shin-1さんの日記

○孫とじいちゃんのデコボコサイクリング道中

 雨の前触れでしょうか、わが町では夜半から南寄りの生暖かい突風が吹いて、外へ出るのが億劫なほどでした。それでも昨晩からわが家に泊まりに来ている孫たち二人は元気者で、外へ連れ出すようせがむのです。まもなく2歳になる下の方は言葉も随分覚えて、片言の日本語を喋り続けているのです。昨日誕生日のプレゼントに買ってもらった、アンパンマンのキャラクターが印刷されているボールを部屋の中で一生懸命蹴って遊んでいます。「シュート」や「ゴール」など、兄が自宅で喋る言葉を習って飽きもせずといった感じです。

 一方小学1年生になって初めてやってきた孫朋樹は、随分おせらしくなって目を見張るような成長ぶりです。今朝は大風が吹いているにもかかわらず孫と私の相談ができてサイクリングに出かけることになりました。まだ自転車の運転はさほど上手くはないのですが、自信をつけさせるために出かけることにしました。目的地は自宅から4キロ近くある翠小学校近くの観光イチゴ園なのです。私は妻のママチャリ自転車、朋樹は隣の親類から貰った子ども用自転車です。私の家から県道に出ると翠小学校まではダラダラ坂で、加えて南の風は向かい風で容赦なく吹きつけ、自転車が中々前に進みませんでした。加えて近所の畑では田植えの準備が始まったり、上灘中学校では町内ソフトボール大会が開かれていて、車道も歩道も車が無造作に駐車されていて走りにくいことこの上ありません。

若松進一ブログ

 それでも「もう無理」と弱音を吐く孫を激励して、ついに大畑さんの観光イチゴ園に到着しました。毎年何回か行く観光イチゴ園なので孫朋樹の顔も覚えてくれていて、大負けサービスをしてもらいました。二人はイチゴのハウスに入り大畑さんの言われた品種の列に入り、思いきりイチゴを摘んで食べました。糖分と酸味のバランスも抜群で、シーズン終わりとは思えないほどの美味しさに舌鼓を打ちました。食欲の落ちている私など、小学一年生の朋樹には遠く及ばず、それでも完熟した真っ赤なイチゴを10個くらいは食べたようです。家で待っている孫尚樹のために一パック買って帰ることにして摘みました。

 お腹は太ったし、さあいよいよ出発です。来る時のだらだら登り坂も向かい風も、帰りは下り坂と追い風で、ブレーキをかけなければスピードが出過ぎて危なほどの楽ちんでした。風は相変わらず吹いていましたが、帰る頃には雨がぽつぽつ降り出し、家路を急ぎました。かくして孫とじいちゃんのサイクリングは無事終わり、孫は往復8キロの珍道中にすっかり自信を深め、「今度は自転車で釣りを楽しもうと、相談がまとまりました。


 それにしても孫の成長は頼もしい限りです。会うた度に成長していて、これまでの暮らしに「自転車の運転ができる」ようになったことで、随分活動の幅が広がってきました。私が衰えないうちに二人でしまなみ海道を今治から尾道まで渡りたいというのも夢です。孫にその話をすると孫はその気になっていて、「これから自転車をできるだけ練習して上手くなりたい」と話をしてくれました。

 一生懸命自転車をこいだせいか僅か往復8キロだのに、なれない自転車で少し足が這っているのを覚えました。こんなことでは孫朋樹と60キロといわれるしまなみ海道を渡りきることはできないと、弱った体力の回復を誓いました。

 自転車は化石燃料であるガソリンを消費しません。私の暮らしはこれまで、どちらかというと庭先から目的地まで何の疑いもなく車に依存して暮らしてきました。自転車など考えることすらなかったのです。僅か1キロ弱の役場に30年近くも余程のことがない限り車で通勤していたのです。これまでの暮らしを改めるにはやはり自転車を主な乗り物にして生きてる親父を見習わなければなりません。遅かれ早かれ車の運転免許を返納する時もやってくるでしょう。少しお金を貯めて人生最後の乗り物として自転車でも購入したいと思った日曜日の一日でした。


  「向かい風 背中丸めて 自転車を 漕いで帰りは 追い風に」

  「自転車に 乗りて少々 ふくらはぎ 張って年齢 自覚症状」

  「爺と孫 二人仲良く 連ね行く 長閑な初夏の 畑中の道」

  「老いて爺 従うように ついて行く サイクリングの 孫の自転車」 

 

 

 

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shin-1さんの日記

○メダカの輿入れ

 わが家では何年か前まで、親父が庭の池で大きな鯉を飼っていました。人に自慢してもいいくらい立派な鯉で、鯉を飼うため池には太い専用の浄化槽装置まで付けて万全の状態だったのです。鯉を飼うと鯉仲間というのが出来て、養鯉業者さんや熱心なマニアが次々わが家に訪れそれは賑やかな自慢話や鯉談義に花を咲かせていたものです。

 ところが何が原因か分かりませんが突然鯉が死に始め、ついにわが家で40年近くも飼っていた自慢の鯉が死んでしまったのです。鯉をわが子のように大切に育てていた親父の悲しみや落ち込みは相当なものでした。結局池は潰すことになりましたが、池を利用して地下室を作る妙案を思い付き、その上に東屋風の建物を自分で造り作業小屋として利用し鯉のことをすっかり忘れさせました。

 ところが最近になってまたその趣味が頭を持ち上げて、自宅の庭が広いことをいいことに、太くならない金魚のような魚に目をつけ、自分で池を掘り自分で上塗りをして小さな池を完成させました。私の長男と相談してそこに珍しい金魚を飼っていますが、今までのような大きくて豪快な鯉とは違い、飼育施設も簡単なようです。しかし相変わらず時々セメントを練って石をひっ付けてみたりして楽しんでいるようです。

 この池に異変が起こり始めました。せっかく育てた金魚を飛来してきた大きな水鳥が狙うようになりました。一匹二匹と取られるのを見て親父は網を張ったようですが時ならぬ水鳥に頭を悩ませました。

 また悪がきに成長しつつある2歳間近な孫二人が、よちよち歩きのくせに池の金魚が気になって、わが家へ来れば必ず「ジージ、ジージ」と近寄り、手を池に入れてジャブジャブ遊ぶのです。これも何とかしなければ危ないとばかり、今度はステンレス製の柵を作ってしまいました。

 そんなこんなで元漁師の親父は陸に上がったカッパになっても、相変わらず魚の匂いが消えないのです。実は私も若いころ7年間自営の漁業を生業にしていた時期があって漁船若吉丸の船長をやり海に出ていました。宇和島水産高校出身ですから当然かも知れませんが、やはり親父と同じく陸に上がったカッパなのです。

 昨日一年生になった孫朋樹が1ヶ月半ぶりにわが家へ泊りに来ました。迎えに行った帰りに、伊予市商店街の谷岡さん宅に立ち寄りました。商店街の空き店舗を利用したいっぷく亭にお話しに行った折谷岡和美さんと知り合い、その後集落勉強会に入って一緒に勉強するようになって深いご縁をいただいたのです。今では私の大切なメル友でお互いブログをお気に入りに登録して、メールを交換しているのです。


  

若松進一ブログ
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 谷岡さんは自宅でメダカを飼っていて、そのメダカがブログで紹介され、メールでメダカを譲ってもらうことになったのです。「近いうちに伺います」と書き込んでいたのですが、時期を逸していました。昨日急に思いつき孫朋樹と二人で容器も持たず立ち寄ったのです。家の中庭にはメダカが水瓶に入れられ涼しそうに泳いでいました。また金魚の赤ちゃんも沢山卵を産んでいて、メダカと金魚を二つのビンに入れて持ち帰ったのです。用意しておいた玄関先の水瓶に早速井戸の水を汲み入れ、朋樹が写真撮影してくれました。私は昔宇宙メダカを飼った経験があるのでメダカの飼い方は一応分かっているつもりです。ビンから水瓶にメダカを移し水草を入れて作業を終えましたが、お輿入れしたメダカは夏に向って涼しさを演出してくれることでしょう。


  「立ち寄りし 友人宅で 譲り受け メダカ輿入れ 水瓶泳ぐ」

  「どのくらい 大きくなるのか? 孫が問う メダカ・クジラも 同じ魚だ」

  「メダカ飼う 話題が孫と じいちゃんを つなぐパイプに なってくれれば」

  「目が高い 書いてメダカと 読んでいた 昔懐かし 亡き人思う」

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