shin-1さんの日記

〇三枚の名刺をくれた人

 「フーテンの寅さんつながりの情報を探している人がいるので逢って欲しい」という連絡を松本小番頭からもらいました。運悪く講演に出かける途中の運転中だったので、「後から電話するから」と一旦電話を切りました。やがて講演が終わったので、手持ちのスケジュール表をにらみながら昨日の昼12時にOKのサインを出しました。

 昨日は午前中材木屋をやっている従兄弟が小さいながら社屋と倉庫を新築したので、親父の兄弟連中から新築祝いを集め持参する予定があったのでその仕事を早めに切り上げて、指示された下灘駅に5分前に到着しました。松本さんは既に到着していて、雑談を重ねていると大槻最上という少し顎や口にひげを蓄えた人がやって来ました。運よくそこへマッチ箱のような一両編成の列車が滑り込み、大槻さんはカメラ機能のついた携帯電話で何枚か写真を撮っていました。

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 私が似顔営利の名刺を差し出すと、大槻さんも次から次へ真っ赤な名刺2枚と濃紺の名刺1枚を差し出されました。肩書きは「柴又たまや」「道後たま屋」「有限会社キルシェ代表取締役」などと肩書きが書かれていました。この名刺をいただいただけでも大槻さんは得体の知れない人物のようです。

 たま屋の名刺の裏には「社訓 『ありがとう』の心と言葉」が書かれていて、名前が「最上」で「もがみ」と呼ぶという珍しさも手伝って、益々その人の人物像が分からなくなってしまいました。

 大槻さんはフーテンの寅さんが啖呵セリフで「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、性は車名は虎次郎と発します」と口上をを垂れる葛飾柴又にご縁の深い方のようでした。

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 ベンチに腰をかけ、聞かれるままに下灘駅で撮影されたフーテンの寅さんシリーズ第19作「殿様と虎次郎」の思い出話を話しました。わたしが双海町教育委員会で町の広報を担当していた頃寅さんは山田洋次監督と共にこの下灘駅へロケにやって来ました。海沿いに国道バイパスがついていない「日本で一番海に近い駅」という俗称がついていた当時のことですから、かなり古い話なのです。

 大槻さんは寅さんの話にやけに詳しく、柴又や長野県の寅さん記念館について私たちの知らない情報を沢山話してくれました。そして話のついでに話した人間牧場へ行きたいので案内して欲しいと言うのです。昨日は午後に広島・山口から来客を予定していて、加えて人間牧場の雑石積み工事のチョウハリをかけるため、立ち会うことにしていたので、請われるまま私の後に着いて来てもらいました。


 人間牧場がすっかり気に入ったのか、大槻さんは約一時間ばかり滞在して人間牧場を下って行きました。寅さんのエピソードを調べていることそのものが少し変わった感じもしましたが、私も大いに興味のある似たもの同士なので、今後も交流を深めたいと思っています。

 広島・山口のお客さんを送り、チョウハリ作業を終え、コンニャク畑の雑草を取っていると、時計は六時近くになっていました。昨日は子ども体験塾保護者説明会が午後7時からあるので、急いで山を下り自宅へ引き返しました。風呂を入り卑下を剃って夕食を済ませ、市役所支所へ出かけましたが、昨日も風邪で体調が優れぬ中、鼻をシュンシュンいわせながら長くも充実した一日を終えました。


  「三枚も 名刺をくれた この人は 一体何者? ヒゲを蓄え」

  「ありがとう これが社訓と 名刺裏 フーテン寅さん つながりだから」

  「世の中にゃ 風流生きて いる人が 沢山ありて 出会い楽しい」

  「この人を 見れば俺など まともだと 変な自慢が 頭もたげて」


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