shin-1さんの日記

〇桜を愛でる

 「一生のうちであと何回くらい桜を見られるのだろうか?」と考えながら、今年も桜の季節を迎えました。私の生活設計どおり85歳まで生きるとすればもう20回しか見れないのです。これまで65回も桜の季節を見てきた自分にとって、20/85の分子はこれまでの65/85という分子から比べるととてつもなく少ない年月なのです。ゆえに今年も心おきなく桜を目に焼き付けようと、このところ毎日のように桜を眺めているのです。

 今日は仕事で休めない妻のために午前中、長浜の病院まで薬を貰いに行きました。コレステロールが少し高いといわれたためのお薬ですが、病院の近くに住んでいる妻の妹の家に立ち寄り、病院の院長が妹婿の甥なので薬を貰いに行ってもらいました。いつまでたっても病院はどうやら苦手のようです。

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(上り線)

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(下り線)

 道すがら海岸国道の山側が桜の花が満開で、時折通る大型トラックの風圧によってまるで桜吹雪のように花びらが舞い散っていました。せっかくだからと、長浜と双海の境にある郡境の駅「喜多灘駅に立ち寄り、急な石段を登ってプラットホームに出ました。列車に乗る人も訪ねる人もなく駅は散閑としていました。列車は朝と夕方を中心に上下12本が運行されていますが、将来のことを思うとどうなることやらと心配です。

 易者の下にある金森というお店に立ち寄りました。ここは同級生の上田里美さん(砥部町在住)の実家です。家の犬走りに鍋や釜が無造作に置いてありました。おばあさんに声をかけたら、これは不燃物だそうで、もし必要ならば差し上げるとのこと、丁度人間牧場のかまどに合う鍋と釜があったのでいただいて帰ることにしました。

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(本田に向かって右側の桜、右近の桜かも)

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(本田に向かって左側の桜、左近の桜かも)
 三島神社の楼門両脇には品種の違う立派な桜が咲いていて、夜はライトアップしているのを昨晩見たものですから、亀の森に車を止めて、楼門まで長い石段を駆け上がりました。願わくば今晩あたりライトアップした夜桜も見たいと思っています。

 もうそろそろ満開見ごろの潮風ふれあい公園の桜を見ようと、本郷の道を走ると大通寺の前に枝垂桜を見つけました。少々小ぶりですがこれも見事でした。

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(大通寺の枝垂桜)


 そして最後は潮風ふれあい公園千人塚の桜を見に行きました。下から眺める桜もおつなものですが、上から見下ろす桜もまた絶景です。既に何人かの見物客が来ていて、陽だまりでは何組かが花見の宴を開いていました。海も長閑に凪、満開の桜を愛でれる幸せをかみしめながら、ひとり桜見物をしました。幸せです。

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(今年も一押しの桜の名所、ふたみ潮風ふれあい公園千人塚の桜)

  「もう何度 桜の花を 見れるやら カメラと両目 そして心に」

  「この国に 生まれ桜を 見れる俺 幸せですと メールを送る」

  「桜花 このまま散るなと 声掛ける 返事もせずに ヒラヒラ一輪」

  「昔なら 花見りゃ酒と 思ってた 今じゃ抹茶で 風流たしなむ」

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shin-1さんの日記

〇叔母の葬儀あれこれ

 今年のお節句は、急に亡くなった叔母の通夜や葬儀で明け暮れました。楽しみにしていた花見も長男家族の帰郷も、またぼっやん劇場からミュージカル正岡子規の観劇も、全てキャンセルとなって少々落胆しましたが、これも仕方がないことと諦め、深い交友のあった叔母の葬儀に心を込めて参列しました。

 葬儀の仕方がそこそこの宗派によって異なるため戸惑いも多く、また見知らぬ親類縁者は余り居ないものの葬儀を出す家の思惑もあって、慣れぬことゆえ様々な発見がありました。

 今回の葬儀は3日が友引だったため葬儀が一日延びました。ゆえに通夜を2日したような気持ちです。それでもかなり大きな家なので、差岩にも叔母は長年住み慣れた自宅で2日間過ごすことができました。寄り添うようにしていた叔父も恒例で病弱なため、誰もがその体調が葬儀中持つかどうか心配しましたが、幸い気が張っているのか思ったより元気で葬儀を終えることが出来たものの、残された叔父の行く末が気がかりなところです。死んだ叔母と残された叔父の姿をこの3日間ずっと見続けながらわが身に置き換え、夫婦とはいったい何なのか、また夫婦はどうあらねばならないかを考えさせてもらいました。

 葬儀に行っていつも思うことですが、嫁の存在が少し気になりました。この家の嫁は病院の看護婦をしています。ゆえに5人の子ども、つまり叔母にとっては孫の子育てはおばが一手に引き受けてやってきたようにも思うのですが、それでも夢は仕事と糧の両立を考え一生懸命、親子の人間関係の狭間で気兼ねして生きてきたに違いありません。勿論今回喪主を務めた長男も嫁と親の間に立って気苦労も多かったことでしょうが、今もこれからもこの家を取り仕切るであろう嫁の存在は、葬儀の現場で見る限り少し隅に追いやられた感じがしました。娘や息子、叔父や叔母も大事ですが、長年苦労をともにして何かある度に喜怒哀楽を分かち合ってきた嫁にこそ、気を使ってやらねばならないと思いました。

 葬儀には隣組内と称する24戸の近所の人たちが集まって通夜や争議の世話をしてくれました。しかし葬儀の仕方が昔と随分様変わりし、葬祭会館でするようになってしまったため、組内の役割は受付をする程度になってすっかり手を持て余しているようでした。墓穴を掘ることも、竹を切りに行くことも、葬儀道具を運ぶことも、ましてや葬儀の役付きを紹介するなくなって、近習の人間関係の希薄さの中で形骸化する様は、今後改善の余地があるとしみじみ思いました。さりとて妙案を出す立場にないため、自分の近所でこの話をすることは92歳の親父を抱えているだけに出し図来感じもするのです。しかし何はともあれ一考を要することだけは強く感じました。


 昨年のアカデミー賞で脚光を浴びた日本独特の「納棺」の儀式を取り仕切る若い葬儀屋さんの姿を、この日はまざまざと見ることができました。死出の旅に出る叔母の遺体を、様々なしきたりに沿って指図しながら納棺する姿は神聖でした。

 親父は年老いているため、通夜にも葬儀にも出ませんでしたが、前もって前々日連れて行きお別れをさせてやりましたが、自身の妹だけに気がかりだったようで、私たちが葬儀や法要を終えて帰宅したのは9時近くになったにもかかわらず起きて待っていました。この日の一部始終を報告してやり、やっと安堵の床に就いたようでした。

  「あれこれと 何やかにやが 気になって 考えさせられ 葬儀を終える」

  「葬儀では 何処か空しい 嫁立場 わが家だけでも 考えなくちゃ」

  「納棺を 仕切る兄ちゃん テキパキと まるで映画を 見ているようだ」

  「夫婦とは 一体何を 意味するか 二人で逝けぬ  死出の旅路は」

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