shin-1さんの日記

○何気なく読む雑誌の中に自分を発見

 毎日のようにわが家の郵便受けに届く手紙や書類、ダイレクトメールなどを受け取る度に、私の知らない場所で私の名前と住所が書かれているのかと思うと、個人情報重視の時代に故に少々不安になったりします。しかし私のように名刺を配る人間として生きている者にとってはそれは宿命だと諦めていて、むしろ金銭関係のガードをしっかりしていれば、そんなにトラブルに巻き込まれることもないと割り切っているのです。

 昨日届いたメール便の雑誌を昼食を食べながら何気なくめくっていると、私の顔写真入りの記事があってびっくりしました。エヴァプレスという「街の香りをお届けする地域交流デザインマガジン」と書かれた無料配布の雑誌です。平井鳥取県知事や村井宮城県知事のリレー対談などの特集が組まれているため、その記事を読みながら地方の苦悩や元気を考えました。

 34ページに観光カリスマ100選という本の著書と著者が紹介されているコーナーが載っていました。著者は私もよく知っている前山梨県立大学教授市原実先生です。先生とは手紙をやり取りする間柄で昨年は愛媛県で開かれた地域づくり団体交流研修全国大会でわが町にもお越しいただきました。

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 観光カリスマの認定は小泉首相の時慶応義塾大学の島田晴雄教授を選考委員長に2002年12月にスタートして、その後全国から100人の人が選ばれました。おこがましくも私もその一人に選ばれていますが、その100人を取材紹介してこのほど出版されました。出版社からその本は送られてきましたし、仲間にもパンフレットなどを送って買い求めるよう市原先生の後方支援をさせていただきました。

 このページには3人の記事の写真が掲載されていましたが、岩手県奥州市綾野輝也さん、長崎建長崎市の林敏幸さんそれに私がしょうかいされているのです。虫眼鏡でないと確認できないほどですが、文章記事の末尾に「今回よりその中から勝手にご紹介させていただきといと思います」と注釈が載っていました。まあ私のこともインターネットで検索すると読むことも見ることもできないほどのかなりの数が載っているのですから、静観したいと思っています。

 昨晩遠くに住むある友人からパソコンにメールが入り、この雑誌を読んだと感想文が寄せられました。「私と同じような偶然見つけて嬉しくなった」と記されていました。私は早速返信をしましたが、こんなことで安否確認とはおかしな世の中になったものです。

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(写真の左から2枚目が初代のにっぽん丸で青年の船としてアメリカへ渡りました)


 息子が持ってきた商船三井客船にっぽん丸というパンフレットにも、めくると懐かしい写真が載っていました。あるぜんちな丸を改装して初代にっぽん丸となったその船で、私は青年の船班長として建国200年のアメリカへ行ったのです。もう30年以上も前の出来事ですが、当時の模様がありありと浮かんできました。

 雑誌や新聞、パンフレットを読みながら過ぎ越し人生の一コマにふれることができるのも、それだけ善き敬意見をしているからだと、改めて自分の64年間の人生を振り返った次第です。


  「えっ俺が 雑誌の記事に 虫眼鏡 観光記事載り わが目疑う」

  「そういえば 三十数年 前だった この船乗って アメリカ渡る」

  「思い出は 一瞬頭 蘇る だのに昨日は 思い出せない」

  「記憶する ことしか記録 されないと 記憶と記録 どっちだったか」

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○子どもの日は私たち夫婦の39回目の結婚記念日

 昨日は子どもの日で、各地で子どもにちなんだ様々な催しがあったようです。お隣の内子町五十崎では恒例の凧合戦が行われたようで、高速道路の割引効果と好天ということもあって5万人もの人が詰めかけたとテレビが報じていました。そのため伊予~内子間の高速道路が6キロ渋滞したそうです。

 昨日の子どもの日は私たち夫婦にとっても記念すべき日で、39回目の結婚記念日なのです。妻は旧姓二宮繁子といって南予八幡浜の出身です。生家は代々削り節屋をやっていて、近所の人の紹介で見合いをしました。役場に勤めてまだ日も浅かったのですが、当時私は愛媛県青年団連合会の会長として忙しい日々を過ごしていて、僅か5分程度の見合いで結婚を決意したのですからいい加減としか言いようがありません。結婚前のデイトも仕事と県連会長と国立大洲青年の家の誘致運動が重なって僅かに5~6回と極端に少なく、妻は相当不安だったと述懐してますが、当の私は平気で事を運びました。

 私たち夫婦は結婚する時、殆ど一方的に私が結婚式の日取りを決めました。いくら何でも子どもの日などという祝日に結婚式を挙げるのはどうかと親は乗り気ではありませんでしたが、むしろ私はこの日を吉日と思っていました。

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(今年39年目の結婚記念日を迎えました。これれから相合傘で・・・・)

 八幡浜と大洲の間の夜昼峠は難所でしたがトンネルがこの年に開通したため、花嫁衣装に身をまとったまま自宅からわが家まで延々3時間も車に揺られてお輿入れです。その当時はまだ海岸国道は未整備で曲りくねった道を下灘まで来る道中は極度の緊張感もあって生きた心地がしなかったようです。結婚式はわが家の座敷で指図人の仲人さんが執り行う古式豊かな三々九度の盃事でした。その後妻は田舎の古い風習である「歩き初め」というお披露目があって近所を練り歩いてあいさつ回りをしたようですが、私は県下各地からお祝いに駆けつけて来てくれた青年団の仲間と談笑していました。

 私たちの田舎は当時、結婚式の料理は大がかりな親族による手助けで全て手作りでした。250人分の食材はこれまたわが家が鯛網漁師をしていたため自前で、鯛づくしの料理が豪快にふるまわれ、新郎新婦の前にはこれでもかといわれるほど鯛の姿造りが並べられていたのを記憶しています。

下灘農協の2階の大ホールを借りた披露宴は延々6時間にも及び、いつ終わるとも思えぬ披露宴で酒を飲まされ、私も妻も夢心地の一日でした。

 あれから39年、生活設計通り4人の子宝にも恵まれ、家を新築したり子どもの自立など多少の波風はあっても貧乏ながら何とかここまでやってきました。その間の妻の苦労は私が地方公務員とは言いながらかなり破天荒な人生を歩んだため、家を守るために大変な苦労をかけたようです。夫婦喧嘩も多少はしましたが、別れることもなくまあ普通の家庭を築いてきました。

 いつもの年は結婚記念日など子どもの日ということもあって特別なことはしませんが、それでも私たち夫婦にとってはかけがえのない記念日なのです。昨日は長男夫婦に加え看護士の次男と警察官の三男も帰郷して賑やかな夕食会となり、記念日を祝うことができました。今のところ私も妻も健康で、妻は近所の歯科医院で働らき私もリタイアしたといいながら適当に働いて適当に人生を楽しく過ごしているのです。

 過去も今もそう不満はありませんし、二人の息子の結婚がまだなくらいで、これからもそんなに不安の材料は見当たりません。月並みなことかも知れませんが、健康に留意して二人仲良く、とりあえず11年後の金婚を目指して頑張りたいものだと二人で話をしました。

 私事で恐縮ですが、結婚記念日にはささやかながらプレゼントすることにしています。中身は内緒です。


  「夫婦とは いかなるものか 考える 知らぬ同士が 糸で結ばれ」

  「私たち 何もないから 加点派で 今日まで点数 加えに加え」

  「矢のごとく 三十九年が 過ぎました これから先も よろしく頼む」

  「とりあえず 金婚五十が 目標と ささやかながら 目標立てぬ」

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shin-1さんの日記

○四国青年スキルアップ系合宿に参加して

 昨日は2泊3日の日程で香川県高松市五色台にある県立少年自然センターで行われた四国青年スキルアップ系合宿に、頼まれて講演に行きました。午後6時30分からのスタートでしたが、少し早目に到着しました。五色台の歴史民俗資料館へは行ったことがありますが、この施設は初めてなのでカーナビが頼りでした。山の高い台にあるこの施設からは絶景の瀬戸内海の島々や夜景がきれいに見えました。駐車場から研修施設までは歩いて行かなければならないため、施設の全容を頭にに入れるのにかなり時間がかかりました。研修には四国中から90人もの若者が集まり熱気を感じました。

 私が講演する間車の中で待つ予定だった妻は、駐車場が遠いためにやむなく私の金魚のフンとして参加し、夕食までご馳走になってしまいました。

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 夕食後全体会でこの日の分科会に出演する3人の講師が簡単なレクチャーを行い、それぞれの分科会場に散って行きました。社会起業分野、経済分野、地域活性化分野と3つの中で、私は地域活性化分野です。天文観測館の一室は満席でした。私は6時半から8時までの90分、若者たちにメッセージを伝えるために少し早口で淀みなく話をさせてもらいましたが、意識的にかなり高い知識を持っているのか反応が早く、しかも理解度が高いとお見受けしました。

 若いころから自らも青年団活動を経験し、今も若者の地域づくりを支援していますが、日本の地域から若者が消えた感じがするのです。しかし私がこれからその力を地域に生かそうと思っている大学生たちの力は、新しい地域の担い手として十分役に立つと手ごたえを感じました。講演が終わって帰り支度をしようとするのですが、若者たちは公園の余韻を引きずって、盛んに近づき名刺交換や感想を述べて再会を誓うなど、いい雰囲気でした。後ろ髪を引かれる思いで五色台少年自然センターを後にして有料道路を経由し、坂出インターチェンジから高速道路に乗って夜の道を帰ってきました。


 私は青年時代、青年団活動に熱中し多くのことを学びました。概して①仲間ができた、②ふるさととともに生きることを学んだ、③主張ができるようになった、④感動する心が育ったのですが、これらのことは後の自分の人生において大いに役に立ちました。勤労青年であろうが学生であろうがこれらのことを若い時に学ぶことは大きな意味があると思うのです。田舎から若者の姿が消えた今、ふるさと再興の願いを彼らに託すにはまだまだ時間がかかるかも知れませんが、そのきっかけになったことは事実です。

 これからも折にふれこの若者たちと地域づくりを論じて行きたいし、支援して行きたいと思いました。いつの時代にも千年の瞳の輝きがその国の将来を決めるのです。学生にそんな夢を託すことを私たちは忘れていたのかも知れません。がんばれ若者たちよ。


  「久方に 若者たちと 交流す 明日が楽しみ 凄い迫力」

  「今やれる 青春強く アピールし 奮起促す 俺は熱血」

  「朝早く 夜が遅いと 心配し ついてきたのに 横でウトウト」

  「講演の 話すスピード 早送り それでもみんな さすがに若者」

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○高松市栗林公園を見学

 行く当てない旅ゆえ、道路標識を見ながら「あっ、栗林公園○○キロと書いてある」「お父さん久しぶりに栗林公園へ行ってみない」と妻が言うものですから、その通りにしました。栗林公園の駐車場はどこも満車で、誘導に従って少し離れた迎の場所の駐車場に駐車しました。この日は男時で、駐車場が満車のため無理かなあと思いきや一台出て行き無事駐車、信号が長い横断歩道も私たちがさしかかると青色にかわり、「今日はラッキー」と妻はご機嫌です。栗林公園の中は昼時でしたがかなりの人が入場して、曇り空で風もない長閑な初夏の一日を、皆さんのんびりと散策していました。

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(園内の広々とした風景)

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(新茶の即売をしていた愛媛の高校生と出会いました)
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(相合傘でどうぞと勧められ少し澄ましてはいポーズです)

 私たち夫婦は殆ど別々にこれまでにも何度かこの公園には足を運んでいるのですが、そのほとんどが団体旅行だったので、時間的な制約もあって公園の隅々まで散策したことは殆どなかったのです。昨日は急ぐ旅でもないので入場口で貰ったマップにそ沿ってほぼ一周するようにゆっくり歩きました。まず園内の建築物の中に入り、伝統工芸の方の漆塗りや焼物、一刀彫りなどの実演販売、それに盆栽などを見学しました。伝統工芸の技に感心しながら、少しお高い漆器の汁椀を買い求め外に出ました。園内は黒松を基調にしたそれは見事な庭園でした。しかも松の手入れも行き届き、無る場所によって趣が違うから驚きです。


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(この日はまるでおばさんのモデル撮影会のようで、嫌がる妻をカメラで追いました)
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(紅葉の新緑が目に鮮やかで綺麗でした。勿論モデルも?)

 園内にはカメラスポットのような場所があって、そこには沢山の人が詰めかけ、まるで順番待ちのような雰囲気でした。栗林公園の宣伝ポスターといえばここだと思う場所にやっと立ちました。少し高くなった場所から見ると太鼓橋が庭園の水面に映え、新緑も鮮やかな光景に思わず見とれてしまいました。「写真を撮りましょうか」と若い女性が優しい声をかけてくれました。「それじゃあお言葉に甘えて」と一枚撮っていただきました。ここだけの話ですが私はツーショットの写真が大の苦手で、新婚旅行に行った先々でも二人で撮った写真が一枚もないのです。声をかけてくれた女性は私たち夫婦を仲の良いカップルだと思ったのでしょう。はいその通りです。天下には岡山の後楽園、水戸の快楽園、金沢の兼六園、熊本の水前寺公園、大阪の大阪城公園など名だたる名園がありますが、栗林公園も負けず劣らず立派な日本庭園だと感心しました。

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(栗林公園第一のカメラスポット)

 ここでも若い女性に「写真を撮りましょうか」と勧められ、私のカメラを渡して採ってもらいました。

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(痩せた私に少々太り気味の似合いの熟年夫婦です)


 吹く風もさわやか、途中のゴザを敷いた茶店でトコロテンを注文しお茶を飲みながらのんびり過ごしました。いつの間にか栗林公園で2時間も過ごしてしまい、五色台へ行く時間が近づいていることを知り、思い出に残る栗林公園を後にしました。その後海岸近くの道を走って有料道路の入口からつづら折りの山道を登り、四国88か所の根生寺にお参りし、出産間近な息子嫁の安産をお祈りしました。昨日夕方から講演が予定されていた五色台青少年センターはレ根生寺のすぐ近くにありました。

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  「栗林に 何度来たかは 知らねども 規模の太さに 今更ながら」

  「伝統の 工芸の技 目の前で 実演見とれ 漆器手に入れ」

  「オシドリの ような姿に 見えるのか 撮りましょうかと 声をかけられ」

  「出産を 控えた嫁の 安産を 祈りお守り 巫女より授く」



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○朝5時に出て12時に帰る長~い旅

 「ゴールデンウィークは何処へ出かけますか?」何て会話が交わされる度に、「私は残念ながら仕事があって、野良の節句働きのようなものです」と、自分自身に納得させるように話してきました。「えっ、サンデー毎日と聞いていましたが、仕事をするのですか?」と言葉を返されれば、「はい、講演や集会などの藪用がありまして」・・・。

昨日はそんな会話を地で行く講演依頼があって、高松市まで自家用車で遠出をしました。せっかく巡った「どこまで行っても千円」という高速道路の祝日割引を生かさない手はないとばかりに、妻を誘い早朝に出かけました。せっかく行くのだったら、うどんも食べたいし、金毘羅さんも塩江温泉にも入りたいしと欲張った旅の行程を二人で組み立てながら、夜の講演に間に合うために朝5時の旅立ちとなりました。

 伊予インターチェンジから高速道路に乗りましたが、朝5時過ぎというのに高速道路はかなりの交通量で、時折トイレ休憩のために立ち寄ったパーキングエリアやサービスエリアは、まるで県外ナンバー車の見本市のようなもので、ほぼ全国の車を見ることができました。したがってどの休憩所もファーストフーズの店やレストラン、土産物売り場はかなり混雑していて、レジには長い列ができていました。

 そんな混雑の中でも、立ち寄った場所場所で知り人に出会い、「若松さんお元気ですか」と声をかけられるのです。妻と一緒なんてことは滅多にないことなので、妻も「お父さんは顔が広いのねえ」と改めて驚きながら、その度に「あの人誰?」「あの人は○○さんといって、○○という地域に住んでいる人で、昔お世話になった」などと記憶をたどりながら注釈をつけて妻に話してやるのです。

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(塩江温泉の奥まった所にあるさぬき温泉の玄関にて)

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(塩江温泉の前にかかった木製の橋をバックに)

 一番の驚きは金毘羅さんのお参りを済ませ、うどんでも食べながら塩江温泉へ行こうと一般国道を走り、名だたるうどん屋は長蛇の行列で食べることができず温泉入浴を終え、塩江温泉の道の駅に立ち寄った時でした。何気なく木橋を渡ろうとしていると橋の向こうから三谷コミュニティセンターの所長さんがこちらに向かって歩いて来るのです。「えっ、まさか」と目を疑いましたが、正真正銘の所長さんでした。所長さんとは最近二度も会っているだけに、お互いが橋の上でまるで相談したかのような偶然な出会いに感激してしまいました。お互い連れがいたためその場は別れましたが、自宅へ帰って二度びっくり、所長さんかうどんが届いていたのです。妻は「どうなっているの?」とびっくりしきりでしたが、私の方が数倍も驚いてしまいました。少し昼食時を逸していましたが、所長さんお勧めの橋のたもとのそば屋さんに立ち寄り、美味しいソバを堪能しました。

 朝5時に出て夜12時近くに帰った夫婦の長~い、ささやかなゴールデンウィークの旅は終わりましたが、講演を利用したといいながら久しぶりに楽しいものでした。金毘羅さん、塩江温泉、栗林公園、五色台、根生寺など短い時間ながら香川県の主だった観光地を足早に回り、うどんこそ食べれなかったものの美味しいソバを食べ、しかもガソリン代と高速道路割引という恩恵に預かり、妻も私ももう満足でした。帰るとすぐに風呂を沸かし、湯船にゆっくりとつかって疲れをいやし、床に就いた頃には12時を回っていました。ああ昨日は妻と二人でいい一日でした。


  「うそ?本当? 向こうに見える 所長さん お互い数奇 運命感ず」

  「朝早く 旅立ち夜は 遅くまで 日帰り旅行 割引お陰」

  「割引の 恩恵良くす 人たちで どこも満員 不景気知らず」

  「何処へ行く 聞かれる度に どこどこと 説明しつつ 旅程組立て」 

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○人それぞれの連休

 今年もゴールデンウィークの真っ最中となりました。私の町は農山漁村地帯ですから、サラリーマンのようにゴールデンウィークなどと称してまとめて休むこともできない人たちが沢山いて、あちらの山ではチェンソー、こちらの山では草刈り機などと甲高い機械の音が響いて、浮かれている人にまるで警鐘を鳴らしているような雰囲気なのです。中には年老いた親父やおふくろの手助けをしようと、帰郷した孝行息子の力を借りて農作業をしている人もいることでしょう。

 農家に比べ漁家は祭日は魚市場が休みのため、一日ずれはしますが漁師さんたちは長い休暇に入り、船は全て港に係留したままで、けたたましい漁船のエンジン音も消え、浜は久しぶりに静かな日々を迎えているのです。しかし最近は海のレジャーが盛んになって、港の隅にわがもの顔で係留しているレジャーボートは沖合いに出て釣りを楽しんだり、気の早い若者たちは海上スキーやジェットスキーなどを楽しみ、水しぶきをあげているのです。「まだ寒いだろう」と思いつつ、長閑な海の風景を見るのも年寄りの冷や水かも知れないのです。


 わが家も前日から松山に住む長男夫婦が帰ってきました。長男の嫁は10日後に出産を控えていて、今年のゴールデンウィークは出産準備期間のため何処へも行けず、わが家と松山の家を往復して過ごす程度で、妻はそのために長男家族のお世話という忙しさがついて回るのです。

 長男はこの連休中にかねて念願だった私のビデオテープをDVDに移し替える作業に取り掛かっていますが、残念ながらその数たるや膨大で、しかも長年使わずに倉庫にしまっているためカビが生えた状態のものも何本かあって、クリーニングに出さねば作業が進まないことが判明し、思わぬ出費に頭を抱えなければならないようです。何本か試しに入力作業を試みたようで、私の書斎の机の上は、先日片づけが終わったばかりなのに、ビデオデッキやコード類に占拠されて、朝晩行うブログ書きもままならない状態なのです。

 長男とともに帰っている孫希心は成長の跡が著しく、台所の柱に書き込んだ家族の背の高さの所にまた新しい記録が書き加えられました。年末からだと5センチも背が伸びて、私や長男を驚かせました。言葉も行動も日増しに成長して、この分だと10日後の出産後も何とか乗り切ってくれることでしょう。既に準備期間として保育所に通わせていて、そのことも孫の成長を手助けしているのかも知れません。

 この孫は果物が大好きでイチゴやトマト、それに少しすっぱい甘夏みかんを平気でペロリ一個を平らげてしまうのです。自分の小さな椅子を自分で台所に運んできて座り、「じーじ、じーじ」と皮を剥いて食べさせてほしいとせがむのです。泣いたり笑ったりと孫がいるだけでわが家は賑やかです。いつか近いうちに長男夫婦は同居をすると決めていているようですが、わが家に本当の春が来るのはもう少し先のようです。

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shin-1さんの日記

○ホンネ共和国での交流会

 かつて私は21世紀えひめニューフロンティアグループを率いてフロンティア塾を開いていました。10年間で40回という超ロングランの塾に大勢の心ある人たちが参加して、様々な学習をやりました。フロンティア塾生たちはそれぞれの地域へ帰って地域づくりの新しい活動を起こしキーマンとして活躍してくれました。その中に宇和町明間の佐藤正治さんがいました。彼は名水百選の観音水でアマゴの養殖に取り組んでいますが、ホンネ共和国を立ち上げその大統領として活躍しました。その馬力は私と同じく加齢とともに多少衰えましたが、その真摯な姿勢は今も変わらずなお矍鑠としているのです。

 ある雑誌に紹介された私の写真を見て、この春電話をかけてきました。「痩せたあなたの体が気になって」というのです。彼もその後病気を患い少し痩せたと風の噂に聞いていたので、「人事ではない、あなたはその後元気か」とお互いが大笑いをしました。5月の2日に久しぶりに仲間が集まるので是非という話だったので、人間牧場の清掃作業の後で参加することにしました。

 浜田さんと二人乗った私の車は、宇和町の街中を左折して野村方面へ10分ばかり走るとそこはもう野村ダムの上流です。水没記念碑の建つこの場所は何度か訪れた場所であり、佐藤さんはこの国道沿いに丸太小屋を建てています。佐藤さん宅に立ち寄り、橋を渡ってみんなで対岸の小さな公園へ出かけました。川沿いのため少し冷たい風が吹いて肌寒い感じがしましたが、シートを敷いたり机を出して交流会の準備をしました。火をおこしアユやアマゴ、それに焼鳥と中々豪華な取り合わせです。三々五々次第に参加者も多くなってる顔見知りの方々が集まってきました。赤トンボと私が命名した赤いつなぎの木村さん、土佐の和田さん、新聞社のIさん、ホンネ共和国の皆さん、それに大洲市柳沢の一二三会の皆さん、宇和島水産高校の先生ご夫妻、松盛さんなど、さらには途中から遊説中の某代議士候補も加わって賑やかでした。

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 かつてフロンティア塾に参加していた皆さんも何時の間にか歳をとりました。それでも私を含め彼ら一人一人にすそ野が広がり、大きな輪となって愛媛の地域づくりができていることを嬉しく思います。ここに来た人の中には今日行われる朝霧湖マラソンに出場するという話も聞きました。「そんなに酒を飲んで大丈夫か」と聞けば、「私のエネルギー源はアルコール」とおどけながら何度も盃をあげていました。

 ダム湖岸には何組かの人が弁当を広げて休日を楽しんでいました。「何処から来たの?」「松山市から」「そうですか、私は伊予市双海町です」「ああシーサイド公園のある夕日の綺麗な町でしょう」「そうです」「あそこはいつも遊びに行っています」「ありがとうございます」。こんな会話を交わしながら久しぶりにのんびりとさせてもらいました。少し早い3時にお暇し、内子経由で伊予市駅まで浜田さんを送り、明神山・牛の峰山・黒山・壷神山を海岸周り・山周りをぐるり回った一日でした。


  「久方に ホンネの里に 友集う 昔あの頃 花を咲かせて」

  「代議士に なりたい人も 加わって 政治論争 評論家のよう」

  「人は皆 どうして歳を とるのかな 面影消えて 初老といえり」

  「飲む人の 酔うほど見つつ われ素面 俺もあんなに 饒舌だった」

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○人間牧場での修行とミツバチの分封

 人間牧場も開設以来5年目を迎え、知名度が上がったのか沢山の人がやってくるようになりました。いつも気になるのは整理整頓と清潔がきちんと行われ、来た人に不快の念を与えないようになっているかどうかということです。私自身はそのことをわきまえて折にふれ掃除をしているのですが、忙しさと多くの人が思い思いに使うため、どうしても整理整頓がおろそかになっているのです。

 昨日は年輪塾塾生第一号として名を連ねている浜田さんの発案で、清掃作業と草刈りを行うことになりました。浜田さんが年輪塾ネットにそのことを書き込んだため思わぬ反響があって、皆さんに心配をかけてしまいました。最初は浜田さんと私で連休の一日のんびりと素地でもしながら話そうかと思って始めたのですが、大洲市田処の亀本塾生と高知県四万十市の和田塾生という思わぬ助っ人が現れ、実労のお陰で大いに仕事がはかどりました。

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(水平線の家の部屋掃除をする浜田さん)

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(草刈りをする高知県四万十市西土佐村の塾生和田さん)

 

 みんな遠隔地だのに早朝自宅を出発して、掃除の始まる8時前には人間牧場で作業がスタートできるような体制です。浜田さんは汽車で上灘駅に着きわが家へ7時ころにやって来ました。また和田さんんも西土佐を6時前には出発したのではないかと思われ、改めて感謝の気持ちでいっぱいでした。

 清掃作業発案者の浜田さんには土間の棚卸清掃を頼み、私と亀本さん、それに和田さんは牧場の草刈りに挑みました。それぞれがそれぞれの草刈り機で1時間半ばかり草を刈りました。仲間の中には「草刈り十字軍を結成して、草刈り奉仕をします」などと、酒を飲んだ時は威勢のいい話をしてくれますが、草刈り奉仕をしてくれた人はこの4年間で今回が初めてなのです。亀本さんも和田さんも草刈り機持参で急傾斜の草刈りを、手際よくやってくれすっきりしました。

 草刈りも一応目途がついたところで今度は水平線の家の板間のワックス塗りです。予め浜田さんが雑巾がけをして乾燥させた板間に端からワックスを塗って行くのです。ワックス塗りはこれまでわしが年2回行っていますが、お陰で綺麗な板間が保れているのです。ワックス塗りは中腰で行う少々きつい仕事なので最初は浜田さん、そして私、亀本さん、和田さんとバトンタッチしてワックスを塗り終わりました。休憩中に風が入りワックスが乾燥したところで空拭きをして作業を終わりましたが、まるでお寺の修業僧が本堂の床を磨くような修行の姿は微笑ましく、いい研修になった思いました。

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(板間を空拭きする亀本さん)

 休憩中に面白い光景を見つけました。ウッドデッキのすぐ傍に設置している馬路村からお嫁入りしているミツバチの巣箱に蜂が出入りしているのです。これが噂の分封かと嬉しくなって、みんなで遠巻きにして見学をしました。浜田さんは早速蜂飼いの師匠である山奥組の井上登さんに携帯電話で第一報です。私も会話しましたが、いやあ驚きました。周辺のみかん畑の白い花もそろそろ咲き始め、人間牧場界隈は甘い香りに包まれ、一年中で一番いい季節を迎えています。この2ヶ月気になって仕方がなかった分封が年輪塾の次なる発展につながるようないい予感を感じさせてくれました。

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(奥に見えるのが井上さんから頂いた巣箱、手前が馬路村からいただいた巣箱です)
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(ミツバチは小さいので写真には写し辛いです)

 作業は10時30分で終了です。というのもこの日は西予市宇和町明間のホンネ共和国の皆さんと久しぶりの交流会があり、亀本さんを除いてみんなで参加する予定なのです。焚火の日の始末をして道具類を片づけ、施錠を確認し山を降りました。これで次の人が心地よい気持ちで利用できるようです。次の予定は5月23日に子ども教室が行われる予定で、子どもたちの歓声が聞こえることでしょう。

  「塾生が 修行のつもり 自主的に 掃除に汗を 流し綺麗に」

  「ふと見れば 蜂が出入り 分封を 確認嬉し 早速電話」

  「朝早く 作業始める その裏に 暗き間に ここを目指して」

  「掃除する これも修行と 力込め 土間を磨くは まるで坊さん」

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 双海町にはふたみシーサイド公園とふたみ潮風ふれいあい公園、それにしもなだ運動公園3つの公園があります。いずれの公園も私が在職中に手がけた公園ですが、それぞれ特徴があってそれぞれの味を楽しむことができるのです。ダントツによく利用するのはシーサイド公園ですが、季節によっては潮風ふれあい公園にも時々足を運びます。ちょうどこのころの潮風ふれあい公園はつつじの季節で色とりどりのつつじが咲いて、青葉とともに楽しむことができるのです。潮風ふれあい公園は上灘駅のすぐ上の高台にあるため瀬戸内海の眺望が素晴らしく、眼下に県都松山や周防大島などが手に取るように見えるのです。

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 昨日は暖かい陽気に誘われて久しぶりに単車で潮風ふれあい公園に足を運びました。千人塚の池の周りにはアジサイの新緑がまぶしいほど茂り、見上げればその池をまたぐように10数匹の鯉のぼりが飾られ気持ち良さそうに五月の風を腹いっぱいに吸い込んで泳いでいました。

 この鯉のぼりは公園近くの本郷地区の皆さんが公園が出来て間もなく始めたもので、今年も5月5日の子どもの日を挟んで飾ってくれました。

 私たちが子どもの頃は戦後間もない貧乏な時代だったため鯉のぼりには縁がありませんでしたが、私の息子が生まれた時は、男の子が生まれると鯉のぼり、女の子が生まれるとお雛様を親類縁者が送る風習があって、沢山の鯉のぼりをいただきました。当時私の家は下灘の海沿いにあったため、砂浜近くに鯉のぼりを立てていました。海に映える鯉のぼりとしてカメラマンの被写体に何度もなった記憶がありますが、その鯉のぼりもここに何匹か寄付をしたことを記憶しています。最近はマンションやアパート住まいの住宅事情から鯉のぼりが内飾りになったため、鯉のぼりが集まらないという話を聞きました。

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 私の妻などは毎朝鯉のぼりを揚げ、毎夕鯉のぼりや実家から送られた別染め幟旗を降ろす作業に翻弄された懐かしい思い出を持っていて、長男の子どもが生まれた時も是非内飾りにするよう勧めていたようです。

 この鯉のぼりも同様でこの頃は初夏の天気、特に雨と風には気をもむようで、鯉のぼりのお腹に竹竿を入れる妙案を思い付いたお陰でワイヤーに絡まなくなったようでした。高台から見ると鯉のぼりの影が池の湖面に映り、池の中を泳ぐ本物の鯉もどことなく驚いた様子でした。池の土手では住みついているアイガモが羽根を休めてのんびりと日向ぼっこをしていました。

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  「公園の 池をまたぐや 鯉のぼり 本物鯉も 上を見上げて」

  「のんびりと アイガモ三~四 土手の上 日向ぼっこを 楽しみながら」  

  「人知れぬ 苦労があると 聞いていた 見えぬ部分で みんな役割」

  「海に映え 湖面に映えて 鯉のぼり 五月の風を いっぱい吸って」

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○ブログのカテゴリーは私の月報

 昨日は月末、会社であれば一ヵ月の売り上げ集計をして月報にまとめ、目標数値と実際の数値を比較して、業績が向上していれば満足し、低下していれば次の月への捲土重来を期すところでしょう。何年か前シーサイド公園で第三セクターの経営を任されたときは、10年近くいつもそんな月末を過ごしていたものですから、当時を懐かしく思うのです。その結果月毎の出入りはあっても、年間的には一度も赤字になることもなく過ごすことができました。

 第一線を退いた今はそんな数値的目標もなく、ただのんびりと胃の向くまま過ごしていて、ささやかな数値目標は、毎日朝夕ブログを2本書いていて、ブログの片隅に月毎のカテゴリーが記録されているのを静かに眺めながら、月の日数×2=月間数くらいを目安に到達度合いを見ているのです。

 昨日は久しびりに自分のバックヤードである書斎の掃除をしました。私の掃除は部屋にうず高く積まれた書類の山をより分けて捨てる分と残す分に仕分けし、畑の隅の簡易焼却場で焼却処分するのです。というのも紙ごみにすることのできない書類が多過ぎて、シュレッダーのない私は、シュレッダーの代わりに焼却処分しているのです。満足は行かなくても蜜柑のキャリーにして5杯分を運び出し、一通り片付けたところで親父が火を付けて焼却してくれました。また机の上も使わなくなったのに置いている古いパソコンを外して倉庫へ入れ、最後に掃除機と雑巾で綺麗に掃除をしましたが、広くなった机の上や広く感じる書斎を眺めながら、塵も積もれば山となるたとえを噛みしめ、これからはできるだけ整理整頓に心掛けたいと改めて思いました。

若松進一ブログ

 そうだブログの記事をプリントアウトしようと、夕食が終って思い出し1時間ほどをかけて30日分のブログを画面に呼び出しながら4月1日から順にプリントしました。4月1日(釣りの釣果がありました?・私の春休みの第一日は人間牧場の草刈り)、4月2日(人間牧場で夢の実現がしたい・異動の時期は人生いろいろです)、4月3日(どこで習ったのでしょうか孫の言葉・みかん類は美味しいねえ)、4月4日(今日から世界遺産を巡る旅・巻き寿司はおふくろの味の記憶)、4月5日(世界遺産を巡る旅から帰ってきました・広島から島根へ、そしてまた島根から広島、愛媛へ)とまあ僅か5日間だけでも様々な記録が書き込まれているのです。

 もしこれだけの日々の想いをこれから書けといったら多分書けないと、改めて記録の大切さを痛感しました。特に旅に出た時の思い出は日々の暮らしに忙殺されて、思い出すことは不可能に近いのです。幸いデジカメという優れ物の道具を使って撮った写真はこれまた記録の重要な役割を果たしてくれるのです。

 「記憶されるものだけが記録される」とはけだし名言だとしみじみ思い、プリントアウトした懐かしい日々の記事を読み返しながら、プリントアウトを完了した紙にパンチで穴を開け、百円ショップで買い求めたファイルに閉じ終わりました。今年も既に4冊目が出来上がり、今日は人間牧場の書棚持って行き長い眠りに就くのです。


  「パソコンの ブログの欄の カテゴリー よくも書いたり 月間集計」

  「先月も 日数× 二本書く ノルマ達成 凡事徹底」

  「穴をあけ 表紙をつけて 出来上がり 小さな俺の 自分史のよう」

  「誤字脱字 変換ミスに 気づきつつ プリント画面 編集直す」

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