shin-1さんの日記

○かまど開きと餅つき

 今日はかまど開きというイベントを年輪塾の主催でやりました。かまどを使った餅つきとご飯に味噌汁という日本食に挑戦するのです。餅は殆ど家でつかなくなったし、ご飯もかまどで炊くなんてこともなくなりました。ゆえに餅つきもかまどのご飯も、若い人たちには思いでさえもなく興味深々なのです。

 まず餅つきですが、餅つきは意外と手間暇がかかります。もち米を購入したら持つ付きの日の2~3日前にもち米を洗い水につけておきます。蒸し器やセイロ、臼や杵などを洗うのですが、これらの作業は水の冷たいこの時期には身を切るような感じがします。ほかに餅とり粉、あんこなどを用意しますが、勿論かまどにくべる薪だって用意しなければなりません。

 今朝は北西の季節風が吹き荒れて、気温は氷点下にまで下がる朝を迎えました。前日用意のこまごましたものを軽四トラックに積んで8時に家を出て人間牧場へ向かいました。牧場には既に井上さんや晴美さんが到着していて、鍵の付いていないかまど小屋で待っていてくれました。急いで大きなストーブに火を入れ、トラックの荷物を下ろしてもらい、さっそくハガマにポリタンクで持参した水を入れ火を焚き始めました。この日は二連式のかまど両方を使って同時に2臼ずつ進行しようという目論みです。最初は寒くて水温が低いので中々温もりませんでしたが、そのうちかまどが熱くなるに従って一気に温度が上がって吹き上がりました。やがて後発隊も徐々に揃った10時に開会をすることになりました。

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 今日は白い餅3臼、よもぎ餅1臼、みかん餅1臼、粟餅1臼の合計6臼をつく計画でした。この日のもち米は亀本さんが作ったものと、西岡さんにいただいたもの、それに野村の井上さんが持参した雑穀餅ですが。白い餅からはじめるというセオリー通り、つき進んで行きました。最初のうちは物珍しさも手伝って俺が俺がという雰囲気でしたが、そのうちバテ気味で銅度どうぞと譲るようになり、子どもにもつかせたいというそぶりを見せてずるがしこい知恵を働かせていました。

 皆さんの関心はもっぱらみかん餅で、薄皮の早生ミカンのヘタをとってセイロで蒸して餅地中へつき込んで行くのです。私はこねる役を担当しましたが、みかん餅は繋ぎのような粘りが出るのに少し時間を要しましたが、それでも綺麗な黄色の餅ができたころは皆さん感心して食味をしていました。

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 子どもたちは大人の指導を受けて小豆餡を丸める作業をしました。最初は大粒の餡でしたが、足りくさくなり中粒くらいに変更していました。大河内さんと青木さんが小さくちぎってくれて、それを丸める作業も順調に進みました。餅を丸めたりついたりしながらあんこ餅を食べたり、時には浜田さんのすりおろした大根と醤油で味見するなど、おやつ時期、昼飯前も手伝って皆さん沢山食べました。

 出来上がったお餅は持ち帰り用にパックに色々な種類を6個ずつ入れて行きました。せっかく集まったので持ち帰って家族とお話ししながら食べてもらおうという算段です。


  「つきたての 餅をほおばる 子どもたち 笑顔の向こう 幸せ感ず」

  「ストーブの 薪赤々と 暖かく 杵音ペッタン 軽やか響く」

  「臼と杵 セイロもち米 薪までも 皆それぞれに 持ち寄り集う」

  「おいちゃんと 言われてドキリ 振り返る おいちゃんならぬ 爺さんなのに」

 

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○今年最後の理事会と忘年会

 昨日は今年最後のコープえひめの理事会が午前中あり出かけて行きました。昨日の天気は大荒れで、特に南予地方はこのところの冷え込みで、この時期としては珍しい大雪に見舞われ、南予地方に住む地域理事さんたちは出席するのに四苦八苦したそうです。同じ愛媛県内なのに久万高原町では積雪15センチなどと報じられていましたが、お城下松山はやはり都会でそんな素ぶりは微塵も見れないのです。

 私の町も牛の峰山のパラグライダーテイクオフ場には白い積雪が見えて、海は白馬走るが如き様相で、しぐれの群れが幾つも沖合を通り過ぎて冬将軍到来を思わせ、カモメたちは漁に出ない漁船に舳先に止まって首をすぼめ冬籠りに入っていました。

 前回は大学の授業日とバッティングして理事会を休んだため2ヶ月ぶりの出会いゆえ、各理事さんの顔がとても懐かしく感じられました。昨日は一年を総括するため4つの分散会に分かれて討議を行いました。私はAグループに振り分けられてその輪に加わりましたが、いつも思うことながらその場で司会や記録に指名された理事さんは即興ながら絶妙に役割をこなしており、感心するばかりです。

 大川理事長さんからコープえひめの学識理事を頼まれ、総代会で承認されてから4年目を迎えています。最初は戸惑うことの多かったこの世界ですが、慣れとは恐ろしいもので、今ではすっかりその気になって深く関わり、その気になって仕事をこなしているのです。

 昼食を食べて閉会後、地域理事さんたちは毎回研修会が予定されていますが、私はお払い箱なので午後のは久しぶりに自由時間となったので、夕方5時から道後のホテル茶波瑠で行われる忘年会まで、本屋さんに行ったりホームセンターで買物をしたり、また道後の娘の家へ立ち寄りました。街中は華やかな飾り付けですっかりクリスマスムードのようでしたが、このところの冷え込みで県都松山でも道行く人はまばらで寒そうな顔をして足早に歩いていました。あいにく娘婿は東京へ出張中でしたが、久しぶりに出会った孫たち二人も元気で、少しの間遊び相手になって遊んでやりました。

 ホテルは目と鼻の先なので20分前に車で到着しました。一番乗りでしたが受付で6番のくじを引き、次々やって来る皆さんと雑談しながら時間の来るのを待ちました。

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 やがて稲葉理事さんの司会進行で忘年会は始まりました。理事長さんの開会あいさつや石井監事さんの乾杯音頭で楽しい食談会です。ホテルの料理に舌鼓を打ちながら隣に座った稲本理事さんと在宅の親の介護や近況など色々な話をしました。

 理事長さんから耳打ちされていた余興出演依頼も、仕方がないと諦めて少々の小噺とハーモニカしか芸がないのでやりましたが、皆さん義理立てして乗ってくれました。大野理事さんのいつも変わらぬギターと歌はとても魅力的でした。松本専務と田中社長も飛び入りで長淵剛の乾杯を熱唱しました。

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  「ホラならぬ ハーモニカ吹き お茶濁す 忘年会の 余興頼まれ」

  「殆どが 女性だけなる 集会は 持てそ気するが 持てもせず何故」

  「くじ運が 悪いといつも 思ってる ゆえに今宵も 当たりもせずに」

  「人の妻 着飾り化粧 する故か わが妻よりか 綺麗に見えて」

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