〇47年ぶりの再開
先日ある風呂屋で、47年ぶりに高校時代の同級生に会いました。私も相手の同級生も裸ゆえ、最初は余り気にもしていませんでしたが、サウナや薬湯などに同じように入りながら、「どこかで見た顔だな」とお互いが思いつつ、どちらということもなくお互いが、「毛利君じゃない?」「若松君じゃない?」と声を掛け合い、47年ぶりの再会を果たしたのです。彼は宇和島水産高校では製造科、私は漁業科だったため学生時代もそんなに濃い付き合いはありませんでした。でも八幡浜から通う彼と宇和島に下宿していた私は、昼休みに何度か自家製の弁当を食べさせてもらった間柄で、今もその思い出だけが残っているのです。
水産高校の卒業生は市内以外から入学した生徒が多く、加えてその性格から船乗りも多く、卒業してこれまで一回も同窓会などしたことがないのです。ましてや製造科と漁業科はそんなに交流もないため、顔47年ぶりにを合わせても、多分見過ごしてしまうのです。
それから30分余り風呂に浸かったり出たり入ったりしながら、その後の消息を聞き合いましたが、現在八幡浜に住む彼は未だに私のことをよく覚えていて、新聞やテレビに私が紹介される度に意識をしていたとのことでした。私が水産高校に入学したのは47年前の昭和36年でした。高度成長真っ只中ゆえ日本中が活気に溢れていた時代でした。当時の宇和島も活気に満ち溢れ、田舎育ちの私には宇和島という土地がまるでユートピアに感じていたのです。
私が水産高校を卒業して大学進学を志したものの、親父のがん闘病と重なりやむなく帰郷した昭和38年に舟木一夫が歌って大ヒットした「高校三年生」という歌がありますが、今でもこの曲を聞く度に懐かしい思い出が蘇ってくるのです。
高校三年生
赤い夕日が 校舎をそめて
ニレの木陰に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも
手持ちのハーモニカで一曲吹いてみました。いやあ懐かしい、当時の思い出が鮮やかに蘇ってきました。男子校だったため、淡い恋心など抱く余裕も暇もなく、ましてや高校三年生になると実習船愛媛丸に乗って遠洋航海に行ったため、この曲のような思い出はないものの、47年ぶりの同級生との出会いはやはり嬉しいものでした。
これからの私の残された人生においても、そんなに多くの高校時代の同級生には会えないだろことを思うと、この日はとてもラッキーな一日となりました。またいつか同級生の毛利君とどこかでお会いしたいものです。
「半世紀 ぶりの再開 風呂屋にて 裸なれども 嬉し恥ずかし」
「ハーモニカ 取り出し吹いた 一曲は 高校三年 思わずジ~ンと」
「ふと思う 昭和だんだん 遠くなる まして俺など 古い人間」
「いつの間に 65年の 歳重ね 余命指折る 歳になったか」