shin-1さんの日記

○紙ごみの中から2万円

 このところ毎日のように大掃除をしています。家の窓ガラス掃除は毎年私たち男組の仕事と決められていますが、男組の長男、次男、三男が一抜け二抜けと抜けて、今では私一人だけになってしまい、疲労感を感じるような大仕事になってしまったのです。一昨年は年末年始にぎっくり腰になり、去年の年末年始は大風邪を引いてダウンしたため、助っ人の長男が代行してくれましたが、今年はその長男も忘年会だ仕事だと何かと言い訳を言って帰って来ないので、諦めて私一人が半日ずつ二日間をかけてやりました。今年は前二年のようにぎっくり腰にもならず風邪も引かなかったため、順調に作業を終えました。

 さて今日は書類類の大掃除です。捨てきれない書類の山の中からもう不必要になった紙ごみを選り出して行くのですが、これがまた手間もので、全てを捨てきれないこともあって意外と時間がかかりました。紙ごみの選別は、一年間一度も見たり読んだことのないものは捨てるのが常道だと聞いていますが、そう言う訳にもいかず苦戦しましたが、それでもキャリー一箱分の紙ごみが出てきました。わが家は田舎ゆえその紙ごみを空いている畑の真ん中に持ち出して、破ったり丸めたりしながら焼却しました。紙ごみはよく燃えるもののページの厚い書類はそのままだと重なって燃えないため丸めて日の中へ入れるのです。紙ごみの灰は軽いため風に舞って飛んで行き、洗濯もの以外を及ぼすので、今朝のような無風の時間帯を選ばなければ近所に迷惑がかかってしまうのです。


 先日紙ごみを整理していてとてもラッキーなことがありました。書類の中から封筒に入れられた2万円が見つかったのです。講演先でいただいた謝礼だったのですが、うっかり忘れてその時のレジメに紛れ込んでいたのです。昔なら妻に内緒で呑み代にしたのでしょうが、今は呑み台など要らないし、必要な費用は妻が全部出してくれるので、あっさり妻に訳を言って渡してやりました。妻は大層喜びその夜の夕食はいつも以上豪華となったのです。

 大掃除で出てくるものに、返信用封筒があります。相手が切手を張って同封してくれているのですが、メールでことが済んだ場合、この切手は不要となるのです。これを切り取って名刺箱に収納するのですが、これが1年間にはかなりたまって、先日は育児休暇の娘に郵便局へ持って行ってもらい、ハガキと交換してきて貰いました。勿論書き損じや未使用返信はがきも含めると凄い量になって、50円のハガキ400枚にもなり、今は豊潤なハガキを使って、毎日せっせとハガキを出しているのです。

 わが家が少しだけすっきり、少しだけ綺麗になりました。これでひとまず心のゆとりができて、安心して正月を迎えることができそうです。「ゴミのようにお金が貯まるものなら」とh妻の弁ですが、私もそう思います。また人間は何と愚かな行為をしているのかとも思います。今日焼却処分した紙ごみを作るのにどれ程の木材と、どれ程の人力を要したことでしょう。有を無にするからまた新たな有が生まれ、それが経済になるのだと分っていても、もう少し人間は賢く生きてゆかなければならないと思いました。

 紙ごみを処分して、果たしてあれは処分すべきだったかと少し反省し、同時に綺麗になったと少し安堵する心の葛藤は、やはり毎年繰り返される年末の出来事なのかも知れません。

  「紙ごみの 中から何と 2万円 妻は喜び 夕食一品」

  「このゴミを 作るにかかる 資源手間 愚か人間 いつかは滅ぶ」

  「有を無に するから 新たな 仕事でき 経済回る 分っていても」

  「老いの身に 窓拭き掃除 重過ぎる 早く代替え しなけりゃ思う」 

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shin-1さんの日記

一昨日愛媛県公民館連合会の自主組織である愛媛県公友会から会報が届きました。公友会とは、かつて公民館に勤めたことのある人たちの集まりで、あくまでも自主的な40人足らずの小さな集団なのです。私はかつて双海町の中央公民館に13年間務め、その間伊予郡公連の主事会長を6年間やりましたが、同時に県公連の主事部会長を6年間やり、県公連の役員として思う存分の働きをさせてもらいました。その時出会った岡島県公連会長と、全公連理事の朝比奈さんのご配慮で、全国というひのき舞台へ送り出させて貰ったのです。

 県公連は私にとって大恩人なので、何はさておき公民館の仕事は今もなお最優先の仕事と思い、恩返しをしているのです。

 公友会にはかつて愛媛の公民館の屋台骨を支えたり公民館の顔として働いた人たちが多士済々名前と顔を連ねています。いずれ劣らぬ論客なので、会えば必ず議論が深まるのですが、結成以来20年が過ぎるとさすがに新規会員はまばらで、しかも高齢が目立ち、「さて将来は」と危惧するものの妙案も浮かばず現在に至っています。

若松進一ブログ

 公友会の事業は夏の勉強会と年に一回出る会報程度ですが、それを仕切るのは県公連の事務局長さんで、忙しい暇を見つけて支えていただいているのです。少し前に行われた公友会の勉強会で、次年度の勉強会会場が議論され、来年は私が幹事になって人間牧場で開くことが決まりました。記憶をたどれば平成4年にわが私設公民館煙会所で第6回目の勉強会をしているので、来年やれば2回目となるのです。

 毎年のように会報に投稿している私としては、会報で人間牧場ができる以前に人間牧場構想を夢のまた夢として書いているので、皆さんに見てもらいたいという思いもあって思い切ってお引き受けすることにしたのです。高齢な方には多少難儀な山道ですが、心をこめてお世話したいと今から心待ちにしているのです。

若松進一ブログ
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 さて見開きで16ページと17ページにわたり、奇しくも盟友菊地邦求さんと同ページに書いた私の原稿のタイトルは、「書けて喋れて実践できる人間を目指して」という大変長いタイトルの文章です。公民館主事の時代に目指した「書ける」「喋れる」「実践できる」という3つの目標は、公民館を去った後も、勿論今も私の目指す理想なのです。まだまだその峰高く意思半ばですが、それでもあのころに比べれば書くことも喋ることも実践することも随分成長したように思うのです。でも成長と同時に成長の限界も感じています。特に加齢は人間の成長を止める大きな原因であり、人間誰もが味わうジレンマに今後は苛まれることでしょう。それでもあえて喰くことも喋ることも実践することも、鈍化を遅らせもうひと踏ん張りと思っています。

 これまで書いて残してきた幾つかの文章も、若気の至りでしょうか手元では見つからず散逸していますが、これからは、このようにデジタル化して残すことも考えなければなりませんが、「残して何になる」というジレンマもまたあることも事実です。

  「書いたもの 手元残らず 散逸す これから先は デジタル化して」

  「文章は 読む人のため 書くものと 最近やっと 意識し始め」

  「今年また 年末ゆえに ゴミとなる 勿体ないが 諦め燃やす」

  「書くほどに 文章多少 上手くなる そろそろ天井 来たかもしれぬ」

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