shin-1さんの日記

〇甘夏みかんの実る頃

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 私のブログの今月の表紙写真は甘夏みかんです。わが家の家庭菜園には甘夏みかんが沢山実をつけています。もう初夏だというの何ともお粗末な話です。本来秋に色づくみかん類は少なくとも3月末までには収穫しなければ母樹が弱ってしまうからです。甘夏みかんは収穫すると追熟が進んで、しなびたり腐ったりして保存が難しく、木にならしておくと追熟も進まず、多少落果はあっても保存にぴったりなのです。

 昨日は近所に住む姉夫婦が東京にとついでいる娘に送ってやりたいと、キャリーを持って採りに来ました。私もイモヅル植えが少し早めに終ったので、キャリーを持ち出して2箱ほど収穫しました。この時期甘夏みかんを送るのは北海道の井田さんや船木さん、それに高松の溝渕さんです。いずれも無消毒なわが家の甘夏みかんを使ってマーマレードを作って楽しんでいるようです。特に溝渕さんには「送るから」と言っておきながら発想が大幅に遅れていて悔やんでいるのです。


 昨日は急な思いつきで、東日本大震災に遭われた四人の人にも甘夏みかんを送りました。こんな時期に食べてくれるか不安でしたが、安否も確認済みなので多分喜んでくれるだろうと、甘夏みかんにわざわざ2~3個葉っぱをつけて送りました。

 四国はもうすっかり初夏の装いです。甘夏みかんの木には黄色いみかんと共に真っ白い花が咲いています。また新芽も伸びて、早くも秋の実りを予感させるのです。伊予みかんを送ってくれる今治市大西町の大河内結子さん、清見タンゴールを送ってくれる伊方町三崎井野浦の塩崎満男さん、清見タンゴールのジュースを送ってくれる浅野広海さん、清見タンゴールや小夏を送ってくれる八幡浜日土の清水和繁さんなどなど、みかん所愛媛ならではのみかん交流に感謝しながら、昨日私が全国の仲間に送った甘夏みかんはトラックに乗せられ、今頃どんなたびをしているのでしょうか。


  ふと「みかんの花咲く丘」という歌を口ずさみ、書棚から一本のハーモニカを取り出して吹いてみました。時ならぬ朝のハーモニカの音に驚いて、妻と孫が書斎に集まってきました。「じいいちゃん上手」と褒めてくれました。さあ今日はこれから、しまなみ海道を走って東広島へ講演に出かけます。今日も忙しい一日になりそうです。

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〇風邪を引いて体調が思わしくないというのに・・・

 「お父さん、今日は一日中家でじっとしていて下さいね。早く風邪を治さないと大変なことになるから、私の言うこと絶対守ってね」と、仕事に出かけて行く妻からきつく釘を刺されました。それもそのはず、このところ風邪気味だった私の体を心配して、薬を飲ませたり滋養になるものを食べさせてくれたり、昨日などは「肩こりから来ているのかも知れない」と肩にサロンパスを張ってくれたり、まあ大変な献身ぶりです。「こんなんだったら、いっそ毎日風邪を引いていた方が優しくしてくれるのでは?」などと思ったものです。

 そんなこともあって同居人の孫希心を近くの保育所へ連れて行って帰ってから朝方は、薬を飲んで書斎で原稿を書いていました。そのうちもう一人の孫奏心が時々書斎をのぞいて、「じいちゃん遊ぼう」というので外に出てぶらぶらしていましたが、昨日は人と会う約束が数件あって、次々と人がやって来るのです。その中には人間牧場行きを所望する人もありましたが、丁重にお断りをさせてもらいました。

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 そうこうしている内に、昨日松山へ行った帰りに苗屋で買ったサツマイモの苗のことを思い出し、自宅横の家庭菜園に耕運機を引っ張り出してその作業を始めました。中耕した後巾鍬で畝を立て、黒いビニールのマルチを敷いてカッターで穴を開けた場所へイモヅルを差し込んで行くのです。50本1600円と少々高い鳴門金時の苗を三十分ほどの作業で植え終わりました。

 手を洗って部屋へ入ると同時に電話が入り、人間牧場の雑石積み工事のことで人間牧場へ来て欲しいとの連絡です。運悪く昨日は息子が軽四トラックに載って出勤していたため、仕方なく単車を引っ張り出して人間牧場へ向かいました。梅雨間近な爽やかな気温といっても、単車で走ると外気温がもろに体に当り少々肌寒く感じ、鼻水シュンシュンとなってしまいました。

 工事は順調に進んでいるようで、生コン車の運んだ生コンが少し余ったので何処かへ遣わないかと相談を持ちかけられ、昨年私がついた石積みの上に流してもらうよう頼みました。これで外からウッドデッキへ上がれる道が綺麗になりました。

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 そうこうしている内に、教育委員会の松原さんと松田さんが、農場の中耕にやって来ました。松原さんが昨年に引き続き自宅から耕運機を持ち込んでくれたのです。あいにく工事中だったので三人で手で持ち上げて難儀難儀下の畑まで運びました。

 松原さんは農家の息子さんだけあって、爪を取り付けたり外したりしながらものの30分ほどで作業を終え帰って行きました。担当の赤石さんはあいにく出張で留守でしたが、これで何とか今週土曜日の芋づる植え作業には間に合いそうですが、天気が下り坂のようで少し心配しています。

 昼食時間を過ぎた12時40分頃に自宅へ帰りましたが、少し汚れた私の姿に妻は落胆していましたが、まあ風邪も何とか快方へと向かっているようです。

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  「今日だけは ゆっくり休んで くださいと 妻にこんこん 言われたけれど」

  「雨上がり 溜まった仕事 こなしつつ 今日も何とか 一日終る」

  「雨近し 天気予報が せかすから あれやこれやと 晴れの合間に」

  「真っ白い 卯の花咲いて 夏近し 空色そんな 予感させつつ」 

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〇フーテンの寅さんとのやり取り(その②)

 フーテンの寅さんと私のやり取りは、今日の私のブログ「フーテンの寅さんとのやり取り(その①)で紹介したとおりですが、ふと気がついて私の自著本「昇る夕日でまちづくり」をめくってみると、225ページに「寅さんの寝像を造りたい」という小見出しで文章を書いてます。

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 昭和52年フーテンの寅さんこと渥美清が、往年の大スター嵐勘十郎が大洲を舞台にお殿様として出演した寅さんシリーズの第19作目「殿様と虎次郎」のロケのために山田洋次監督とともにやって来たことは前にも書いた。

 寅さんは下灘駅のプラットホームのベンチに横になって夢を見ている。鞍馬天狗と自分をダブらせ、新撰組に負われ、馬で必死に逃げようとするが、黒頭巾が目をふさいで上手く逃げれない。「お客さん、のぼりの列車が来ましよ:とエキストラ役の駅長さんに起こされ、「ああ、良く寝た」と海に向かって両手を広げ、大あくびをしてストーリーが始まる算段である。

 当時私は役場の広報マンをしていたこともあり、そのロケ風景を下灘駅へ取材に行った。山田監督の許しを得て、寅さんと始めて対面し、写真を撮らせてもらった。「すみません。街の広報担当の若松という者ですが、写真を一枚撮らせて下さい」というと、寅さんは「やあ」と左手を上げて軽く会釈し、ベンチに寝ているポーズや、あの旅行カバンを持ち、縞模様のダブルの背広を羽織ってプラットホームを歩いてくれた。ものの5分ほどで、しかも返ってきた言葉は「やあ」だけの出会いだったし、死後「国民栄誉賞」をもらう大スターなんて夢にも思わなかったからすっかり忘れていたが、双海町の町政要覧には、その時私が撮影した写真が載っている。以後、虎sんとであった下灘駅のプラットホームを使って「夕焼けコンサート」を既に書いたが、あの「夕焼けコンサート」が私の出世作となろうとは、夢にも思わなかった。


 文章はこの後小見出しのように「寅さんの寝像を造りたい」という私の夢物語へと発展していますが、続きは次の機会に紹介したいと思います。

 さて縁とは不思議なもので、今日奄美大島の友人重村さんから電話がかかってきました。重村さんはアマチュア相撲の全日本チャンピオンになった人で、瀬戸内町の役場に勤めています。風の噂だと後に町会議員になった池田さんたちと共に双海町へ研修に訪れ、私も何度か講演に招かれましたが、招かれた時偶然訪ねた加計呂間島は浅丘ルリ子が出演した寅さんの映画に出たリリーの家がありました。

 いつの日かもう一度瀬戸内町の加計呂間島へも行ってみたいと思っています。実は私設公民館煙会所の分家である第17縁開所へ看板を送っていますが、その後どうなったか・・・・。これも見定めたいと思っています。とりあえず重村さんが送るといった写真集の到着を首を長くして待ちと思っています。


  「自著本に 寅さん出会い 克明に 寝像の夢は 今も忘れじ」

  「よくもまあ 連鎖反応 起こるなあ 奄美の友の 電話嬉しく」

  「そういえば 十七番目の 縁開所 跡形もなく 消えているかも」

  「大雨の 被害気にして 一度だけ 元気な声を 聞いた記憶も」 

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〇フーテンの寅さんとのやりとり(その①)

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 昨日の夕方朝日新聞の取材で下灘駅へ行った折、市役所の松本さんが広報ふたみの縮刷版から、私が書いた昭和52年8月1日付の候補をコピーして持って来てくれました。そのコピーは記者の小泉信一さんが資料として持ち帰りましたが、私の書斎の書棚には私が書いた昭和49年4月15日付け(299号)から昭和58年7月1日付(505号)の広報がファイルされ大切に保管されています。

 取材が終って帰宅後、昭和52年の綴りを取り出して開けてみると、8月1日号に、「男はつらいよ」「寅さん下灘駅でロケ」という見出しで、次のような記事を書いていました。

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 ちぢみの半そでシャツに毛糸の腹巻き、山高帽子で、夏になると必ずやって来る。ご存知「男はつらいよ」のフーテンの寅さんこと渥美清が、ロケのため双海町にやって来ました。

 男はつらいよ19作目は、中心舞台を四国大洲とし、大洲藩主八代目の当主藤堂宗清を演ずるかつての鞍馬天狗嵐寛寿郎殿様と、こころ優しい寅さんの浮世はなれためぐり逢いの楽しい映画だそうです。今回のワンカット撮影地となった下灘駅は、すぐ下が海の駅として全国的にも有名であり、これまでにも小林旭の映画や、長山藍子の出演する映画のロケになったところであり、カメラマンの来町も多い場所です。

 下灘駅のプラットホームにあるベンチに横になって仮眠している寅さんに駅長さんが、「お客さん、上りが来ますよ」と起こすと、寅さんが寝ぼけた調子で、ウウン、あそう」と起き、海に向かって大きなあくびをする簡単なひとコマでしたが、本番に入るまでに幾度となリハーサルをくり返し、そのたびに別人のように芸をこなす渥美清の姿に、さすがプロの人気スターだと思いました。

 それにしても凄いスタッフです。山田洋次監督以下数十人が、色々な役柄で取り組んでいました。撮影の後、上灘駅前の上田商店で休憩、食事をして帰途につきました。

 インタビューに応じてくれた山田洋次監督は「この映画は、寅さんと殿様が友達になるという浮世離れした物語です。浮世は余りにもつらくて、重く、苦しいことばかりです。我々はせめて映画館の中で、浮世をはなれて夢を見たいというのが願いではないでしょうか」と話されました。

 8月6日、全国一斉に封切られる下灘駅の一コマをみたいものです。


 ワープロもパソコンもなかったあの頃は、後方ふたみ専用の13文字20行の原稿用紙に鉛筆と消しゴムを使って原稿を書いていました。思い出せなくて書けない漢字は漢字辞典と国語辞典を使って書いたものです。文字の世界はバーチャルですが、見た目や肌で感じた記事はリアルで、今でも当時の様子が懐かしく思い出されるのです。

 この映画の場面となった下灘駅での出来事は私の心に深く刻まれ、夕日の物語のプロローグとなったのですから世の中は分からないものです。


  「もし私 ロケの現場に 行かずんば コンサート会場 使わなかった」

  「寅さんや 監督さんとの やり取りは 文字に残りて 今もリアルに」

  「早いもの あれから三十 四年経つ 三十二歳の 夏の出来事」

  「寅さんも 今はこの世に いないゆえ 映画だけしか 出会うことなし」 


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〇今頃寅さんの取材とは

 みかん所えひめですが、今年のみかん類もいよいよ終わりに近づいてきました。先日三崎の塩崎さんが清見タンゴールを一箱、八幡浜日土の清水さんから小夏を一箱それぞれ届けていただき、大事小事に食べていましたが、完熟の柑橘類は少し油断すると腐りが入り、せっかくの果物を3~4個無駄にしてしまいました。

 今朝の食卓に最後の清見と小夏が盛られ、朝フルよろしく美味しく食べました。このところ風邪の回復が思わしくなく、食欲が湧きませんが、口当たりのよい柑橘は私のエネルギーとして大いに役立ったようです。

 風邪の回復が思わしくないので妻は今朝も病院へ行くよう勧めてくれましたが、午前中来客があり、午後はえひめ地域政策研究センターの審査会に出席、終ればとんぼ返りしてフーテンの寅さんがらみの取材を下灘駅で受けることになっていました。その頃までは「ああ今晩は夕方から松山で社会教育実践交流会の実行委員会がある」と認識していたのですが、取材中に妻から「病院へ行くよう」きつく言われました。それもそうよとばかりに、松山の集会とはまったく反対の長浜まで車を走らせ、病院で診察を受けたのです。そこへ事務局の仙波さんから「まだ出席してないが今何処ですか」と携帯が入り、残念無念止む無く欠席と相成りました。

 帰宅後夕食も余り食欲がなく、微熱があるとかで薬を飲まされ気晴らしに妻とテレビを見ていましたが、ブログを一本書かねばとただ今9時30分を過ぎたところですが、書斎に入って思いつくままにキーボードを叩いているのです。

 今夕は先日来られた大槻さんが朝日新聞東京本社から社会グループ記者(大衆文化担当)という小泉信一さんを連れてやって来ました。何でも男はつらいよ寅さんDVDマガジンの第19作目殿様と虎次郎の当時の行方を追っているようで、昭和52年に下灘駅に山田洋次監督と共にやって来た、当時助監督だった人にも下灘駅から電話を入れ、当時の話などをさせてもらう念の入れようでした。私は当時私が撮影した一枚の白黒写真と、市役所の松本さんは当時私が書いた広報の写しをそれぞれ持参して、暮れなずむ下灘駅で、虎さんがらみの懐かしい話に鼻を咲かせました。

 今日は微熱があるようなのでこれから早めに床に就きたいと思います。船場さんに悪いことをした反省も含めてお休みなさい。


  「風邪引いて 体が重く 食欲も 今一なので 集中力なく」

  「今何処?と 言われてわれに 返ったが すっかり会議 忘れてしまい」

  「今頃に なって寅さん 思い出せ 言われてみても 昔ことゆえ」

  「文字に書き 本や広報 書いたゆえ 検索すれば 一目瞭然」

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〇夕日徒然草・風の書の執筆開始

 昨日は朝から雨が降り、一日中小雨のぱらつくあいにくの一日でした。風邪で体調が思わしくないことを理由に、妻から家で休息を取るよう勧められていたため、朝方と夕方の散歩と郵便物を出しに郵便局へ行った以外は、その殆んどを書斎の中で過ごしました。ブログを書き、締め切りはまだ先のことですが頼まれた原稿を書き、本を読んだり部屋の整理整頓をしたりしましたが、ふと「夕日徒然草・風の書」の出版のことが気になり始めました。

 3年前に始めた落伍のネタ本とでもいうべき「夕日徒然草」は、地の書・水の書、火の書と既に3冊を出版しています。その都度盟友清水和繁塾頭に構成や校正を、村上太さんに印刷を頼み、ここまで各書30話ずつの原稿を合計90話まで積み重ねてきました。予定では風の書と空の書で残り60話を加え、5年間で150話を仕上げたいのですが、90話を書き上げた疲労が蓄積してい、て空の書の構想がまだ浮かんでいないのです。それでも自分で決めた目標なので、少しの時間を割いて書こうと書き始めました。

 五輪書は剣聖とうたわれた宮本武蔵が書いた兵法書ですが謎が多く、自筆本は焼失したと伝えられています。書名の由来は密教の五輪(五大)からで、それになぞらえ「地・水・火・風・空」の五巻に分かれています。

 地の巻ー自らの流を二天一流と名付けたこと、これまでの生涯、兵法のあらましが書かれています。「まっすくな道を地面に書く」ということになぞらえて、地の巻とされています。

 水の巻ー二天一流の心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関することが書かれています。二天一流の水を手本とする剣さばき、体さばきを例えて水の巻とされています。

 火の巻ー戦いのことについて書かれています。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いにおいての心構えなどが書かれています。戦いのことを火に見立て、火の巻とされています。

 風の巻ー他の流派について書かれています。風というのは昔風、今風、それぞれの家風などのこととされています。

 空の巻ー兵法の本質としての空について書かれています。

 「夕日徒然草」を構想した時、執筆の参考にしようと五輪書を読んだ当時と今とは随分考えも変わり、執筆した内容もそれ程の価値を見出してはいませんが、それでも地・水・火・風・空という五輪の想いは今も根底に流れているのです。昨日はとりあえず思いつくままに五話ほど書いてみました。さあ少し腕をまくり頭にねじり鉢巻をして、風の書の原稿執筆に取り掛かりたいと思っています。


  「忘れてた 夕日徒然 草を書く 自分で決めた 目標だから」

  「一日に 五話もの話 一気書く 自分でさえも ビックリ仰天」

  「金工面 せずばなるまい 引き出しの 通帳残高 厳し現実」

  「昔風 今風それに 家風あり 風も色々 引く風邪さえも」

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〇山野草の花咲く頃

 私たちの身の回りには人知れず咲き、人知れず散って行く花が沢山あります。その名前さえ調べる手立てもなくやり過ごしていますが、一度ゆっくりと調べてみたいものだと思うものの、日々の雑事に追われ、時には除草や草刈機で雑草として処理されてしまうのです。

 昨日人間牧場を訪ねた人が道端に咲いているアザミの花を見て、「まあ綺麗、久しぶりにアザミの花を見ました」と感激していました。人間牧場では当たり前どころか棘のあるアザミは最早雑草でしかなく、草刈機で刈り倒してしまって、美しいと見ることすら殆んどないのです。

 それでもミツバチを飼うようになった2年前からは野草も貴重な蜜源だと思うと、何となく愛おしい気もするのです。今は人間牧場周辺もミカンの花が満開で、たっぷりある蜜源を求めて蜂たちは忙しそうに飛び回っているようですが、今年はどういう訳か人間牧場の分蜂が思わしくなく、師匠が届けてくれている観察用の巣箱には入る気配がなく、キンリョウヘンの鉢植えを置いた巣箱も斥候蜂は飛んで来るものの入居には至っていないのです。人間は欲の皮が突っ張るもので、家の裏庭に4箱、人間牧場に3箱入居しているのですから贅沢はいえないのです。馬路村の木下さんから蜂のメールが届き、7月ごろには越冬した巣箱の採蜜をするそうですが、私もそろそろ巣箱の点検をして計画を立てたいと思っているところです。

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 人間牧場の直ぐ横の道に白い花がいっぱい咲いているのを見つけました。うつぎ、別名卯の花ともいうこの花は「夏は来ぬ」という歌に歌われている花です。匂いのない卯の花を歌の中では「匂う垣根に」と歌っているのも不思議といえば不思議です。

 田舎の畑は過疎や高齢化で作り手がいなくなり、カズラや野茨がはびこって瞬く間に人を寄せ付けなくなります。特に野バラは棘が鋭く、怪我をすることもしばしばです。この時期になるとウツギと共に白い野バラが沢山咲いて、道行く人の目を楽しませてくれるのです。アザミも野バラも棘があるゆえ美しいのかも知れません。

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  「野山咲く ゆえに美しい 花たちの 名前も知らず ただひっそりと」

  「わあ綺麗 思わず思い 立ち止まる 花に鼻寄せ 匂い嗅ぎ分け」

  「この花を 慈しむのは 私だけ 思えば余計 愛しく思う」

  「雑草と 思い刈り取る アザミさえ 風流人は 綺麗と愛でる」

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〇幻想的な霧の流れ

 昨日は相次いで広島、大分、愛媛と3人もの谷岡さんという方からお電話をいただき、伊予市に住む3人目の谷岡さんの時には、「何処の谷岡さん?」と少し頓珍漢な話になってしまいました。いずれも人間牧場がらみの話だったので余計こんがらがって、「これから人間牧場へ行きたい」との申し出を、車がないことを電話を切ってから思い出し、仕方がないので50CCのバイクを走らせ、待ち合わせ場所のふたみシーサイド公園へ向かいました。宇和島水産高校時代の先輩に当たる長田さんと、谷岡さんのご主人が同級生というのもこれまた不思議なめぐり合わせです。シーサイド公園に到着した軽四は永田さんが運転し、谷岡さんの宇和島在住のお友だち

と3人なので、単車を駐車場に置いて私も便乗させてもらい奥西周りで人間牧場へ向かいました。

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写真①

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写真②

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写真③
(上写真①②は十分前・上写真3③は霧が立ち込め始めた豊田漁港)

 人間牧場はただ今雑石積み工事の真っ最中で、特にロケ風呂周辺は足の踏み込む場所もないほど乱雑で、顔見知りの谷岡さんや長田さんは別として、折角お越しいただいた宇和島の方には大変申し訳ないことをしたようです。

 昨日の朝早いころは天気予報の前触れが雨模様だったもののかなり遠くまで視界が効いていましたが、私たちが人間牧場に到着するころにはあっという間に瀬戸内海特有の海面を這うような霧が西から東へと流れて立ちこめ、さっきまで見えていた豊田漁港や灯台などをまるで雲海のように隠してしまったのです。こんな自然現象は滅多に見れない光景なので、私は来客をさて置いてデジカメで撮影しました。

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写真④

 海面を這うような初夏特有の霧は一寸先が見えず、船の航行に支障をきたすため下灘の猟師さんたちは天気がよいというのに漁にも出ていませんでしたが、これで納得しました。

 5月に入り天気がよく、最近は前日の天気がその日の気温を押し上げ、気温が高めで推移していたようですが、この分だと今週は梅雨の走りのようなぐずついた天気が続くようで、気温も元に戻るのではないかと思われます。伊予市や松前町の郊外では黄色く色づいた麦畑が広がり、早い所では麦刈りや麦わらを焼く姿が見られます。後一週間もすれば衣替え、蒸し蒸しする梅雨や暑い夏ももうそこまで来ています。


  「あっという 間に霧が 立ち込めて まるで雲海 見ているようだ」

  「この霧を 漁師泣かせの 霧という 舳先を隠し 音を頼りに」

  「来客を そっちのけして 珍しい 霧の写真を 失礼ながら」

  「偶然か 続けて三人 谷岡さん 私はだあれ ここは何処」

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〇本を読みながら背もたれ椅子でウトウトと

 このところの陽気で気温がグングン上がり、日本全国のあちらこちらで30度を越して真夏日になったとテレビで報じています。東日本大震災の影響で電力不足に陥り、世の中は脱原発、脱贅沢、省エネなどに向かい、政府は電力の消費量を15パーセント削減する目標を発表しました。寒ければ暖房、暑ければ冷房という暮らしに慣れた贅沢極まりない日本人が果たして、寒さや暑さの我慢ができるかどうか、自分の暮らし方も含めじっくり観察したいものです。

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 暑からず寒からずというこの時期は、戸外へ出ると紫外線が強くて日焼けしたり暑く感じられたりしますが、室内に入ると気持ちがよく、窓を開けて戸外の風を入れると半袖では少し寒く感じるようです。こんな時期は暇さえあれば人間牧場へ行き、観音開きの戸を開けて背もたれ椅子を思いついた場所へ移動して置き、沢山の蔵書の中から何冊か本を見繕って横に置き、時の流れに棹差しながら本を読むのです。そして眠気を催せば開いた本を胸元に伏せ、タオルを目に被せてウトウトと空想に耽りながら昼寝三昧を楽しむのです。サンデー毎日のこの身ゆえ、誰からもとがめられず、また遠隔地ゆえ戸を叩く来客も殆んどなく、時折遠くで鳴くキジの「ケーンケーン」という声が聞こえる程度なのです。

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 昨日は人間牧場の雑石積み工事のため土建屋さんが4~5人外で仕事をしていましたが、「用事があったら呼んでください」と伝えていたので、のんびりゆっくり午後のひと時を過ごすことができました。宮本常一を扱った「風の人」という本と、「人間通」など2~3冊を乱読しつつ、1時間ばかり昼寝をし、その後は佃煮にするためフキを二束収穫しました。一束は近所に住む姉にお裾分けしましたが、もう一束のフキは今朝庭の隅で皮を剥いで灰汁を取るために軽めに湯がき、今は水道水で晒しています。今夜辺り妻が調理をして食卓に上るものと思われます。

 今年も早半ばを向かえ時の流れの速さをしみじみ感じます。でもふと我に帰り生き方や人生、それに季節の移ろいを感じとるようになっただけでもえらい進歩だと、自分自身の行き方に納得しながら、今日も少し風邪気味をいいことにのんびり過ごしているところです。

  「風の音 鳥の鳴き声 背もたれに 体埋もらせ 静かに聴きぬ」

  「ウトウトと ついウトウトと 昼寝する 少し元気が 回復したよう」

  「根元から ハサミで切りて 元揃え フキを二束 抱えて帰る」

  「海と空 区別もつかぬ ほど霞み 宇宙連想 人間牧場」


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〇人間牧場の雑石積み工事が始まりました

 私が広島へ行っている留守中に、人間牧場の石積み工事が始まりました。自宅のリフォーム工事と重なったため資金的にもかなりきつく、そのことを思うと多少憂鬱なのですが、自分たちの暮らしや自分自身の生き方に大きく影響を与えている人間牧場の整備は、私にとっても家族にとっても大切なことなので、妻に相談しながらやっているのです。私は資金を伴う場合は必ず妻に相談します。でないと夫婦の人間関係を損ねてしまうからです。ましてや私の遊び心の場である人間牧場などが生活を脅かせたのでは、いいことであっても前に向いて進まないのです。

 昨日はお大師さんの縁日なので、妻は昨日の夜準備をし朝早くから起きて赤飯を炊いていました。外が明るくなった頃親父はお大師さんの前に幟を飾っていました。この地に家を新築してから30年余り、ずっと続けているわが家の年中ならぬ月中の恒例行事なのです。妻は炊き上がった赤飯をパックに20個ばかり詰めて冷まし、ゴム輪で留めたものを私が近所へ配るのです。近所の中には7キロ離れた下灘地区もあって、私はついでに足を延ばして長浜の城戸岡医院へ風邪の診察に出かけました。幾ら病院や注射が嫌いでも、泣く子と地頭と風邪には勝てず、ついに診察なのです。この病院の先生は遠縁にあたるので妻も時々通院していて、過コレステロールの薬を妻に代わっていただいて帰りました。

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 帰路本村から国道を離れ中間道を通って人間牧場へ行くと、意外や意外雑石積み工事は一昨日の間に随分進んで、早くもその全容が見えるほどでした。若社長がコンクリートや雑石、土などを手際よくダンプカーで運び、4人の作業員がこれまたユンボなどを使って手際よく積み上げて行くのです。

 工事の途中で石垣の長さをもう少し長く伸ばそうということになり早速追加工事をお願いしました。一度昼食のため自宅へ帰り、今度はバイクで午後4時頃再び人間牧場へ行ってみると、ロケ風呂近くの石積みはもう出来上がっていました。雑石工事といいながら青石を使っているので、石垣の目地を入れて刷毛で洗うと綺麗な石垣が見えるはずなので、今から楽しみです。

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 この工事でロケ風呂の元栓開け閉め作業が随分楽になるだろうし、草が生えることもなく草刈り作業が随分助かるようです。今回の工事で気になっていた倉庫の足元崩壊の心配もなくなるし、松本さんや赤石さんと相談しているピザ釜の設置場所も狭いながら確保できるものと思われます。

 土建業者の社長さんから「仕事がないので何かならないか」と声をかけられたことから、降って湧いたように始まった今回の工事は、意外な方向に進んでいます。私の貯金通帳も今回でついに底をついてしまいそうです。「夕やけ徒然草」の風の書・空の書の出版も否応なしにやって来ます。貧乏ゆえに資金繰りには頭を悩ませますが、これも試練です。元気に働いて少しだけ稼いで夢の実現をしたいと思っています。幾つになっても夢に賞味期限はないのですから・・・。


  「仕事なく 何かないかと 電話来る 金もないのに にわかに工事を」

  「何とまあ たった二日 経っただけ 石垣綺麗 出来上がりつつ」

  「欲が出て もうちょいとだけ 延ばしたい 社長に懇願 今度は私」

  「底をつく 貯金通帳 残高を 妻に相談 少し援助を」 

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