〇81歳の叔母が亡くなる
親父の妹の叔母さんが急逝しました。12人兄弟の長男が92歳の親父で、12人目の叔母は私より一つ年上だけの66歳です。計算して見ると祖母は26年間で12人、つまり単純計算すると2.17年に1人子どもを生んだ計算になるのです。まあ生むことはよしとして、その子どもたちを戦前・戦中・戦後と激動の時代を貧乏に耐えながら、加えて末っ子が生まれて間もなく祖父が亡くなるという不運にもめげず、育てたのですから、頭の下がる思いがするのです。
その裏には12人の子どもが家の労働力になって一生懸命支えてきたのです。多分一昨日家で倒れ救急車で病院に運ばれ、一時的に記憶が蘇ったもののその後なくなるまでの81年間は、言葉で言えない苦労があったものと推察するのです。でも晩年は嫁いだ郵便局員のを最後に退職した叔父や息子夫婦、それに内孫5人とともに双海町を離れ、病気に悩まされながらも松前町で穏やかな暮らしを続けて、ある意味幸せな余生でした。
人は必ず老い必ず死を迎えます。今晩6時から自宅で通夜があり、私たち夫婦も出かけましたが、親類縁者が集まり、また隣近所も集まり部屋は、在りし日の人徳を偲ぶように満席の状態で、ご住職の枕読経や回し焼香がありました。
読経が終わって住職さんがお説教をされました。
人は産まれた時殆どの人が祝福をされ、喜びの喚起の中で産声を上げるのに、死んだ時は何故涙を流して悲しむのか、そういえば人の一生も始まりと終わりではえらい違うものだと改めて思いました。住職さんがおっしゃるのには、終わりに悲しむのだからもっと生きている間だけでも笑って暮らせるようにして欲しいと述べられました。納得納得です。
明日は10時30分から納棺、13時30分から葬儀、そして火葬場で荼毘に付され精進落とし進みます。年末に義理の叔父が亡くなり、3ヵ月後に叔母の葬儀です。また再来週は叔父の3回忌法要と仏事が続き、親族も少し沈みがちの出会いです。
亡くなった叔母は書家の叔父の影響を受けて達筆で、親父や私に頻繁に手紙をくれていました。その度に目の薄くなった親父に読んで聞かせていましたが、親父は口癖のように「ルイ子には貧乏ゆえ、子沢山ゆえ苦労をかけた」と少し涙ぐみながら話す姿が印象的でした。
親父は高齢のため通夜も葬儀も出れないため私たち息子夫婦が出席します。そのため昨日の午前中車で連れて行き、最後のお別れをさせてやりました。親父は自分が一番上なのに、既に3人の男の兄弟と、3人の姉妹を見送っていて、何処か寂しい姿が印象的でした。
「ああ寂し 親父の妹 急逝す 順番違うと 親父がポツリ」
「昔ゆえ 苦労貧乏 あったはず 気丈に生きて 生涯全う」
「晩年は 病魔冒され しんどそう それでも手紙 兄を気遣い」
「人は老い 必ず死ぬと 坊主言う 楽しく生きろ 諭しに熱が」