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〇蜂が集まるキンリョウヘンというラン花

 一昨年から人間牧場で、昨年からわが家の裏庭で、さらに今年から巣箱を8個に増やし、ミツバチを飼い始めていますが、春先の巣箱の設置や蜜蝋塗りなどを経て、現在の入居状況は7箱です。風邪の噂によると分蜂行動が遅かった高知県馬路村の木下彰二さん宅では、既に設置した8つの巣箱全部に入居が確認されたようで、巣箱を馬路村の方にいただいたことを思うと、嬉しい知らせなのです。木下さんは巣箱の管理はお父さんがしているので、いずれ息子の彰二さんに受け継がれるものと思われますが、四国山脈を挟んでこちらは瀬戸内海、木下さんは太平洋と、まったく気候風土の違う場所から採れる蜂蜜だけに、一度交換して食べて味を確かめてみたいと思っています。

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 私のミツバチの師匠が昨年ミツバチを誘導するため、何やらランに似た花をペットボトルに入れて巣箱の隅に置いて帰りました。この花が日本古来の和ランキンリョウヘンと知ったのは昨年の春でした。ミツバチが好む匂いを発する植物は幾つかあるようですが、その際たるものはキンリョウヘンなのです。

 木下さんはインターネットでこのランを買い求め育てているようですが、私は師匠から一鉢譲り受けました。そしてこの一年大切の育ててきましたが、ここに来て6本の花芽がやっと開花し満開となりました。最初は裏庭に置いている巣箱の中で、軒先にできた蜂球を強制的に入居させた巣箱の出入りが今一だったので、キンリョウヘンを蜂毎置いていると、巣箱を出入りするミツバチの数が他の巣箱と同じように活発になってきました。


 そこで一昨日人間牧場で石垣積みのちょうはりかけに立ち会っ折、この鉢植えキンリョウヘンを持って行き、未入居の巣箱の前に置いてみました。人間牧場も分蜂の時期が終っているのであまり期待はしていませんが、今朝長浜の病院へ風邪の診察に出かけた折人間牧場へ立ち寄ってみると、キンリョウヘンの花に数は多くありませんでしたが、ミツバチが蜂球を形成しているようなのです。

 工事をしていることもあって、夕方再び人間牧場へ出かけたいと思っていますが、願わくばキンリョウヘンの力を借りて、もう一つの巣箱にも入居して欲しいと願っています。

 今年はキンリョウヘンの花が終れば二つに株分けして大切に育てたいと思っていますが、ミツバチの師匠が私の家から遠隔地にあるため、余り無理をかけないためにも、キンリョウヘンを蜂=8なんて縁起を担いで、8チャンネルにしたいと思っています。


  「キンリョウヘン フェロモン出して 蜂を呼ぶ 俺は一体 どんな香りで」

  「師匠より 貰った花は キンリョウヘン 大事に育てて 花を咲かせる」  

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〇大掛かりとなった広島マツダOB会での講演会

 人のご縁とは不思議なもので、砥部町で車ハウストベというモータースを営む稲葉さんと、かつて近所でモータースを営んでいた義兄を通じて知り合い、その後交流を重ねるうちにわが家の農地を貸すようになって、その交流は益々深くなりました。そして稲葉さんが30年来の付き合いという広島県東広島でモータースを営む稲井さんご夫妻と知り合い、稲葉さんの口利きで稲井さんのお店の30周年記念講演会に昨年招かれ、深いご縁が縁で今回広島マツダOB回総会の記念講演の声がかかったのです。

 呼ばれたら刑務所意外何処へでも行くと腰の軽さを強調している私なので、広島マツダOB回での講演の話は電話であっさりと引き受けました。さあそれからが大変です。つい最近急接近している新居浜の十亀さんと加藤さんが私の講演会に合わせて背景パネルを製作し、それをわざわざ東広島の講演会場まで運んで初お披露目をするというのです。私の講演会にわざわざ新居浜から同行してもらうことに少々気が引けましたが、たっての申し入れとあって潔くお引き受けすることにしました。

 ところが前日の夜稲葉さんから、「私も運転手として同行する」と申し出があり、平日なので迷惑はかけられないとお断りしたのですが、「決めたことなので」とあっさり押し切られ、朝6時に稲葉さんのお店に集合して出発することにしました。早朝5時30分に自宅を出て稲葉さんと落ち合い、松山インターから高速に乗って、小松~今治~尾道~高屋JCと一気に車を飛ばしました。そして早朝ながら「立ち寄るように」と前夜お電話をいただいた稲井さんの自宅へお邪魔しました。稲井さんの自宅へは今回が二度目です。奥さんとご主人、それに愛猫が優しく迎えてくれました。新居浜のお二人と会場正面玄関で10時に出会う約束まで、少し時間があったので4人と1匹で雑談に耽りました。

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 9時30分加藤さんから到着した旨の電話が入りさあ出発です。東広島市文化センター3Fのアザレアホールという立派な会場に十亀さんと加藤さんは持ち切れないほどの小道具を持ち込み、ロビー横の控え室で組み立てを始めました。望月明さんの案内で、組み立てたパネルをバックにステージに立ち、1時間喋り捲りました。

 私にとって1時間の講演時間は少々物足りなく舌足らずになってしまいましたが、150人近くの参加者は皆さん熱心に私の話を聞いてくれました。その後私は近くの料亭白竜湖で開かれた、主催者と県会議員で副議長の芝さんや市会議員さんを交えた昼食懇談会に招待され、懇親を深めました。

 一方稲葉さんと十亀さん、加藤さんは稲井さんのご配慮で同じ白竜湖で昼食会をしていただき、合流をして稲井さんのお店を訪ねお暇しました。稲葉さんと四方山話をしたり運転手つきの気楽さから風邪で体調が優れぬためウトウトしながら砥部まで帰り、喫茶店でお別れ会をして再会を約束し午後5時過ぎに自宅へ到着し長い長い一日が終わりました。


  「今回の 講演会は 大掛かり 舞台装置と 運転手つき」

  「ありがたや 多くの人の 智恵を借り 効果抜群 講演終る」

  「このところ 孫にうつされ 風邪気味で 今までになく 気分優れず」

  「体調が 今一ながら プロだから 性根を据えて 仕事に励む」

 

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〇子ども体験塾保護者説明会

 若い頃青年団に入団してから社会教育と出会い、以来公民館主事13年と公民館長2年、計15年は本業プロとしてかかわり、それ以外はボランティア活動として社会教育に深く関わってきた私ですが、退職後の今も、多分これからも生きている限り社会教育に関わっていくものと思われます。まあそれはそれとして何の抵抗もなく、妻も何の文句も言わず容認してくれているのです。

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 昨日の夕方午後7時から私が実行委員長を務める「子ども教室」の中の、「子ども体験塾」の保護者説明会が開かれました。今年も町内の子どもたちが31人も応募してくれ、幸先よいスタートとなりました。何人かは仕事の都合で説明会に来ていませんでしたが、殆んどの保護者が集まり、運営目的と組織の紹介、年間プログラムの説明、参加者の心構え、連絡網の記入、費用の納入、傷害保険の説明など、1時間の短い時間でしたが、スライドショーなどを使って、事務局である赤石公民館主事さんを中心に会が進行しました。

 今年の子ども体験塾は6月28日、人間牧場でのサツマイモの植え付けからスタートしますが、今年もいいプログラムが実行委員会の手によって作られていて、顔見知りの子どもたちも沢山やって来るので今から楽しみです。特に今年から子ども体験塾を終了した中学生が数人ジュニアリーダーとして参加してくれる予定なので、その成果を大いに期待したいと思っています。

 子どもは家庭・学校・地域という概ね3つの世界を持っていますが、子ども時代に地域と深く関わることは、人間性を養う上でとても大切なことだと思います。大人になってボランティア活動をしている人の殆んどは何らかの形で青少年時代にボランティア活動に参加した経験を持っているようなのです。やがて子どもたちが大きくなった時、今度は育成される側から育成する側に回って、世のため人のために働くような人間になって欲しいと願っています。

  「本業は 何かと尋ね られたなら ボランティアとでも 答えておこう」

  「いい子ども 沢山育ち この町は 少子化ですが 今から楽し」 

  「いつの間に 成長したか 主事さんも 堂々薀蓄 人が育って」

  「子どもから パワーをもらう 気構えで 非日常な 安全冒険」

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〇三枚の名刺をくれた人

 「フーテンの寅さんつながりの情報を探している人がいるので逢って欲しい」という連絡を松本小番頭からもらいました。運悪く講演に出かける途中の運転中だったので、「後から電話するから」と一旦電話を切りました。やがて講演が終わったので、手持ちのスケジュール表をにらみながら昨日の昼12時にOKのサインを出しました。

 昨日は午前中材木屋をやっている従兄弟が小さいながら社屋と倉庫を新築したので、親父の兄弟連中から新築祝いを集め持参する予定があったのでその仕事を早めに切り上げて、指示された下灘駅に5分前に到着しました。松本さんは既に到着していて、雑談を重ねていると大槻最上という少し顎や口にひげを蓄えた人がやって来ました。運よくそこへマッチ箱のような一両編成の列車が滑り込み、大槻さんはカメラ機能のついた携帯電話で何枚か写真を撮っていました。

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 私が似顔営利の名刺を差し出すと、大槻さんも次から次へ真っ赤な名刺2枚と濃紺の名刺1枚を差し出されました。肩書きは「柴又たまや」「道後たま屋」「有限会社キルシェ代表取締役」などと肩書きが書かれていました。この名刺をいただいただけでも大槻さんは得体の知れない人物のようです。

 たま屋の名刺の裏には「社訓 『ありがとう』の心と言葉」が書かれていて、名前が「最上」で「もがみ」と呼ぶという珍しさも手伝って、益々その人の人物像が分からなくなってしまいました。

 大槻さんはフーテンの寅さんが啖呵セリフで「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、性は車名は虎次郎と発します」と口上をを垂れる葛飾柴又にご縁の深い方のようでした。

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 ベンチに腰をかけ、聞かれるままに下灘駅で撮影されたフーテンの寅さんシリーズ第19作「殿様と虎次郎」の思い出話を話しました。わたしが双海町教育委員会で町の広報を担当していた頃寅さんは山田洋次監督と共にこの下灘駅へロケにやって来ました。海沿いに国道バイパスがついていない「日本で一番海に近い駅」という俗称がついていた当時のことですから、かなり古い話なのです。

 大槻さんは寅さんの話にやけに詳しく、柴又や長野県の寅さん記念館について私たちの知らない情報を沢山話してくれました。そして話のついでに話した人間牧場へ行きたいので案内して欲しいと言うのです。昨日は午後に広島・山口から来客を予定していて、加えて人間牧場の雑石積み工事のチョウハリをかけるため、立ち会うことにしていたので、請われるまま私の後に着いて来てもらいました。


 人間牧場がすっかり気に入ったのか、大槻さんは約一時間ばかり滞在して人間牧場を下って行きました。寅さんのエピソードを調べていることそのものが少し変わった感じもしましたが、私も大いに興味のある似たもの同士なので、今後も交流を深めたいと思っています。

 広島・山口のお客さんを送り、チョウハリ作業を終え、コンニャク畑の雑草を取っていると、時計は六時近くになっていました。昨日は子ども体験塾保護者説明会が午後7時からあるので、急いで山を下り自宅へ引き返しました。風呂を入り卑下を剃って夕食を済ませ、市役所支所へ出かけましたが、昨日も風邪で体調が優れぬ中、鼻をシュンシュンいわせながら長くも充実した一日を終えました。


  「三枚も 名刺をくれた この人は 一体何者? ヒゲを蓄え」

  「ありがとう これが社訓と 名刺裏 フーテン寅さん つながりだから」

  「世の中にゃ 風流生きて いる人が 沢山ありて 出会い楽しい」

  「この人を 見れば俺など まともだと 変な自慢が 頭もたげて」


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〇珍しいコンニャクの花

 「皆さんはコンニャクの花をを見たことがありますか?」と尋ねられたら、「エッコンニャクに花が咲くの?」とか、「コンニャクの花なんて見たことない」という人が殆んどなのです。ところが人間牧場のコンニャク畑には何と何とコンニャクの花が8本も咲いているのです。

 普通コンニャクは3年から4年周期で食用として収穫するため、6年目位に咲くというコンニャクの花は余り見ることがないのです。私も一昨年初めて人間牧場に咲いたコンニャクの花を見て、その南方系容姿の異様さに驚いてしまいました。

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 今はそんな疑問もインターネットで調べるといとも簡単に答が出るのですが、当時は近所の人に写真や実物を見せて聞いても、「知らない」とか、「気持ち悪い花じゃねえ」くらいで疑問の館のお蔵に入ったままでした。普通植物は種の保存のために花を咲かせて結実い種を残すのです。炊けなどは60年に一回花を咲かせるようだし、コンニャクも6年程度の周期で世代代わりをするのではないかと推測できるのです。

 インターネットによるとコンニャクの花は洋名でデビルスタン(悪魔の舌)というのだそうで、珍しいものの余り綺麗な花言葉ではないようです。

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 人間牧場には2ヶ所コンニャク畑がありますが、4年前に植えて掘る時期を逸しているコンニャク畑では花が8本も咲いたので、今年の秋には何としても芋を堀あげ、念願のコンニャク作りに挑戦したいと思っています。それにしても摩訶不思議な植物があるものです。キリンの足や首に似た茎や葉っぱもさることながら、この花からあの美味しいコンニャクを誰が想像するでしょう。このコンニャクの花はいっそのこと、芋を掘らずに花を楽しむ観賞用にしたいとも思っています。


  「吉凶の どちらを予言 するのかな コンニャクの花 今年も咲いて」

  「コンニャクの 美味しい姿 この花で 想像できぬ 似ても似つかぬ」

  「珍しい 誰もが言いて 眺めつつ 花談義する 初夏の一日」

  「今年こそ コンニャクづくり しょうかと 花より団子 心に決める」

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〇午前と午後の講演ダブルヘッター

 「若松さん、講演をお願いしたいのですが」と、一ヶ月ほど前に電話をかけてきたのは松前町の松上先生でした。元中学校長だった松上先生は既に第一線を退いていますが、今は請われて松前町青少年育成協議会の事務局長として働いているようです。私が双海町教育委員会で社会教育主事をしていた若い頃、派遣社会教育主事として双海町教育委員会に派遣され、3年間机を並べて社会教育に携わった親しい間柄でもあるので、午前中砥部町麻生地区老人クラブ総会と夕方コープえひめ人事委員会、それに夜フロンティアグループ打ち合わせ会と日程が詰まっていましたが、何とかなるだろうと鷹を食って引き受けてしまいました。

 ところが運の悪いことに4~5日前から同居人の孫たちに風邪をうつされ、鼻づまり、喉の痛み、微熱などなど

昨日は最悪のコンディションとなってしまったのです。日ごろ風邪も引かず腹も痛まないすこぶる健康な私なのですが、さすがに声が出にくい中での、しかも午前中に老人クラブで1時間あまり話した後での再講演は中々骨が折れました。

 松上先生から数日前電話や講師派遣申請書に加え、「再会を楽しみにしている」旨のメモが届き、私も再会を楽しみにしていました。メモにしたがって13時30分松前町役場4階の控え室に入りました。7階建ての立派な庁舎からは松前の街や遠望が開け、初夏の訪れを告げる麦畑が黄色く色づいていました。

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 青少年育成協議会総会後の講演は予定通り2時から庁舎3階の会議室で行われました。参加者の中には知人友人など顔見知りの人も多く、軽く会釈しながらフロアー演台に立ちましたが、来賓席には三男息子がこの春から異動してお世話になっている伊予署の所長さんや生活安全課長さんも同席し、一瞬やばいとも思いましたが、後戻りもできず思いつくまま1時間ほど、「新しい発想で生きる」という演題で一気に話してしまいました。

 風邪の影響で日ごろの美声はすっかり影を潜め、搾り出すようなハスキーな声の講演だったため、参加者には聞きづらかったことでしょうが、今となっては引き返すことも出来ず、ただただ不徳の致すところとお詫びするのみです。

 4月28日の広田地区を皮切りに5月10日西地区、5月12日東地区、5月17日宮内地区、5月18日麻生地区と砥部町町内5ヶ所全ての老人クラブの総会をまるでリレーのように巡った講演も、昨日で全てを終えました。この話が社会福祉協議会から持ち込まれた時はまだ寒い時期だったので、軽く引き受けてしまいましたが、来賓で5会場とも出席する町長さんをはじめ関係者もいて、毎回同じ話を聞かせることもできず、話題や組み立てをその場のインスピレーションで変えながらお話をさせてもらいました。かつて4~5年前に高知県四万十市西土佐村の20地区の集落を3ヶ月で巡りながら話したことを思えば、今回は5地区ですからまだ話題に事は欠きませんでしたが、今回も自分自身の能力を試される結果となりました。特に一昨日の宮内地区と昨日の麻生地区は体調が今一だっただけに、多少悔やんでいます。

 昨日で私の仕事面での今年の前半戦は一応一区切りついた感じです。明日は東広島へ行く予定ですが、明日からがいよいよ今年の中盤戦です。今日は午後3組の来客と夜は私が実行委員長を務める子ども体験塾の保護者説明会がありますが、今日一日は体調回復に努めたいと、妻の差し出す風邪薬や栄養剤を黙って服用しています。

  「風邪をひき 体調崩し 声も出ず 子規の心境 ほととぎす啼く」

  「朝昼と ダブルヘッター 講演会 夜の集会 ほとほと疲れ」

  「今年早 前半戦も 終りにて いよいよ中盤 心引き締め」

  「外は初夏 麦の穂熟れて 黄金色 長閑のんびり 季節楽しむ」

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〇キンケイソウの花咲く砂浜

 先日浜昼顔が咲いたことを私のブログで紹介した明くる日、新聞の一面に伊方町の海岸に咲く浜昼顔の写真が紹介されていました。あの時の写真や事実を新聞社に提供していたらと多少悔やみましたが、現役でもない私にはそんなことをする余裕もなく失念してしまいました。

 浜昼顔が咲いている海岸に今度はキンケイソウが色鮮やかに咲いているのです。桜やつつじが終わり、五月・アジサイ・芙蓉などが咲くまでは、花暦みも暫く休みなので、濃い黄色い花のキンケイソウは花の曰く因縁はどうであれ、嬉しい開花なのです。

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 元々キンケイソウは外国からやって来た帰化植物で原産地は北アメリカのようです。金鶏菊ともいわれていますが、この花の別名を「特攻花」だと知っている私は古い人間なのです。鹿児島県に知覧という特攻基地がありました。敗戦色濃い頃この場所に多くの戦闘機が集結し、片道の燃料を積んで多くの若者が敵艦敵機に体当たりするため飛び立ち、帰らぬ人となったのです。

 その飛行場の滑走路や空き地に何故か黄色いキンケイソウが咲き乱れ、兵隊さんたちはいつの間にか名前も分からぬこの花を「特攻花」と呼ぶようになったのです。この花を見ながらどれだけ多くの人が旅立ち帰らぬ人となったことでしょう。そのことを思うと心が痛むのです。

 まちづくり運動にいささかなりともかかわり、これまで花咲くまちづくりを推進してきましたが、植えたり種を蒔いたりして人為的に増やそうとした花は中々上手く咲かないのに、浜昼顔もキンケイソウも野生の花ゆえ綺麗に咲いて人々の目を楽しませてくれるのですから、花に感謝をしなければならないようです。

 私は色々な夢を持っています。現役の頃シーサイド公園の砂浜を毎日12年間掃除をしましたが、夏にスイカを食べた種が落ちて砂に埋まって越年し、夏に芽を出す姿を見て砂浜でスイカを作ろうと思いつきました。発泡スチロールのリンゴ箱に穴を開け、スイカの苗を試験的に10株ほど植えて砂浜に埋めました。ところがその頃はまだ人工砂浜の養浜工事の最中だったため、ブルドーザーで押しつぶされてこの実験事業はものの見事に水の泡と消えてしまったのです。今でもこの夢の賞味期限は消えておらず、近いうちに「夕焼けスイカ」作りに挑戦したいと思っています。南限を目指して大切に育ててきたハマナスも私がいなくなると生き絶え絶えのようです。


  「キンケイソウ 特攻花と いうことを 知ってる俺は 古い人間」

  「植えぬ花 何で綺麗に 咲くのかな 植えた花など 咲きにくいのに」

  「黄色花 砂浜彩り 立ち寄りて 花に心を 癒されホッと」

  「初夏の陽に 照らされ咲きし キンケイソウ 原産北米 どこをどうして」

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〇人間牧場の次の工事予定 

 私が地元の役場に勤めていたころは地元に大小合わせる16もの土木事業所がありました。建設課や産業課には土木の専門技術者が何人もいて、国や県の補助金を貰いながら主に災害復旧事業を組み立て、沢山の公共工事を入札で落札発注していました。その頃の土木業者は「大雨や台風が来たら儲かる」と、むしろ人の不幸が金になる皮肉な時代でした。

 私にはその当時のことは談合があったのかなかったのか未だに分かりませんが、16業者が自分の能力に合わせて満遍なく理路整然と受注して、時には工事連帯保証人になったり仕事を助け合ったりして生きてきました。

 しかし高度成長の波に乗って右肩上がりに成長を続けてきた公共工事も、平成という時代の到来と共に右肩下がりとなり、平成の大合併で地方公共団体の再編が行われる頃になると、談合が大きな社会問題となり、入札の仕方も電子入札やランク分け入札となって、対応できない小規模業者は廃業に追い込まれていったのです。中には社長が自殺したり、負債を抱えて会社が倒産し夜逃げをしたりして、田舎では大きな社会問題となりました。16の業者は自然淘汰されて今では町内の土木業者は6社にまで激減しているのです。

 華やかだったあの頃、社長は33ナンバーの車に乗り、週末にはゴルフや飲み屋に繰り出し、公共工事が一段落する5月には海外旅行にまで出かける羽振りの良さでした。

 昨日かろうじて生き延びている小さな土木会社の若社長からわが家へ電話が入りました。私はあいにく留守でしたので、帰宅後電話をかけると社長は、「仕事がなくて困っている。何かないか」と悲痛な面持ちでした。土木業者にとっては公共工事が一段落する5月は端境期で仕事は殆んどないのです。

 私は退職後人間牧場を造りましたが、水平線の家の土台もロケ風呂も、倉庫の基礎も、またかまど小屋の基礎も全て安くて丁寧な工事をしてくれることから個人的に仕事をしてもらいました。ゆえにその後ウッドデッキの下の雑石積みもしてもらっているので、そのとき私が話した構想をおおよそ覚えていて、私のやりたいことが分かるようなのです。私も少なからず情にもろところがあるので、値と相談ということで昨日飛べでの講演会から帰って来る時間を見計らって、現地で話し合うことにしました。

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(倉庫の右斜面を雑石積みする予定ヵ所)
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(回転場左斜面を雑石積みする予定ヵ所)

 昨日は予想より少し早く帰れたので人間牧場へ行き、予定の場所がよく見れるように草刈機で草を刈りました。一ヶ所は倉庫のドハ、もう一ヶ所は回転場近くのドハです。社長は草刈りが終った約束の3時半にやって来ました。メジャーで測りながら私の話を絵にしていました。現場での見積もりができないため持ち帰って見積もりをしてみるとのことでした。

 年金暮らしの私にそんなに財政的な余裕はありません。加えて家のリフォーム工事の真っ最中なので、妻に相談すると反対はしませんでしたが、返事が重たいようにも感じられました。仕事が途切れると嘆いていたので多分今日辺りに費用の積算見積もりができるものと思われますが、この際ピザ窯予定地も確保したいと持っています。さて度で程の見積もりになるのでしょうか。高いようだともう少しお金を貯めてから工事に取り掛かりたいと思っています。ドキドキです。


  「よくもまあ 次から次と やることを 考えるもの 妻は呆れて」

  「少しずつ 働き蜂を 見習って 牧場整備 したい思いつ」

  「公共の 工事激減 嘆いてる 社長の話 納得しつつ」

  「今俺は 年金暮らし なっている ゆえに大した こともできずに」

 

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〇朝から臭い話ですみません

 この一週間、家のリフォーム工事のため一階のトイレが使えず、不便(不便とはこういうことを言うのでしょうか)をきたしていましたが、やっと工事が終わり使えるようになりました。この一週間は先んじて工事が終わった二階のトイレを、妻は肩身の狭い思いをして使っていました。私は家の外にある来客用の煙会所のトイレを使っていましたが、不思議なものでトイレが使えないという意識が働くのか、寝る前にお茶を控えるなど様々な工夫を凝らしてきましたが、昨日からやっと何の不自由もなくトイレが使えるのです。

 同居することになった息子たち家族のために二階のトイレを洋式にすることは決めていましたが、私たちが使う一階のトイレは、長年馴れ親しんだ和式の方がいいと、妻は最初リフォームに気乗りがしなかったようです。それでも「トイレは文化だ」と言い張る息子の強弁に負けてリフォームを思い立ったのです。

 昨日一日使っただけで妻は納得して、あれほど反対していたのに、「トイレは文化」などというようになりました。

 今回リフォームしたトイレは、設計した息子が「家は自慢できないがトイレだけなら自慢できる」と自画自賛するだけあってかなり快適です。部屋は二方が素敵なタイル張り、二方と床はクロス張りです。

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 レール戸を開けるとセンサーが感知して便器の蓋が自動的に開きます。用を足し終わり立ち上がるとこれまた自動的に水洗をしてくれる優れものです。便器は少し小型のようですが省エネタイプで、少ない水の量で吸引排水できるようになっています。中には絵を飾るピクチャーレールまでついているので、この際トイレにいい絵を飾ろうと思っています。

 息子からトイレの使用注意がありました。「親父は小便を大便のように座ってすること」というのです。床を汚さない、便器を汚さないためには必ず励行するようきつくいわれました。ただ今のところそれを励行していますが、「急ぐ時には」と反論しましたが、「急ぐ時にも」というのです。

 「老いては子に従え」という言葉があります。確かに一利あることなのでこの際息子の助言に従って、快適なトイレの使い方をマスターしたいと思っています。昨日の夜お風呂から上がった孫が、「おばあちゃん、トイレを貸してください」といいました。一階のトイレ工事中、二階のトイレを使う度に妻が、「トイレを貸してください」と言っていたのを覚えていたようです。どうやら同居人であっても一階のトイレはおばあちゃんのトイレだと思っているようなのです。

 わが家へ来る人に告げます。自宅のトイレは夫婦専用につき、わが家へ来た人の来客用のトイレは今後煙会所のトイレをご使用ください。


  「あれほどに 難色示した 妻が言う トイレは文化 納得したか」

  「小便は 座ってせよと 息子言う 老いては子にと 従い励行」

  「摩訶不思議 トイレ入ると 便器蓋 チチンプイプイ 自動で開く」

  「わが家にも ルネッサンスの 風が吹く トイレ洗面 一気に進歩」 

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〇香りの風景「みかんの花咲く丘」

 喜久家プロジェクトの浅野さんがブログで、「香りの風景」について書いていました。私も常々「音の風景」や「香りの風景」があると思っているので、鼻を澄ませてみました。実はこのところ風邪なのか花粉症なのか分かりませんが、鼻が詰まっていて匂いを嗅ぎにくくなっているのです。

 外の家庭菜園の向こうにはたわわに稔った甘夏みかん畑がありますが、この時期には黄色い甘夏みかんの実と花が同時に楽しむことができるのです。これも温暖な瀬戸内海気候の恩恵なのでしょうか。今年は冬の寒さが厳しかったせいか、みかんの花の開花はいつもの年より少し遅いような気がするのです。

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 みかんの花は五弁で純白、雌しべは黄色でとても清楚です。詰まりかけた鼻でも花の近くに鼻をそっと近づけると、何ともいえない芳しい香りが漂ってくるのです。みかん畑に囲まれた人間牧場もそうですが、双海町はみかん所なので今の時期は町全体がみかんの香りに包まれて、まさに香りの風景を感じることができるのです。

 私たちが子どものころは花粉症などという病気は余り言いませんでしたが、現代人は敏感なのか自然に適応できにくくなったのか、春先には杉や桧の花粉症に悩まされています。敏感な花粉症の人は菜の花やミカンの花さえ調子が悪くなると、マスクを着用して防備に余念がないようです。

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 私は2年前からミツバチを飼育していて、今年3年目の春を迎えました。ミツバチ飼育に欠かせないのは蜜源たる花ですが、さすがにこの時期はミカンの花が何処にでも咲いているので、ミツバチたちは働き蜂となりせっせと忙しく飛び交って蜜を集めているようです。JR予讃線海岸周りの沿線には純白のニセアカシヤの花もいっぱい咲いて今が見ごろのようです。

 日常をあくせく暮らしていると、香りの風景などを感じる余裕はないのですが、リタイア後は音の風景や香りの風景に目と心と鼻が反応して、季節の移ろいを感じさせてくれるのです。

 昨日は書斎からハーモニカを持ち出して、みかん畑で「みかんの花咲く丘」という童謡を吹いてみました。いやあ実に気持ちがいいものです。ふと亡くなった母を思い出しました。

 「♭みかんの花が 咲いている 思い出の道丘の道 はるかに見える 青い海 お船が遠く かすんでる♯」

 思わず心の中で口ずさみました。


  「菜園に みかんの花が 咲いている 香り誘われ ハーモニカ吹く」

  「亡き母の 顔を浮かべて 香り嗅ぐ 甘い香りは 懐かしきかな」

  「わが町も その気になって 感ずれば 香り風景 音の風景」

  「鼻詰まり 風邪かそれとも 花粉症 香り楽しむ こともできずに」  

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