歳が若いのに少し老けた感じもしましたが、私も他の人から見ればあんな風に見えるのかと、納得しながらロビーで順番を待ちながら世間話に花を咲かせました。
 彼は非農家ながら畑仕事と釣が唯一の趣味で、退職前から田圃を借りて米を作ったり、畑で作ったものを近所の直売所に持ち込んで小遣い稼ぎをしているようでしたが、今回の病気を機に米作りは今年から断念するようでした。

一番成りのスイカ
一番成りのスイカ

家庭菜園で野菜を作っている私は、彼の話を興味深く聞きました。特に小玉スイカ作りは簡単に出来るからやってみては勧められ、早速夏野菜の苗を植える頃、小玉スイカの苗を4本、彼の口説明の通り植えて見ました。苗の上にタケヒゴでビニールを被せ、苗が1mくらい伸びたら芯を止めて3~4本のつるを伸ばし、敷き藁を順次敷いて行くことも教わりました。藁は親父が近所の農家から家庭菜園用に貰っていたものが倉庫の隅で邪魔になっていたので、これ幸いとばかりに使い、今のところは順調に言われたとおりつるが延びていますが、この場に及んで藁が不足してしまいました。前日収穫したタマネギの切り落とした葉っぱも畑に敷いて、まあ何とか様になっているようです。

 数日前何げなくスイカの畑を見ていると、何やら拳大のスイカが目に留まりました。多分一番成りのスイカではないかと思われます。嬉しくなって辺りを見渡すと小指大ほどのスイカの赤ちゃんもちらほら見えるようになりました。私の今年の目標は1本のつるに5個、4本で20個です。スイカが大好物の私のために妻は夏になると、スイカの名産地東峰へスイカを買いに出かけて、美味しい山スイカを食べさせてくれるのです。今年私のスイカ作り作戦が当たれば、毎日1個食べても20日間は食べ続けれる算段です。取らぬ狸の何とやらと言いますが、果たして目論みどおり美味しいスイカが出来るかどうか、今年は瓢箪から駒ならぬ病院ロビーからスイカで、何かと楽しみの多い夏になりそうです。

  「病院の ロビーで四方山 話乗る スイカ作りに 初めて挑戦」

  「敷き藁の 上に一番 成りスイカ いやはや嬉し 今年の夏は」

  「目標は 4本20個 目指してる スイカ三昧 指折り数え」

  「敷き藁の 不足補う 茅刈りに 今日でも行こう 作戦練って」 

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〇思わぬハプニング

 若嫁のお母さんが転倒して腰の骨を折る大怪我をし、二ヶ月ほど手術や療養入院をするため、わが家のスケジュールが少し目まぐるしくなってきました。若嫁は実家が松山で営んでいる喫茶店で、パート働きをしています。その職場の中心的存在だった母親の突然の短期リタイアで、小学校一年生児童と保育園児二人の子育て、加えて隣組の組長などなどで若嫁の心労もピークのようですが、私たち夫婦も出来る手助けをしようと相談をしています。

 喫茶店の仕込みや仕事がどれ程のものなのかは知る由もありませんが、若嫁は今朝子どもたちにも分るような大い字で、自分の予定表を書いて見せてくれ、ダイニングの壁に貼り付けました。私はこれから活動期に入って忙しいスケジュールが決まっていますが、孫二人の送迎や身の回りの世話なら、何とか手助けできそうなのです。早速昨日は夕方トラックで孫の迎えに行きました。また帰ると直ぐに風呂に入れたりしましたが、孫たちもお母さんから実家のおばあちゃんの病気入院のことを告げられたようで、いつもよりどこかしっかりした様子が覗えました。

 何げなく過ぎていく平穏な日々も、ちょっとしたハプニングで歯車の絡み具合が微妙に変わってきます。特に家族が病気で入院すると、当事者の苦労は勿論のこと家の中が暗くなったり、穴埋めのための忙しい日々が続くのです。高齢で何かと便秘がちな親父も、快く往診してくれる診療所の先生のお陰で、昨日も往診してもらい処置をしてもらいましたが、年齢が年齢だけの在宅介護なので、いつ何時ハプニングが起こるか分からないのです。

 ハプニングは突然やって来ます。日常的にそのことを考えて行動できず慌てふためくのも人間の悲しい性ですが、せめてハプニングが起こらないよう気をつけて生きる努力くらいはせねばと思っています。昨日も元気に何事もなく過ごせたことに感謝し、今日を精一杯楽しく生きようと思っています。今朝は親父の出勤日(近くの特養施設夕なぎ荘へデイサービスに行く日)、孫奏心は保育園へ一番に行くと張り切って、早くも連れて行きました。妻も若嫁もこれから仕事です。息子は早朝掃除があるとかで6時前に自宅を出ました。勿論一年生の孫もすでに登校しました。私は来客対応で比較的のんびりした一日の予定です。

  「骨が折れ 思わぬ事故で 入院の 若嫁実家 色々大変」

  「ハプニング 遭わぬようにと 思うけど 忘れた頃に やって来るかも」

  「それぞれが 何かと忙し 初夏の頃 平凡ながら わが家は平和」

  「四世代 七人家族 同じ屋根 暮らす幸せ これから先も」

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