shin-1さんの日記

○孫たちの成長

 私には4人の子どもがいます。女・男・男・男と自分の生活設計通りに子供を授かりましたが、長女と長男は結婚して家庭を持っているものの、次男と三男はまだ未婚で一人身です。長女は男だけ2人、長男は男1人だけ子どもを育てていますが、来週中には長男の嫁が出産予定で、私たちの夫婦の孫は3人から4人になる予定です。

 まるで相撲取りのように大きなお腹を突き出して歩く息子嫁を見るにつけ、人間とは何と不思議なものか、あのお腹の中に子どもがいるのかと、知る由もない自分の出生に思いを馳せるのです。私が生まれたのは昭和19年ですから戦時中です。母親は私を腹に抱えてどれほど苦労をしたことでしょう。それでも私は色々な疾病やけがを克服して今日まで元気に生きているのです。私の命の源は母親のお腹の中なのです。

 孫の成長を見たり写真を見るにつけ、あのいたいけない赤ん坊が年月を経るにつれて成長し、様々なことを学ぶのですが、特に幼児期の子どもにとって母親の存在は100パーセントに近い影響力を持っていると思うのです。お乳を飲ませながら話しかける姿を見ながら抱きかかえる教育の大切さをしみじみ思うのです。

若松進一ブログ
(孫希心もこんな大きなボールで遊べるようになりました)

 私のブログの準主人公だった孫朋樹も今年から小学校に入学し、毎日体には似つかないような大きなランドセルを背負って毎日元気に学校へ通っています。孫の自立の始まりと嬉しいのですが、学校に行くようになって急に成長したような気がしています。先日も妻が「手をつないで歩こう」といったら、「僕は小学校一年生だから手はつながん」とさっさと前を歩いたそうです。何かにつけて「僕は小学生」を口にする孫が少し自分たちから遠ざかったような感じがしました。

 一方お母さん一辺倒だった孫尚樹や孫希心は少しでも母親から離れようと巣立ちの心や行動がうかがえるのです。別々に住んでいるため最初は甘えることの殆どなかった私にも、家の玄関に入るともう「じーじ、じーじ」と片言で歩み寄り遊んでほしいとせがむのです。そういえば朋樹の時もこんな感じでした。私の相棒は朋樹から尚樹や希心へとうつる時期に来ているのかも知れません。私の役目は朋樹がそうであったように尚樹と希心の子育てを援助するサポーターかも知れません。今年からこの2人を人間牧場で思いきり鍛えてやりたいと思っていますが、はてさて朋樹で訓練した私の子育てならぬ孫育てが上手くいくかどうか楽しみです。

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(私の書斎にしょっ中ちょっかいを出しに来る孫希心)

 64歳になり加齢とともに体力と気力のバランスの崩れを感じるようになった私にとって、孫は気力と体力を維持したりアップするカンフル剤のようなものだと思っています。しかし大事なことは私に孫を合わせるのではなく、孫に私の気力と体力を合わせなければなりません。そのためにはやはり進化しなければならないのです。はて私の孫育て進化論とはどんなメニューを消化すればいいのでしょうか。孫朋樹の後追いのような私には首相厄介な仕事ですが、これもおじいちゃんの宿命なのですから、頑張りたいと思います。


  「孫育て 爺頑張る 生きがいに 元気はつらつ せねば嫌われ」

  「四人目の 孫の誕生 間近なり 楽しみ不安 交錯しつつ」

  「じーじーと お前は蝉か いうほどに なつく孫ども お目々細めて」

「孫進化 俺は退化の 道を行く 六十有余の 開きし難く」

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shin-1さんの日記

○燻製の実験

 「血は争えない」という言葉がありますが、長男息子を見ていると何だか同じような考えや行動が目について、少し怖いくらいです。私が人間牧場の構想を家族に話したとき、いの一番に賛成したのは長男だし、これまで人間牧場の設計から掃除に至るまで様々な形で参加協力をしてくれました。資金的に厳しい私と、発想重視の息子とでは考えのスタートが違うため、何かにつけて衝突しながら接地点を探しつつ日の目を見ましたが、今もある部分で満足し、ある部分で不満を言いながら次の夢に向かってお互いが協力しているのです。

 そんな息子が連休に帰ってきて、燻製の実験をしようと持ちかけました。私も燻製を人間牧場のメニューに是非加えたいと思っているので、やろうと手を上げました。息子は既に人間牧場で始まっている命のリレープロジェクトのミツバチを飼うことの発案者で、既に本を買ったりインターネットでミツバチについて資料を集めていますし、今回の燻製についても本や資料を取り寄せ、簡易なアウトドアーの燻製器をどこかからし入れているようでした。

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 天気が良いため庭に燻製器を持ち出しきれいに拭いてからソーセージの燻製に取り掛かりました。ソーセージは2種類用意していました。小さな燻製器なので一度に10本余りしか処理できないのですが、実験なので十分とばかりに金属製の皿に桜の木のチップを入れ、外のガスコンロ上に置いていぶし始めました。カタログ片手に時間を計ってやり始めると桜の木の煙がモクモクと出てきました。そのうちいいにおいが立ち込めました。時間を見計らって蓋を開けてみると煙にいぶされたウインナーソーセージが出来上がり、皿に盛りつけました。家族も初めての試みなので息子のやることに興味深々で、集まって覗きこんでいました。

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 熱いうちにと勧められ食べてみましたが、始め手にしては中々の出来上がりで、みんなに大好評でした。その反応に気を良くした息子は次にチーズの燻製を始めました。ところがチーズは熱に弱いため、最初に温度を上げ過ぎたため、まるで飴のように溶けて垂れ下がりものの見事に失敗してしまいました。ウインナーソーセージで株が上がっていただけに、息子は少し落胆したようでしたが、「失敗は成功の母」などといいながら燻製の実験は終わりました。

 その夜は娘婿の実家に帰省している娘を覗いて3人の息子が帰省していたため、焼き肉を中心にした食事に息子の作った燻製ソーセージが加わり、大いに盛り上がりました。少し時間がとれるようになったら、燻製器を作ろうと息子と相談がまとまっています。そのためには釜戸小屋を早く作らなければならないと、これも息子の設計に依存するだけにまた息子との確執が始まったようです。28歳も年の差がある息子ですから衝突は当然です。でも同じ考えや行動を親子で共有できることは嬉しいことなのです。


  「親と子が 同じ趣味持ち 楽しげに 妻も呆れて ニヤニヤ笑う」

  「燻製の ソーセージ食べ こりゃいける チーズは涙 半信半疑」

  「親子とは こうも似るかと 時々に 思うことあり 親子ですから」

  「次々と やる夢親子 語りあう 次は釜戸が 何時頃できる」

 

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